第13話 暗闇
待ちぶせしていたアザルトをひきずるようにしてお城に戻ると、お城の入り口では変ににこやかな顔をとりつくろったおばあさまが待っていました。
車寄せには一台の馬車…――おばあさまはその馬車に、有無を言わさず二人を押しこめ、すぐに出発するように
「どこに連れていくの?」
ゆれる馬車の中で不安げに尋ねるレメーニ。おばあさまがなにか企んでいるのではないかと思ったのです。
「心配しないで、楽しいところだよ」
「楽しいところって、どこ?」
レメーニにとって楽しいところとは、無心にピアノを奏でるジョルジョのそばなのです。そこから離れて楽しいところなどありはしませんでした。
「弱ったな」
鋭い目で睨まれ、アザルトは困ったように天を仰ぎました。
「エリザベッタさま(※レメーニのおばあさま)に頼まれたのさ、君がよくない男にいれこんでいるから、貴族の遊びでも教えて目を覚まさせてやってくれって。だからこれから僕の家の別荘地にいって、ボートに乗ったり、クロケットでもしようかと……」
レメーニは大きなため息をつきました。
「馬車を止めて」
「ねえ聞いてレメ―ニスクオーレ。しばらくでいいから僕の別荘で楽しい時間を過ごそうよ、君は僕の婚約者なんだから」
「馬車を止めて! いますぐ止めなければ婚約を破棄するわよ!」
レメーニの脅迫めいた口ぶりに驚き、アザルトは眉をひそめていいました。
「え? それってどういう……。本気でいっているのかい?」
「本気よ。私がその気になればいくらだって手立てがあるのよ。あなたと結婚したくないと私に思わせないで。わかるでしょ」
レメーニの目の奥には、なにか冷たい、哀しい決意のようなものが、青い炎のようにゆらめいていました。
「いますぐ馬車をとめ、私を家に帰して。結婚の日までそっとしておいて。そしたら婚約破棄なんていわない。約束どおりあなたのもとへ嫁ぎます」
「……………」
アザルトはしばらく気まずそうに沈黙していましたが、彼女のいうとおりにするしか方法がありませんでした。
レメーニたちはそれからすぐに引き返しましたが、積み荷がかたよっていたのか、車輪がはずれるなどのトラブルによって足止めにあい、城に戻ったのは暗くなってからでした。
レメーニたちが戻ってきたというので、おばあさまはじめ家族は驚きました。
「どういうこと?」
事情がわからないおばあさまは、うろたえた様子で二人を迎えました。
「どういうことって、それはこちらが聞きたいことよ」
レメーニは吐き捨てるようにそういうと、口もききたくないというように背をむけ、足早に屋敷の奥にひっこんでしまいました。
「彼女はご実家がお好きなようです。僕は首になわをつけて引っ張っていくわけにもいかないので」
アザルトは困ったような笑顔で、家族に説明していました。
「そんな頼りないことをおっしゃって……。んもうあの子ったら、本当にどうしようもないったら!」
おばあさまは不満をあからさまに顔にだしました。
「がんこなワガママ姫のお守りは大変だったろう。どうか気を悪くしないでおくれ」
お父さまは申し訳なさそうにアザルトに謝りました。
「いいえ。僕は大丈夫です」
アザルトは笑って答えましたが、うまく笑うことができず、目をそらしました。
「そうよ。あの子が何をいっても真に受けないでくださいね。あの年頃の娘にはよくあることなのですわ、ほんのいっときの気の迷いが。だって考えてもご覧なさい。いくらなんでもあんな小汚くて醜い男と、タッチート家のお坊っちゃまはくらべ物になどならないでしょう」
おばあさまはジョルジョを口汚く罵ることで、アザルトを慰めようとしました。
レメーニは自室に引き上げたとみせかけて、裏口からそっと城をぬけだし、ジョルジョの小屋へ向かいました。
しかしその途中、城を抜け出したことを知ったベスにレメーニは引きとめられます。
「夜には行ってはいけないと、旦那さまに釘をさされたではございませんか。それにお食事もとらずに……」
「わかってる。でもどうしても行きたいの」
ベスの制止を振りきり、レメーニは飛びだしたのです。
どうしてこれほどまでにジョルジョに会いたくなるのか、レメーニにもわかりません。狂おしいまでに彼への思慕がつのり、体の奥からつき動かされるような衝動にかられていました。
ジョルジョに会わない間も、ジョルジョの奏でるピアノの音が、ずっと頭の中で鳴っていました。そしてそれは、だんだんと激しさを増していくようでした。
これはジョルジョのピアノの魔力に魅了され、心が囚われてしまったということなのでしょうか。
それとも彼の奏でるピアノの音に自分のこころが響鳴し、それによって揺り起こされた魂が、いのちの音色を奏ではじめたからなのでしょうか。
(もう離れられない……)
暗闇のなかを走りながら、レメーニの目からどっと涙があふれました。この気持ちには、どこにも出口がないことをレメーニは知っているのです。
それなのに止めることができない。彼から離れられない。もし離れなければならない日が来たとしたら、この身が引き裂かれるよりつらい苦しみが待っているに違いありません。
もうすっかり日が落ちているにもかかわらず、ジョルジョの小屋には明かりが灯っていませんでした。
そっと扉を押し、まっくらな室内に入ると、すぐ足元のところにバスケットが置かれていました。今朝、レメーニが放りだしてきたバスケットです。
中の食べ物には一切手がつけられないまま、ただそっと置かれていました。
「ジョルジョ……」
ジョルジョは、暗闇のなかこちらを見て佇んでいました。レメーニは音もなく歩みよると、その影に吸いよせられるように彼に体をあずけました。
「ジョルジョ、どこにいてもあなたのことばかり考えるの、あなたと離れているあいだも、いつもあなたのことを考えるの。あなたのことを愛しているの」
しかし現実は、真逆の方向へと動こうとしているのです。心が引きちぎれそうでした。
「私はどこを間違えたのかしら、なぜこうなってしまったの? どうすればよかったの? なにが正解なのか私にはわからない」
美しい洋服、高価な宝石、贅沢な食事…――なにひとつ不自由のない裕福な生活を与えられているのに、本当に欲しい物は手に入らないのです。
結婚すればきっとアザルトと幸せになれるのでしょう。しかしそこにはジョルジョの姿はないのです。
「どうしたらいいの?」
レメーニは暗闇のなか、ジョルジョに問いかけました。ジョルジョの息が髪にかかるほどの至近距離で、ふたりは見つめ合いました。
「どうにもできない」
暗闇に滲むように、ジョルジョはいいました。
「一緒に、死のうか」
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