第20話 怒りのほこさき
ボスカイオーロという大男は、ひどい凍傷を負っていたレメーニの手や足を、丁寧に手当てしました。
また凍土を掘って幼虫をつかまえ、巣穴を探って冬眠中の獣を狩り、凍った湖に穴をあけて小魚を釣り、レメーニのために滋味ある食事を用意しました。
見ず知らずの、行き暮れた女のためになにくれとなく世話を焼いてくれたのです。
しかしレメーニはその食事にほとんど手をつけることなく、ボスカイオーロが目を離したすきに、何度となく外へ飛びだしました。
何度つれもどされても、何度も脱走しました。
レメーニには、ジョルジョがどこへ行ったのか、その足跡を追うことしか頭になかったのです。
雪野原で倒れているところを発見され、また連れ戻される……その繰り返しです。
ジョルジョはこの深い森のどこかで遭難し、すでに死んでしまったかもしれない。
この森の片隅で寒さに凍え、死んでしまったかもしれない……――
振り払っても振り払っても、そんな悪い想像が胸にせきあげ、どんなに他人が心を砕いて看病したとしても、まったくの上の空。
せっかく用意された食事に手をつけるどころか、ジョルジョの身の上が心配でいてもたってもいられませんでした。
「せっかく助かったにもかかわらず、なぜまた死のうとするのか」
身なりをみれば、絹の裏地がついたビロードのワンピースに、細い金糸の縫いとりのある襟元は上品で、とても金に困っている女には見えません。
年は若く、顔立ちは美しく、世をはかなむような理由などないように思えます。
「男か。どうせ変な男にでもたぶらかされて、あげくのはてに捨てられたんだろう」
ボスカイオーロは片頬をゆがめて嘲笑し、あけすけな物言いをしました。
「ちがいます!」
レメーニは怒って言い返しました。よく知りもしないくせに、ジョルジョのことを悪く言われたくありませんでした。
「なにが違うんだい、俺はおんなじ男だからわかるよ。女は面倒くさいからな、嫉妬ぶかいうえに文句も多い、やれ働けだの、優しくしろだの、世間体を気にしろだの、いろいろ面倒くさくなってお前をおいて出ていったのだ」
「そんなことない! あなたにジョルジョのなにがわかるっていうの!?」
レメーニは気色ばみました。
「わかるさ、お前のような女なんか掃いて捨てるほどいるぞ。見るからにいいところのお嬢さんだが、ちょいと世間知らずで頭が弱そうだし、ちょっと甘い言葉を吹きこめばころっと信じちまうような安い女だね」
「ひどいわ、ひどい! よくもそんなこと言ってくれたわね、そんな暴言は許さないわ!」
「許さないならどうするってんだよ、ローマ法王にも告げ口にいくかい?」
「…………!」
言いたいことが喉元で詰まってしまい、うまく反論することができず、顔を真っ赤にして押し黙ってしまったレメーニ。
その顔をみて、ボスカイオーロはさもおかしそうに大笑いしました。
しかし侮辱され、どうしようもない怒りに身体を震わせたとき、体中の血という血がわっと全身を駆け巡り、身体が熱くなり……そのときレメーニの目の奥になにか生きる力がやどったのです。
レメーニはこれまで何があったのか、ボスカイオーロに話しました。
なにも包み隠すことなく、誇張することも、
よく知りもしない相手に身の上話をするなんて思ってもみないことでした。むしろ知らない相手だからこそ話すことに抵抗がなかったのかもしれませんが。
回りくどいほどに長々として、整理もできていない支離滅裂な身の上話でしたが、ボスカイオーロは辛抱強く聞いていました。
すべて話しおえたとき、ボスカイオーロはもう笑いませんでした。
レメーニの話を否定も肯定もせず、「そうか」とだけいいました。
「でもその男は、この森で死んではいないよ」
ボスカイオーロは真顔で言いました。
「この森はぼくの庭のようなものだ。知らないことなどない。だから言う。シルクハットと黒いトランクケースをもった死体なんか見たこともない。森に入ろうとしたが諦めて街へいったか、屋敷へ引きかえしたかしらないが……きっとどこかで生きているよ」
「そうかしら」
レメーニの頬にバラ色の血色が戻った瞬間でした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます