第10話 ジョルジョの告白
屋外にいると、また頭のおかしい酔っぱらいにからまれるといけないので、ジョルジョは自分のアパートにレメーニを呼びました。
仮にも若き貴婦人が男の部屋に招かれるのですから、レメーニの身を案じた庭師のダンドーロは、二人のあとに続いて部屋に入りました。
そこは粗末な一部屋でした。
くたびれたマットが敷かれた寝台、破れたカーテンは半分が落ちかかり、ものが散乱した黒ずんだ洗面台……その蛇口からは水がでないのだとジョルジョは言いました。
いつも清潔な部屋に暮らすレメーニからしてみると、ちょっと想像もできなかった光景です。
椅子もないので、ジョルジョは寝台に座るようにレメーニに勧め、自分は床の上に座りました。
「ジョルジョ、なぜ来なくなってしまったの? それから、なぜあなたは月曜日に来たのか。なぜいつも来るはずの水曜日に来なくて、わざわざ月曜日に来たのか」
「……それは、ピアノの線が切れかけていたところがあったから……」
水曜日の演奏にそなえ、その切れかけていた線を張りかえようと思って月曜に来たのだと、ジョルジョは口ごもりつつもはっきりとした口調で答えました。
「それなのに、水曜日にいらっしゃらなかったのはなぜ? 私は待っていたのに」
肝心なところで、ジョルジョはまた口を閉ざしてしまいました。
言いたくても言えないなにかがある、といった表情です。
これはいよいよアザルトとの会話を聞いてしまい、不愉快になったからに違いないとレメーニは内心青ざめました。
どうすれば彼が機嫌を直してくれるだろうか、「パトロンになるなどというのはただの冗談だ」とごまかすべきか、それとも思い切って「なんでもあなたの望むものを与えるから、私とともに婚家についてきてほしい」と懇願するべきか…。
とはいえこのことに関しては、レメーニでさえまだ答えがだせていません。答えあぐねているところへ……――
その場の空気を揺るがすような大きな笑い声が響きました。戸口のあたりで後ろを向いて座っていたダンドーロが大口をあけて笑ったのです。
「おまえさん、あのタッチート家の御曹司に嫉妬しとるんだろう。わしにはわかるぞ、なんならわしだっておんなじ気持ちだからな!」
「え?」
そのとたん、ジョルジョは真っ赤な顔でうつむいてしまいました。
背が高く、きらびやかな風貌をしたアザルトと、可憐でたおやかなレメーニは、そこに立っているだけでため息が出るほどの好一対。
あの日、その二人が親しげになにか話しながらでてきて、戸口のところでアザルトはひざまずき、レメーニの手にキスするのをジョルジョは目撃したのです。
「お嬢さまは結婚するんだと、あの若君と」
そこにいた使用人が、残酷な真実をジョルジョに耳打ちしました。
そのときの感情を、ジョルジョはなんと表現したらいいかわかりませんでした。頭の上に岩石が落ちてきて、ありとあらゆる音が消えてしまった瞬間でした。
なぜ。
ただ疑問ばかりが胸にせまり、そのあとどうやって家に帰り着いたかさえ定かではありません。
なぜレメーニは自分にピアノを弾かせるのか。なぜ優しく笑いかけたりするのか。なぜ自分のピアノを聞きたがるのか。なぜ、なぜ、なぜ―――
そしてなぜ、心を惑わせるようなことをするのか。
答えのない堂々巡りの思考。
しかし同時に、レメーニほど自分の芸術性を理解し、寄り添ってくれる存在はいないともジョルジョは知っていました。
長年、だれからも愛されることがなかったジョルジョという孤独な男にとって、レメーニのまっすぐな愛情は初めて触れるぬくもりでした。
また出会ってからまだそれほど長くないとはいえ、絹のベールのように無垢で清らかなレメーニの空気に触れてしまえば、もう二度と手放すことなど考えられないのでした。
ジョルジョにとってレメーニは、唯一無二の完璧な人だったのです。
これが愛や恋なのかと問われればそうなのかもしれません。
直感でした。「かけがえのない人を見つけてしまったのです。
彼にとって初めて出会った奇跡の人がレメーニなのです。
「どうかもう僕をまどわせないでくれ、このままそっとしておいてくれ!」
叫ぶように、ジョルジョはいいました。
どうかもう僕のことは忘れて、もう僕をこれ以上苦しめないで。あなたはこんなところに来ていい人じゃないんだ、城へ帰って、そしてあの人と幸せになってくれ。
そして、とうとう亀の子のようにジャケットの中に顔を隠してしまいました。
精一杯の叫びには、ジョルジョの悲しみと苦しみ、怒りが詰まっていました。なにもかもがうまくいかない、この世の中のものすべてに吐き出された呪いの言葉でした。
「ジョルジョ……」
思ってもみなかったジョルジョの本心に、レメーニは言葉がみつかりませんでした。そんなふうに深く思いをはせてくれていたことに感激し、またそんな彼をますます愛おしく感じました。
「あなたは勘違いをしているわ」
レメーニの目にはいつしか涙が浮かんでいました。
「私が喜んでアザルト・タッチートのキスを受けていたとお思いですか? 喜んでアザルトのもとに嫁いでいくとお思いですか?」
自分でもずっと心に蓋をして、見ないようにしてきた本心でした。ずっとこらえてきた感情があふれだす瞬間でした。
「私にも、どうするのがいいのか、まだわからないのです。でも、あなたとともにいたいのです。あなたの曲を聞きたいのです」
もうしばらくだけでも。はかない夢だったとしても、それでいいから。
「あなたとともに過ごしたい。あなたの曲を聴いて過ごしたいのです」
レメーニはジョルジョの手をとり、その甲に深く
「この気持ちを、どうかわかってください!」
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