第8話 レメーニの頼みごと





 珍しく早起きしたレメーニは、髪を整えるのもそこそこに庭にでて、庭園のすみにひっそりと建っている小屋にとびこみました。


「ダンドーロおじさん、お願いがあるの!」


 思い詰めた顔でとびこんできたレメーニを、ダンドーロは驚いた顔ででむかえました。


「おやおや、今朝はまたどんな無茶を言いにこられたかな」


 沸かしたてのミルクに口をつけながら、ダンドーロは困り顔……でも、少し嬉しそうでもあるのです。


 ダンドーロは、長年この家の庭師をつとめる庭師です。レメーニのことも幼いころから知っていて、4姉妹のなかでもとりわけ心が優しいレメーニをとくに可愛がってくれました。姉たちが嫁いでいった今も、それはかわりません。


 じつは、ライラックの樹を愛情をこめて世話しているのもこのダンドーロです。


 レメーニの邸宅にあるライラックが、季節になるとどこよりも立派な花房をつけるのは、このダンドーロのてまひまかけた手入れのおかげ。ひとえにレメーニのかわいい笑顔がみたいからなのでした。


「そうだわそういえば、例のこと、うまくいったかしら?」


 レメーニはダンドーロの耳に口をよせ、ひそひそ話をしました。その仲のよいさまは、まるで本当の祖父と孫娘のようでもあります。


「うまくいくもなにも! まったくなんという無茶な命令をこの老体に強いるやら!   とんでもなく苦労いたしましたぞ!」


「そんなに怒らないで。おじさんにしか頼める人がいないんだもの。ねえ、誰にも言わないでいてくれた? 執事にも?」


 ダンドーロは黙って頷きました。


「よかった!」


 レメーニは、寡黙で誠実なダンドーロを心から信頼していました。だからこそ頼んだのです。


 ブローチを金に換え、その金で腕のよい職人にグランドピアノを作らせることを。


 当時、フィレンツェにはパリからやってきた腕の良いピアノ職人がたくさんおり、その工房で最先端のピアノが作られているらしいとレメーニは聞いていたからです。


「よかったではすまされませんぞ! まったく金めあてのタチのわるいブローカーに追いかけ回されるやら、詐欺師にだまされそうになるやら。苦労してフィレンツェに到着してみれば、こんどはピアノ職人だの、工房だの、そんなもんどこ探したっていやしない。こんな田舎モンに大金もたせて都会に使いにやるなんざ、まったく、正気のさたとは思えませんぞ!」


 そういいつつも、実直に仕事をこなしてくるダンドーロですから、フィレンツェでピアノ工房を見つけ、グランドピアノはきっちりオーダーしきたのですから大したものです。


 オーダーしたピアノは、今年の秋か、遅くて冬には邸宅に届くといいます。それをきき、レメーニの口元は緩みました。


 このピアノをジョルジョにプレゼントすれば、きっと彼は喜んでくれるにちがいない。そして、これまでよりもっと素晴らしい曲をつくり、披露してくれるにちがいない、と。


 レメーニはあふれるような喜びに小躍りしつつ、


「それでね、おじさんにもう一つ頼み事があるの! レメーニの一生のお願い!」


 そんな無邪気な様子に、やれやれ、といった調子で眉尻をさげるダンドーロなのでした。








「やれやれ、とんだはねっかえりだ。こんなことが領主さまにバレれば、わしの首なんぞ簡単に飛んじまう。こんな老いぼれになってからお城を追いだされる悲しさよ……物乞いになるか、はたまた墓場へいくか、わしにはほかに行くところなんかない……」


「一生のお願い」に押しきられてしまったダンドーロは、悲しげな表情でぶつぶつと文句をいいながら、ロバがく車を押していました。


「バレなければなんともないわ」


ロバ曳き馬車には粗朶そだがいっぱい積んであり、その粗朶のすきまからひょっこり顔をのぞかせたのはレメーニでした。


「なんと恐ろしや。神よ、どうぞお嬢さまをお許しください」


「もう! いまから不吉なこといわないで! わたしの心は燃えるようなやる気と希望に満ちているんだから!」


 レメーニのお願いとは、ダンドーロのひく荷車にかくれて城の外に出ること。さらにいえば、ジョルジョの住むアパートに彼を訪ねることだったのです。


 今日は、お父さまは買付のためトリノまで泊りがけででかけているし、お母さまは教会へおつとめへ、おばあさまはとりまきのマダムたちと歌劇の鑑賞に街へお出かけ。城はカラッポなのです。


 夕方までに何事もなく城にもどれば、レメーニが一日いなかったことなど誰も気が付かないことでしょう。


「もうあれこれ思い悩むことはやめたの。そんなの性に合わないもの。なぜ水曜日に来ないのか、直接問いただすことにするわ」


 わたしの突然の訪問に、ジョルジョはどれほどびっくりすることか……ジョルジョの反応を想像するにつけ、レメーニの胸は高鳴りました。




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