第17話 疑惑のくすり
闇からあらわれた黒い人影は、執事のベッキオでした。
彼はぐったりと横たわって眠っているジョルジョの傍らに、そっと紙の袋を置きました。
見おぼえのある紙の袋……、ときどきジョルジョが酒にまぜて飲んでいる薬、その薬が入った紙袋とおなじものでした。
ベッキオが薬を差し入れするとは、いたいどういうことなのでしょう。それもレメーニの知らないところで。
「ベッキオ、あなただったのね。この袋を持ってきていたのは。言い逃れできないわよ、中身はいったいなに?」
突然カーテンの中から飛びだしたレメーニに、驚きをかくせないベッキオ。
「あなたが出てきたってことは、おばあさまの差し金ね。中に入っているのは、まさか毒薬ではないでしょうね!」
レメーニは怒りにまかせてベッキオに詰めより、紙袋を突き返そうとしましたが……。
「僕の薬……」
いままで眠っていたにもかかわらず、紙袋に吸いよせられるようにジョルジョが体を起こし、またたくまにレメーニの手から紙袋を奪い取ってしまったのです。
「ジョルジョ……」
このときレメーニの胸に、打ち消そうとしても消すことのできない不安が、黒雲のように立ちこめました。
「ひとつひとつ聞かせてもらうわ。本当のことを話さなければ、あなたを許さないわよ」
レメーニはジョルジョのいる広間を離れ、ベッキオを別室に連れていきました。
ジョルジョに家族の間でのいざこざを聞かせ、むだに彼の心をわずらわせたくなかったからです。
「まったくおばあさまの考えそうなことね、底意地が悪いったらないわ!」
「いいえ、エリザベッタさまの指示ではありません」
「では、だれの指示だというの?」
「それは………」
ベッキオは言い淀みましたが、レメーニの執拗な尋問についに口を割りました。
「旦那さまのご提案ですよ」
「お父さまが? ……そんな、うそよ!」
レメーニにはそれは少なからずショックなことでした。
お父さまは末娘のレメーニにはことのほか優しく、いつもレメーニの味方でいてくれました。
それなのにレメーニに何も言わずにジョルジョにこんな仕打ちをするなんて、まるで裏切られたように悲しく、もうだれも味方などいないような孤独に襲われたのです。
あまりのショックで口もきけなくなってしまったレメーニに、ベッキオは取りつくろうように言いました。
「いいえ、お嬢さまは勘違いをなさっています。あの紙袋の中身は毒薬などではありませんよ。気持ちを穏やかに、心を軽くする薬です」
「そんな気休めを言わないでよ、だってジョルジョは……」
「薬を飲むようになってから、あのピアノ弾きは、お嬢さまに手をあげなくなったのではありませんか?」
「……………」
レメーニははっとして口をつぐみました。
ジョルジョは思うように音が出ないとき、ときどき、レメーニの顔を叩いたり、髪の毛を引っぱったり、手をつねったりすることがあったのです。
もちろんレメーニはそんなことは誰にも言いませんでしたが、お父さまはジョルジョの暴力に勘づいていたのでした。
暴力を振るう男と付き合うのはやめるように説得したところで、レメーニは聞く耳を持たないでしょうし、むりにジョルジョを追い出せばレメーニの反感を買うだけです。
これは悩みぬいた末の、お父さまの苦渋の選択だったのでした。
レメーニはお父さまの優しさに胸を打たれると同時に、自分は何もかもをうまく隠しおおせていると思いながら、ぜんぶを見透かされていたのだと知り、少し恥ずかしくなりました。
「あのピアノ弾きも、あの薬を飲むと、よりなめらかに指が動くと喜んでいましたよ。だからこれでいいのです」
ベッキオは、優しい声でそういいました。
そうして迎えた「フェスタ・デ・ルーヴァ」の日。
この日は新酒のワインが解禁される日で、街ではそれを祝ったお祭りが開催されます。
レメーニの住むお城でも、外から来るお客さまをもてなすだけでなく、農場で働く使用人や奴隷たちをねぎらうため、おいしい料理や酒、音楽や踊りなどで楽しく過ごします。
ジョルジョはそのお祭りの余興でオーケストラを率い、演奏するはずでした。
………が、病に蝕まれ、薬に溺れた体では、満足な演奏などできるはずもありません。
二曲目の冒頭でつまづいてしまい、そこからもう指揮者のテンポについていけなくなってしまいました。
なんども弾き始めようとしてできず、楽譜と鍵盤を見比べ、いまどこを弾いているのかさえわからなくなってしまったのです。
舞台袖でやきもきと、手をこまねくことしかできないレメーニ。
観覧席でオペラグラスを片手に、満足げな微笑みをうかべるおばあさま。
そしてジョルジョは……なにもかもに耐えられなくなり、椅子を蹴るようにして舞台から逃げだしてしまったのでした。
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