第9話 貧しい街
そこは、ひしめくように貧しい家がたち並んでいました。
痩せた犬がうろうろし、壁には破れたポスター、どのアパートの窓にもそれぞれ無造作に洗濯物がさがっていました。
よくわからない淀んだ臭気が、レストランのテラスから漂ってくる食べ物のにおいにまじって吐き気がしそうでした。
「本当にこんなところに、ジョルジョは住んでいるのかしら?」
なんとか訪ね歩いて、つきとめたジョルジョのアパートは、ずいぶんとみすぼらしい古びた建物です。はがれかけた壁からはレンガがむき出しになっていました。
不安に立ちつくすレメーニ。
しかしすぐにその不安は吹きとび、レメーニの頬に笑みがうかびました。
「ジョールジョ!」
通りの少し先に小さな噴水があり、そこでジョルジョが歯を磨いている姿を見つけたのです。
レメーニが大きく手を振りながら駆けよってくる姿を、ジョルジョはポカンと眺めていました。ここにいるはずのない人の姿の、幻影かなにかでも見たように。
「驚いたでしょう? 突然くるのだから、驚くわよね。でもジョルジョがなんにも言わないで突然来なくなっちゃうんだもの、何かあったんじゃないかと私心配になって。いろいろ考えていたら夜も眠れなくて、だから……」
会った途端に、水車のような勢いで話しはじめたレメーニ。いまだに状況が飲みこめないジョルジョは、口をゆすぐのも忘れて立ち尽くしています。
「よかった、ジョルジョ、元気そうで。病気かなにかだったら、怪我をしていたら、悪いことばかり考えて心配していたの」
レメーニの無垢なほほえみ……――ジョルジョは、レメーニの笑顔からおもわず目をそむけました。
自分を落ち着かせるために、ジョルジョは噴水の水で口をゆすぎ、顔をあらい、手ぬぐいで顔を拭きました。
そして弱々しい声で言いました。
「こんなところに来てはいけない」
「え?」
聞きかえすレメーニ。
「あなたが来るところじゃない」
もちろんレメーニだってジョルジョに歓待されるとは思っていませんでしたが、こんな冷淡な態度を取られるとは予想もしていませんでした。
いつもおだやかなジョルジョ、ピアノの音色以外では感情の起伏をおしはかることができないほど、彼は顔に感情を出さなかったのに――
「なぜそんな顔をするの?」
怒っている……というのとも違います。なにかに酷く傷つけられたような、苦しいみ、哀しみに満ちた表情です。
「聞かないでくれ、俺ももうなにも聞きたくもない、見たくもない」
そういうなり、ジョルジョは踵をかえして立ち去りました。
庭師のダンドーロおじさんはロバを連れて、少し離れたところに座り、二人のやりとりを聞いていました。
しかし噴水のまえに一人とり残され、呆然と立ちつくすレメーニに、かける言葉も思いつきません。
先に口を開いたのはレメーニです。
「私やっぱり、ジョルジョと話してみる。なにか誤解しているのかもしれないわ」
そして立ちあがるなり、ジョルジョが去っていった方角へ駆け出しました。
そこは街灯もない、狭い路地でした。暗がりに酔っぱらいの怒号が響いています。
(いやだわ、怖い……)
関わらないようにしようとそっとその場を立ち去りかけたとき、酔っ払いにからまれている相手がジョルジョだということに気が付きました。
「何やってるの!? ジョルジョから離れてください!」
後先かまわず、レメーニはその間に割ってはいりました。
「うるせえ、何だお前は! 俺はこいつに貸しがあるんだ、貸した金を返せっつって何が悪い! カンケーないやつはひっこんでろ!」
「お、お、おれは、金なんか借りた覚えはないぞ!」
胸ぐらを掴まれ、首を締め上げられているジョルジョは必死で抵抗していますが、いかんせん小柄な体格では、腕っぷしの強い相手にはかないません。
「お金ならどうぞ持って行ってください」
レメーニは自分のハンドバッグごと渡しました。バッグの中には絹のハンカチや、蓋にかわいい羊のモザイクが入った口紅ケース、香水の小瓶、財布にはコインが少し入っていました。
酔っ払いの男はバッグの中身をみるなり鼻で笑いましたが、大通りから人がやってくるのを知ってバッグだけをせしめて逃げていきました。
大通りからやってきた人というのは、ロバに荷車をひかせてやってきたダンドーロでした。レメーニは腰から下の力が萎え、へなへなとその場にへたりこんでしまいそうになりました。
ジョルジョが言うには、さっきの男は酒を飲むと人が変わったように暴れるどうしようもない男で、お城に呼ばれるようになってから金まわりがよくなった自分を妬み、ありもしない貸しをでっちあげ、金をせびっては酒代にあてているのだといいました。
街ではそんな不条理なことがあるのかと、レメーニにはちょっと想像もできない話です。
「そんなことより、私は今度こそジョルジョ、あなたを放しませんわ。なぜあんなことをおっしゃったのか。あんなふうに私を拒絶する
レースの手袋をはめた小さな手は、しっかりとジョルジョのジャケットの袖を掴んでいます。
ジョルジョは観念したように天をあおぎ、
「わかりました、お嬢さま。お話しいたしましょう」
と、いいました。
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