第15話 おもわく
「レメーニ、一体どういうことなのか、説明をし!」
その朝は、血相をかえて部屋に飛びこんできたおばあさまの怒鳴り声でレメーニは目をさましました。
昨晩はちっとも眠ることができず、明け方ようやく眠りについたばかりだったのです。
ニワトリのようにけたたましく啼きさわぐおばあさまの声を、ぼんやりと聞いているレメーニ。
…――しかし「グランドピアノが……」という言葉を聞いて、眠気は一気にふきとびました。
「まあ、とうとう届いたのね! ジョルジョのピアノが!」
「…ンまあ! レメーニッ、恥を知りなさい!」
あたりまえのことながら、怒り心頭に達したのはおばあさまです。
強く怒鳴れば少しは殊勝になるかと思いきや、喜び勇んで飛びだして行こうとしたのですから。
おばあさまは怒りにまかせてレメーニの腕をつかみ、ベッドから引きずり落とそうとしました。
「なにするの、痛いわ!」
そのとき、とっさにレメーニはおばあさまの手を振りはらいましたが、おばあさまも渾身の力でしがみつき、負けじとレメーニがおばあさまの肩を押しのけたとき……
「ふたりとも、やめてください! 淑女が台無しですよ!」
あわてて駆けこんできたお父さまが二人の間に割ってはいりました。
仲裁がもう少し遅ければ、お互いの顔に引っかき傷くらいはこしらえていたかもしれません。
「ふたりとも落ち着いて話をしましょう。おばあさまは薬を飲んでください。レメーニは服を着替えるんだ」
いつも柔和なお父さまの顔が、今朝は固くこわばっていました。
燃えるように赤いベルベットのドレスに着替えたレメーニは、瞳の奥に闘志の炎をもやし、みなの待つ居間のドアをノックしました。
「おはいり」
部屋には、暗い顔をしたお父さまと、おろおろと心配そうにしているお母さま、そしてみるからに不機嫌そうなおばあさまがいました。
「家族にだまって、あんなものを買ったのかい?」
おばあさまが先に口火をきりました。
「だって、そうじゃなきゃ反対されて、ダメになってしまうでしょ?」
それに対して、レメーニがすかさず口答えしたので、おばあさまは顔を真赤にして怒り出しました。
「当たり前じゃないか、あんな高価なもの。どうするんだい、あんたはお嫁にいくのに! あのピアノは乞食男にくれてやるのかい? 馬鹿らしいったらないよ!」
「すぐ怒鳴らないで! あのピアノは……」
レメーニは言葉を濁しましたが、もうこのさい自分の胸の内を打ち明けてしまおうと思いました。
「あのピアノはタッチート家に一緒にもっていくつもりよ。お嫁入りのお道具のひとつなのだから、そんなに目くじらたてないでちょうだい」
そもそも自分は好きでもない相手へ、おばあさまの野心のために、そして家族の名誉ために嫁いでやるのだ。これくらいのわがままは、わがままのうちにも入らない、とレメーニは思っていました。
「ちゃんと約束どおり結婚する気はあるというのだね」
お父さまは念を押しました。
「もう婚約も済んでいるのだから、ここで結婚したくないなどといえば、タッチート家にも申し訳がたたないし、我が家の家門にもキズがつくんだぞ」
「大丈夫よ」
レメーニは、お父さまを安心させるように頷きました。その目に嘘はありませんでした。
「でも、あのピアノ弾きはどうするつもりなの? ずっとここにいてもらうわけにもいかないわ」
お母さまが心配そうに口をはさみました。
「ジョルジョも連れていきます。私とともにタッチート家にいくつもりよ。家族に迷惑をかけることはありませんわ」
音楽の才能があるものを、お抱え芸術家として囲ってもよい……そう提案したのはアザルトのほうからで、いわば婚約者のお墨付きをもらってるのです。
「でもレメーニ、それはあまりにつらい。お互い心を痛めることではないの?」
愛されないアザルトは惨めな気持ちになるでしょうし、様々なことが思うようにならないジョルジョにも不満が募るでしょう。また、レメーニは二人の男性をめぐって二つの顔を使い分けなければならず、ひじょうに鬱屈がたまるでしょう。
それが容易に想像できるだけ、お母さまの表情は晴れません。
「レメーニ、お前のつとめは結婚することだけではないのだ。子供を産み、育て、平和な家庭を築くことなんだよ、それがわかっているのかい?」
「……………」
レメーニは頷きました。
「わかっていない。お前は、まったくわかっていない」
お父さまは頭をかかえ、よろよろとソファに腰をかけました。
「わかったわ。こうしましょう」
どちらも譲らず、重苦しい空気がただようなか、おばあさまが名案をおもいついたというように手をたたきました。
「ほんとうにジョルジョ・モニートが優れた芸術家だということがわかったらわたくしはあなたのワガママを許そうと思うの」
「え? それは本当!?」
それは簡単なこと。ジョルジョの演奏の素晴らしさはレメーニが一番良く知っています。
器用なジョルジョは、おばあさまに気にいるような音楽も簡単に弾きこなすことができるはずです。
「もちろんよ。わたくしだって芸術に理解がないわけではありません。でも見かけ倒しのサギ師は許せないだけよ。ベッキオ!」
おばあさまは扉の外で待機している執事のベッキオに、老眼鏡と手帳をもってこさせました。
「ちょうど二週間後に、フェスタ・デ・ルーヴァがあるわ。あの男が城にお招きしたお客さまをすばらしい演奏でもてなすことができれば、もう乞食男だと蔑むことはやめあなたの願いを聞きましょう」
その提案をきき、レメーニの表情はぱっと明るくなりました。
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