第21話 棺の森を守る者
「なぜ」という疑問は、水底からせきあがる
あてどなく空中に放たれた言葉でしたが、ことごとくボスカイオーロによって
「なぜ、ジョルジョはあの日、わたしのもとにやってきたのかしら?」
ジョルジョの演奏を初めて聴いた、あの夜のことを思い出し、レメーニはボスカイオーロに尋ねます。
「そんなのは偶然さ。君がここでこうしているように」
ボスカイオーロは何気ない言葉で応じます。
レメーニの質問は尽きることがありません。
「なぜ、ジョルジョはあの日からピアノを弾かなくなったのかしら? あんなに好きだったピアノを」
「そんなのは当然さ。どんな好物だって食い飽きることがあるからな」
……――というように。
こんな単純なやりとりで、傷ついたレメーニの心は少しずつ癒やされていくのでした。
「ねえ、ジョルジョは生きているわよね?」
レメーニは、何度となく同じ質問をしました。
「生きているさ」
ボスカイオーロは、何度でも同じ答えを返しました。
それがレメーニが望んでいる答えだと知っていたからです。
ボスカイオーロは不思議でした。
この気の荒い男は、人の世がイヤになって森にこもったほど人嫌いなのに、レメーニと過ごす毎日はなぜか苦にならないのです。
もともとボスカイオーロには人に親切にされると、その親切を勘ぐり、悪い方に捻じ曲げて考える癖があります。
またどんなに気に入った人であっても、その人を傷つけることを平気でいいますし、心のどこかでは傷ついた人の顔を見て愉しむ気持ちもあります。
にもかかわらず、どこからか現れたこの風変わりな少女にだけは、そんな気持ちが起きないのです。
起こそうとしても、なぜか起きないのです。
レメーニがもつ純粋で無垢な光はあまりに皓々と美しく、ボスカイオーロの心に淀んだ闇や、長く蓄積した苦しみすら、明るく照らしだし、癒やしを与えているようです。
彼女のそばはあたたかく、柔らかく、安心できる空間で、その心地よさは、長く忘れ果てていたものでした。
ずっとこうしていられたら……。時々、そんなことを考えました。
彼女を守りたいなどと思いました。全ての苦痛から、悲しい過去の記憶から。
ガラにもないことだとわかっていましたが、彼女の平穏を守ることは、ひいては自分を守ることでもあるのでした。
ボスカイオーロは、雪の森を徘徊するレメーニのあとを、主人にしたがう猟犬のようについて回りました。
「今日も、ジョルジョを見つけられなかったわ……」
落胆するレメーニに、ボスカイオーロは安心させるような言葉をかけます。
「見つからないさ、なぜならその男は生きているのだから」と。
「そうね、そうに違いないわね」
日に日に、レメーニの表情は明るくなっていきました。
じつはここは、地元では「
ボスカイオーロによって巧みに誘導され、死体が埋もれていそうなところを避けて通っていますので、レメーニの目には止まらないだけなのです。
冬の間は雪に閉ざされていますが、春になって雪が溶ければ、旅人の死体や荷物が顔を出すことでしょう。
ひょっとしたらそのなかに、黒いトランクケースを持ったシルクハットの男の死体もあるかもしれません。
あっても不思議ではないのですが、今のボスカイオーロにとっては、どうでもいいことなのでした。
「こんなに探しているのに見つからないのだもの、あなたのいうとおりジョルジョは街へ行ったか、お城に引き返したにちがいないわね」
そして、レメーニは「ひとまず家に帰りたい」といいました。
「お父さまもお母さまも、きっと私を探しているわ。なにも言わないで出てきてしまったのだもの」
ボスカイオーロはその言葉を、心のどこかでホッと安堵するような、それでいてなんだか物寂しいような、複雑な気持ちで聞きました。
しかし真冬の山越えは非常に危険で、とても女の弱足で街まで行くことは不可能です。ボスカイオーロは首を横に振りました。
「この厳しい寒気が通りすぎなければ、山を降りることはできない。残念だが」
レメーニはもっともなことだ、と納得しました。
はじめとても粗野で、意地悪な人だと思っていましたが、いつしかボスカイオーロに信頼をよせはじめていたのでした。
出会ってまもないころも野うさぎを叩きつけて殺し、レメーニの度肝をぬきましたが、ボスカイオーロは食うために鹿やいのししを平気で殺しました。
しかし飼っている小鳥を可愛がり、餌をやって世話をしています。
「こいつは羽を怪我していたから、しばらく面倒をみていたのだ」
小鳥はボスカイオーロにたいそう懐いていましたから、鳥かごに入れなくとも、どこかに飛んでいってしまうことはありませんでした。
夜になると窓から入ってきて、窓辺の止まり木で眠りました。
「鹿は殺すのに、鳥は殺さないの変だわ、矛盾しているわ」
レメーニはボスカイオーロに言いました。
「そうかな、だってこんな小さな鳥、食ったってうまくはないだろう」
ボスカイオーロの中ではおかしなことではないようでした。
ボスカイオーロはものの役にも立たない女の食事を作り、凍傷の手当をします。
「俺は人間は食わない」といいながら。
彼の中での一定のきまりは、食えるか食えないかということなのだと気づき、レメーニは口には出しませんでしたが、おもしろい人だと思いました。
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