第12話 幸せな日常
ジョルジョの処遇について、おばあさまもレメーニもどちらも譲りませんでした。
不潔な、どこの馬の骨ともわからない男を同じ屋敷の中に住まわせるわけにはいかないと主張するおばあさま。
いつ危険な目に合うかわからない街にジョルジョを帰すなど絶対にできないレメーニ。
二人の板挟みにあったおとうさまは困り果て、しかたなく両者の意見のあいだをとって結論をだしました。
ぶどう畑のすみに小さな小屋を建て、そこにしばらく住まわせることにしたのです。
ここならジョルジョがおばあさまの視界に入って不快な気持ちにさせることもありませんし、どんな時刻にどれだけピアノを弾いてもだれも気に止めることはありません。
「ただし、約束してほしいことがある」
その提案に顔を輝かせたレメーニに、おとうさまは釘をさしました。
「夜間は小屋に出入りしないこと」
……これはもっともなことです。レメーニは頷きました。
「そして、かならずタッチート家へ嫁ぐことだ」
レメーニはぼんやりとした顔で、なんとなく頷きました。
結婚式まではまだあと半年ほど残っていましたが、レメーニにはいずれくる「結婚」というものに実感がもてないでいるのでした。
大工がやってきて小屋が建ち、それからの数日間はレメーニにとって、とても楽しい日常のはじまりでした。
無垢材の匂いが心地良い床には、街で
ふたりであれこれ話しながら部屋を作っていく作業は、夢のような楽しい仕事でした。
無口だと思っていたジョルジョですが、だんだんと口数も増え、レメーニだけにはうちとけた様子で話しかけるようになったことも、レメーニにとって嬉しいことでした。
以前そっけなくされたことも、ただ内気な彼の「照れかくし」だったことを知り、レメーニはますます彼を気に入りました。
「少し、広すぎやしない?」
レメーニにだけ聞こえる声で、ジョルジョは耳打ちします。
「広すぎることはないわ、狭いくらいよ」
レメーニも同じようにジョルジョの耳に口元をよせ、囁きかえしました。
たしかに、その小屋は、ジョルジョ一人が暮らすには広く作られているような気がします。
それというのも(彼にはまだ内緒にしているのですが)フィレンツェから届くはずのグランドピアノを置く場所を確保しているからなのでした。
届いたグランドピアノを見れば、きっと彼は大喜びしてくれるにちがいない。彼の喜ぶ顔が目に浮かぶようで、レメーニはいつかくるその日を待ちわびるのでした。
それまではこれまで使っていた小さなピアノで我慢しなければなりませんが、彼の演奏を間近で聴くことができるだけで、レメーニは幸せでした。
そして自由にピアノを弾くことができて、幸せそうなレメーニの顔を見ることができるので、ジョルジョも幸せなのでした。
ゆらゆらと葉陰が揺れる夏の昼下がりに、ジョルジョが奏でる美しくも妖しいピアノの音色に、レメーニはただ
その日もレメーニは、いつものように朝早く厨房にやってきました。コックが朝一番のパンを焼く時刻なのです。
紅茶とミルク、ヤギのチーズ、りんごを二切れ、焼き菓子をそれぞれ二人分。レメーニはそれらを手際よくバスケットに入れていきます。
そして中はほっくりと、外はカリッと最高のころあいに焼き上がったパンを、最後にバスケットに詰めるのです。
小屋までのみちのり、二人分の朝食をつめたバスケットをさげたレメーニは、踊りだしそうな足取りで歩いていきます。
ジョルジョの小屋がもう間近にせまったところで、この日、レメーニは思わぬ人に出会いました。
朝日がさしこむ木陰に、そっと
「アザルト……なぜ、ここに?」
婚約者、アザルト・タッチートの姿をみつけたレメーニは青ざめました。
「なぜ?」
アザルトは片頬に笑みを浮かべ、レメーニの問いに疑問をなげかけました。
「なぜだなんて、おかしい。だって僕は君の婚約者なのに」
アザルトはレメーニに手を差し伸べましたが、レメーニは思わずあとずさりしました。
「そんな顔をしないで。なぜ僕をさけるの?」
レメーニはあれからずっとアザルトに会っていませんでした。体調不良や、忙しさを理由に、会いたいという彼のもうしでをことごとく退けていました。
手紙や贈り物も届きましたが、ただ受け取るだけ。お礼の手紙も送りませんでした。
レメーニはただ、ジョルジョに誤解されることが怖かったのです。
以前、アザルトがレメーニの手にキスをしたところを目撃したとき、ジョルジョは嫉妬のあまり(……というより、自信を喪失して)来なくなってしまったことがありました。
ジョルジョをヘタに刺激して、この楽しい時を壊したくないというのがレメーニの本音でした。
アザルトのことは放っておいてもいいのです。だってどうあがいても、いずれ結婚することにかわりはないのですから。
レメーニはバスケットを足元にほうりだすと、かつてないほどの激しい怒りの表情をつくり、
「なんの権限があってこちらにおいでなのですか?
そういうなり、小型犬が噛みつくようにアザルトの服をつかむと、全力でひっぱりました。
驚いたのはアザルトです。
婦人の腕力なので、力は大したことはないのですが、その気迫に
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