第11話 衝突
ジョルジョは、レメーニが婚約者と仲むつまじく過ごす様子を垣間見て、そのショックのあまりお城に現れなくなった―――つまり彼はアザルトに嫉妬していたのでした。
そのことを知ったレメーニは、もう気持ちが溢れ、歯止めがきかなくなりました。
だって自分が好きになった人が、嫉妬を感じるほど思いをかけてくれているということなのですから。
まず手始めにレメーニがやることは、ジョルジョをこの危険な街から引き離すことです。
またいつ、気の違った酔っぱらいがジョルジョを苦しませに来るかもわからないのですから。
「あなたのための温かい寝床と食事、安心できるお部屋を用意させます。私とともにお城に行きませんか? いいえ、ぜひ行きましょう」
それにお城で暮せば、いつでも好きなときにピアノを弾くことができ、あなたのめざす音楽の研究に没頭できます…――
ジョルジョに断る理由はありませんでした。
レメーニはジョルジョの腕にそっと手をかけました。それに気がついたジョルジョはためらいつつもレメーニの手をとり、貴婦人にするように自分の手のひらの上におきました。
(不器用なジョルジョのことですから、実際はオロオロと逡巡することに多くの時間をついやし、いよいよというときにネズミを捕まえるようにレメーニの手をわしづかみし、汗で手がすべったために乱暴に自分の手の上に落っことしてしまった…――というのが現実でしたが……レメーニにとってそんなことは
これまで恋をしたことがなかったレメーニにとって、これ以上ない幸せにつつまれた瞬間でした。
好きな人に触れているというだけではありません。
ピアノの演奏にかけては、誰もまねできない演奏技術とすばらしい表現力をもつピアニストの、その神の手にふれているのです。レメーニを感激させないはずはありませんでした。
こうしてレメーニとジョルジョは、仲むつまじく手をとりあい、ロバのならす鐘の音に祝福されながら、お城の門をくぐったのでした。
レメーニがお城に戻ったのはまだ早い時刻だったので、出張に行ったお父さまも、教会へお使いに行かれたお母さまも、歌劇を見に行っているおばあさまも、まだ誰も帰宅していませんでした。
ただ執事のベッキオが、なんともいえない困り顔で二人を出迎えました。
「今日は水曜日ではありません」
「わかっているわ。でも水曜日でなくとも毎日顔を合わせることになってよ。今日からジョルジョはここに住むことになるのだから」
「…………」
背筋をピンと張ったまま、ベッキオが返答に困っているのがわかりました。
「なにもあなたが困ることじゃないわ。みなが帰ってきたら私から言います。ディナーの
ああ、また一波乱ありそうだ……といった様子で、ベッキオが小さくため息をつくのがわかりました。
ディナーが始まる前から、テーブルには険悪な空気がただよっています。招かれざる客が、その場にいるからでした。
「なんといいましたレメーニ! わたくしは許しませんよ!」
部屋のすみ、壁際に立っているジョルジョ。そしてジョルジョをかばうように、その前に立ちふさがっているのがレメーニです。
「なぜですかおばあさま、この方は著名な音楽家です。客人として招き入れたいというのが、それほどおかしいでしょうか」
「は! 著名な音楽家が聞いてあきれるわ!」
おばあさまはあからさまに鼻で笑いました。
「そんなみすぼらしいなりをした醜い顔の男が、結婚前の若い女の家をうろちょろされては困るに決まっているでしょ、タッチート家にどう思われるか、あなただって少し考えればわかるでしょ!」
案の定、おばあさまは取りつく島もありません。
「ねえ、レメーニ。ここに住まわせなくても、音楽の演奏のたびごとにこちらにお運びいただいたら?」
お母さまはやさしくレメーニを諭しました。
「だめよ、外の街はとても危険で不衛生だわ。清潔な水もないし、へんな酔っぱらいはウロウロしているし。この未来ある芸術家を保護するためにも、このお城に来ていただくのが一番よ」
レメーニも譲りません。
「わがままもいい加減になさい! あなたがどういう立場かよく考えることよ! ああこんな強情な女だとは思わなかった! いったい誰に似たのかしら、よりにもよってこんなキチガイじみた男を!」
一度導火線にひがついたおばあさまの文句は、ちょっとやそっとでは終わりがありません。
「わたくしこの男を知っていてよ、この前のパーティに来ていた。そう、いつものピアノ弾きの代理で来ていた男よ。ひどくキチガイじみた曲を弾くから覚えているわ。芸術を愚弄するようなあんなメチャクチャな曲を弾いておきながら、よくもまあ著名だなどといえたものね」
「やめて!」
レメーニは金切り声を上げました。
「ふたりとも」
収まりがつかないこの状況をみかね、お父さまはため息混じりにいいました。
「少し時間をおくのがよさそうだ。話し合いは冷静になってから改めましょう。レメーニ!」
お父さまはレメーニにめくばせをし、先に部屋に戻るように促しました。レメーニは頷き、ジョルジョとともに部屋を出ました。
「ごめんなさいね、ジョルジョ。でも安心して、かならず説得してみせるから!」
扉をでたところで、レメーニはジョルジョに謝りました。
「ジョルジョ?」
ふと見れば下を向いていたジョルジョの表情が、どす黒い怒りに染まっていました。
「ごめんなさい……」
レメーニの胸は悲しみで塞がれ、ふたたび謝罪の言葉が口をついてでました。
「なぜ? レメーニ。なぜ君があやまるの?」
ジョルジョは不敵に笑い、つかつかと早足で廊下を歩みだしました。長い廊下を半ばまで歩んだころ、あたりに響き渡るほどの鋭い声で、なにかを叫ぶのが聞こえました。
憤懣やるかたないジョルジョの怒声でした。
なお飽きたらず、ジョルジョは窓にかかったカーテンを力任せに引っぱり落とし、靴でさんざんに踏みつけました。さらに飾り台にあった銀のお盆をひっくり返し、水入れを窓に叩きつけました。
物が割れるすさまじい音があたりに響き、レメーニの後ろからついてきたベスが息を飲むのがわかりました。
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