最終話 レクイエム






 突然まえぶれもなく戻ってきたレメーニに家族はとても驚きましたが、無事に戻ってきたことをみなとても喜びました。


「ジョルジョは?」


 開口一番、レメーニは尋ねました。


 ジョルジョもまた、戻っているのではないかと思ったのです。


 ……しかし、そうはなりませんでした。


 お母さまは、お父さまと顔を見合わせ、


「あのピアノ弾きは、レメーニがいなくなったあの日から、どこに行ったのか姿が見えないわ」


 と、いいました。


「私達は、あなたと一緒にいると思っていたのよ。一緒じゃなかったの?」


 家族は、レメーニがジョルジョと駆け落ちしたと思っていたのでした。


 レメーニは顔を伏せ、口をつぐんでなにも答えませんでした。


 ぶどう畑のはじっこの、ジョルジョのために建てられたあの小屋も、あとかたもなく消えていました。


 ふたりの駆け落ちに激怒したおばあさまが、小屋を打ちこわし、なにもかも燃やしてしまうように使用人たちに指示したためでした。


 小屋が建っていたあたりを眺めていると、レメーニはまた涙があふれそうになりました。


 まるでなにもかもが…――ジョルジョに出会ったことさえも、夢だったように思えたのです。


 まだレメーニの耳元で、ジョルジョが奏でるピアノが……彼しか奏でることができない音色が、ずっと響きつづけているのに。


 彼と、彼がここで過ごした痕跡は、煙のようにたち消えてしまったのでした。











 やがて春がやってきて、かねてからの予定通りレメーニはアザルトと結婚しました。


 以前とかわらず、レメーニは輝くように美しい若嫁でしたが、無邪気で天真爛漫だった性格はなりをひそめ、いつもどこか打ちしずんだ、物憂げな顔をしていました。


 おばあさまはそれを「おとなになった」と喜びました。


 お父さまとお母さまは、それを複雑な気持ちで眺めつつ、なにも言いませんでした。


 アザルトをはじめタッチート家の一族も、若く美しいレメーニを手厚くもてなしました。


 結婚式がおわってしばらくしてもその扱いは変わらず、田舎者の娘などと陰口をたたかれることもなく、いつまでも大切にしました。


 レメーニは幸せな花嫁でした。










 あるとき、レメーニは病を得ました。


 結婚して3年目の冬のはじめのことでした。


 なんということもないただの風邪でしたが、レメーニはみるみる衰弱し、やがて起き上がれなくなりました。


 アザルトは我がことのように心配し、朝に晩に、妻の病床を見舞いました。


 そんな夫に、レメーニはいいました。


「もし私がこのまま助からなかったら……、私の亡骸なきがらを故郷の山へと連れていってほしい。ひつぎの森とよばれるあの山へ。そして、あの山の雪の下に埋めてほしい……」


 消え入りそうにかぼそい、儚い声でした。


「そんな! ……そんな恐ろしいことを言わないでおくれ」


 アザルトは、窓の外で悪魔が聞いていやしないかと恐ろしくなり、あわててカーテンを閉めました。


「わが妻よ、僕をおいて行かないでおくれ。君はまだ逝くには早すぎる」


 アザルトはレメーニの痩せた手を額にこすりつけ、死なないでくれと懇願しました。


 しかし願いは届かず、レメーニはそのまま昏睡状態となり、一週間もたたないうちに息をひきとったのでした。











 タッチート家では、レメーニの死をいたみ、向こう一年に渡り喪に服しました。


 若くして天へ召されたレメーニのことを、みな惜しみました。


 なによりアザルトの悲しみは深く、あの美しい若樹のような体は痩せほそり、髪の毛は見るも無惨に抜け落ち、人相までも変わり果ててしまったほどでした。


 しかし妻が残した最期のことばを忘れてはいませんでした。


 アザルトは、ユリを彫刻した豪奢な棺に、手ずからレメーニの亡骸をおさめると、丁寧に絹の布でくるみ、四頭立ての馬車でレメーニの亡骸を「棺の森」まで運ばせました。


 そしてレメーニが望んだ通り、故郷にほど近い、棺の森のふもとに埋葬させたのです。


 そこには懐かしいお父さまとお母さま、レメーニとケンカをくり返したおばあさまの顔もありました。


 庭師のダンドーロおじさんや、召使いのベス、執事のベッキオの顔もありました。


 みな涙をながし、レメーニとの別れを惜しみました。


 アザルトは棺をとめた釘をぬき、わざわざもう一度フタを開けさせ、死んだレメーニをもう一度抱きしめて泣きました。


 その姿を見て、周りの者も、みな泣きました。


 低くむせび泣く声は、澄んだ冬の空をつたい、天国へのぼる階段まで、静かに滲みこんでいくようでした。










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 時は移り、20☓☓年東京……。


 上京したばかりの久留米くるめいずみは、新宿の路上で立ち尽くしていた。


 眼前には、ビジュアル系バンドの路上ライブが始まった。


 たまたま通りかかって、たまたま居合わせただけなのに、なぜか足が止まってしまった。


 話し声、足音、車のクラクション。


 そして街の喧騒をまっぷたつに切り裂くように走る、怒涛のメロディー。


「これ、シンセサイザーの音だ」


 ……と、気がつくまでに、数秒かかった。


 よく見ると……


 派手なボーカルの影に隠れるようにして、全身黒ずくめのいでたちの男性が、背中をまるめてキーボードを叩くように鳴らしている。


 それを目にしたとき、泉は雷に打たれたように動けなくなったのだ。


(私、この人を知っている!)


 どきどきと鼓動が波打った。


 その耳元で、小さな声がささやいた。


(あなたが探していた人は、この人よ……)


 ……と。






 くり返す恋の物語。


 さて次はどんなお話になるか、それはまたの機会に。










 おしまい。




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