第22話 捨てられた幸福な女
雪が降り積もっています。
先に降った雪が溶けるまもなく、その上から新しい雪が降り積もり、大地はもう二度と見ることができないかもしれないと思うほど深い所にあります。
レメーニがこの森にやってきてから、もう
だんだんここの生活にも慣れ、凍った湖に穴をあけて小魚を釣る方法や、剥がした木の皮を煮る方法をおぼえ、はじめて触れる森の生活のなかで楽しく暮らしていました。
もちろん、ジョルジョのことを忘れたわけではありません。
みはらすかぎりの雪野原に、なにか少しでもジョルジョの痕跡がありはしないか、当てどなく歩きまわり、歩き疲れてモミの木の木陰で何時間も佇んでいたりします。
そんなときボスカイオーロは忠実な飼い犬のように、佇むレメーニのすぐそばに何時間でも寄りそっています。
「わたし、捨てられたのかしら、ジョルジョに」
白い雪野原をみつめ、レメーニは一人つぶやきました。
ボスカイオーロはちらりとレメーニの顔色を伺いましたが、なにもいいません。
「そうね、あなたのいうとおりよ。わたしが世間しらずのつまらない女だから、ジョルジョは愛想をつかしたんだわ」
「………………」
いつだったか、勢いにまかせていい散らしたことをレメーニは根に持っているのかな、とボスカイオーロは考えました。
「悪かったよ、だってあのときは君のことを何も知らなかったのだから」
ボスカイオーロは申し訳なさげに言葉をにごしました。
「いいえ、いいの。本当のことだから」
雪野原に視線を据えたまま、レメーニは回顧していました。
「音楽のこともピアノのことも、からっきしわからない女なんて話していてもつまらなかったに違いないわ」
それにフィアンセがいて、面倒くさい家柄で。おばあさまがいった酷い言葉にも傷ついて、なにもかも、彼は嫌になったに違いありません。
ジョルジョが雪の道をひきかえしてお城にもどり、お城で私のことを待っていてくれるかもしれないと、そんな一縷ののぞみにすがり、早く城に戻りたいと思っていたレメーニでしたが……。
「やっぱりそんなこと、ありえないわ。彼はわたしのもとから去ったのよ。私は捨てられたのよ!」
ボスカイオーロはため息をつきました。
「そうさ、男は別れをえらんだ。しかし、それは君を愛していたからだ」
そして、レメーニを慰めました。
「このままお前を奪って一緒に逃げても、お前を幸せにすることはできない。これまでどおりの温かい部屋やベッド、豪華なドレスを用意することができない」
食わせていくことすら、できないかもしれない。自分だけでも生きていくのがやっとなのに。
「そんな……! 彼だけに責任をおしつけたりしない。私だって働くわ。どんなつらい仕事だってジョルジョと一緒ならくじけないわ」
言い募るレメーニに、ボスカイオーロは冷静に答えます。
「君は、本当の貧困がどんなものか知らないからそんな悠長なことをいうのだ」
この森は豊かだ、獣を狩ることもできるし、木の実をとることもできる。知恵をしぼれば飢えることなどない。
しかし街はちがう。みてみろ、
「やつは君の幸せを、いちばんに考えたのさ。……優しい男だよ」
ボスカイオーロはもう一度、大きくため息をつきました。
なぜ自分は、よく知りもしない男のことを、こんなふうにわざわざ擁護しなければならないのかと、半ばあきれていました。
なぜ自分は、こんなふうに、レメーニのことを慰めたくなってしまうのか。
この少女の傷ついた顔を見たくないと思ってしまうのか。
「あなたのいうとおりね、ジョルジョは優しく繊細な人だった。私に愛していると、そういったもの。信じるわ。不思議ね、あなたは何でも知っているみたい」
レメーニの頬に生気が戻ったのを見てとり、ボスカイオーロは三度目のため息をつきました。ほっとしたのです。
「帰ろうか、家に」
ボスカイオーロはレメーニの手をとりました。レメーニの手はあたたかそうな白い手袋に守られています。
その手袋は、いつだったか殺して食べた白い野うさぎの毛皮でつくられた手袋でした。
柔らかい指が
「じつはいいカルヴァドスが手に入ったのだ」
ボスカイオーロは嬉しそうにいいました。これは雪の中を掘りかえし、死んだ旅人の荷物から見つけたもの。何年も前の死体でしたので、酒はいい具合に熟成しています。
「つまらないことを考えないで、熱いブランデーでも飲んで楽しく歌えば、すぐに明日がやってくる。すぐに春がやってくるさ」
ボスカイオーロはそういって笑いました。
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