Chapter.01 カレー男子

 食卓で向かい合ってカレーを食べる。妖怪ファミリーカレーは普通に美味しいビーフカレーだった。


「で、今回の別れた理由は?」


 あんまり興味なさそうな素振りをしながら、私はそう問いかける。


「んー。デートで行く場所に高円寺のカレー屋さんって言ったら、嫌だって言うから、じゃあ神保町のカレー屋って言ったら怒られた」

「いや、カレー屋から離れろよ」

「同じこと言われたわ。で、もういいかなって」


 ケラケラと笑う彼を見ながら、私は心の中で溜め息をつく。



 同じ団地の隣の部屋に住む幼馴染の祐基ゆうきとは、彼が小学校三年生の時に転校してきて以来の付き合いだ。しばらく一緒に登下校したりしていたが、祐基の顔が良すぎて、私が女子達からイジメを受けるようになってからはお互いの家でしか話をしなくなった。


 それぞれ別の高校に進学した今となってはイジメなど無いわけだが、なんとなく未だに外で会うことはない。



 カレーを食べ終わって私がダイニングキッチンで皿を洗っていると、ローテーブルの上にあった映画のDVDのパッケージを手に取った祐基はウンザリした顔を私に向けた。


「なに、これ観ようとしてたの?」



 ジャン=リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』



別に私が何を何回観たってよかろうと思いながら、タオルで手を拭いて、祐基からDVDを取り上げた。


「別に決めてたわけじゃないし、祐基が観たいのあるなら、そっち観ようよ」


 DVD再生機から動画配信サービスへテレビの画面入力を切り替えて、彼にリモコンを渡す。


 本当は『勝手にしやがれ』を観ると決めていた。祐基が他の女と付き合ってる時に毎回観ている。観てると落ち着くから。


 主人公のミシェルが無軌道なロクデナシのせいか、ヒロインの優柔不断なパトリシアと自分を重ねているのか、最後に映画同様に「まったく最低だ」と呟かずにはいられない。


 祐基はしばらくリモコンをいじり、動画配信サービスで映画をザッピングした後で、「その映画でいいよ」と私が持っている『勝手にしやがれ』のパッケージを指さして言った。



◇◇◇



 まったく最低だ。


 ベッドの中で全身の気怠さと下腹部の余韻に対して、自分自身にウンザリしながら心の中にヘドロのようなモヤが溜まる。結局毎度こうなる。カレーを食う。映画を観る。セックスする。中学二年生から途中途中で中断期間はあるもののもう五年近い。



「なっちゃんさぁ。大学ちょっと遠いじゃん。ここから通うの?」


 早々に寝返りを打って彼に背を向けた私の背中に、祐基は質問を投げかけてくる。


「遠いって言っても電車で四十分だよ。ここから通うに決まってるじゃん」

「へへっ。なら良かった」


 背中にオデコを擦りつけて甘えてくる祐基のせいで、胸が痛くてしんどい。


 私たちは初っ端で関係をかけ違えてしまって以降、修正できずにここまで来てしまっている。


 まず、初めに「好きです。付き合ってください」という工程をすっ飛ばしたせいで、身体だけの関係に中学二年生の私は耐えられなかった。


 そんな時に「好きです。付き合ってください」と告白してきてくれた一学年上の先輩と私は付き合うことにして、祐基にそれを伝えると彼は酷く傷ついた顔をした。


 いまにして思えば、彼は「好きです。付き合ってください」なんて言葉にしなくても付き合ってるつもりだったんだろう。それから祐基は急にうちに来なくなって、彼が色んな女の子と遊んでいるという噂が学校中に広まった。


 私の方は結局二ヶ月ももたずに別れた。先輩と一緒にいても楽しくなかったのは、主に私のせいだろうし、今は本当にこの先輩には申し訳ないことをしたと反省している。


 先輩と別れて一ヶ月ほど経ったある日、祐基は何事もなかったかのように、前と同じくレトルトカレーを持って我が家のチャイムを鳴らした。そして、行為が終わったあとで取ってつけたように「」と聞いてきた。


 なんで疑問形なんだよ。しかも「好き」とかはないわけ? ムカついた私はその申し出を断った。また奴は酷く傷ついた顔をした。いや、私だって傷ついてる!



 というわけで、この五年間、祐基が「つきあう?」と聞いてきて私が断り、傷ついた祐基が別の女性と付き合い短期間で別れて、また私の家に来るというループに陥っている。



 一言、「好きだ」と言われたかっただけなのに。



「俺はさ、毎日三食カレーでもいいわけよ」


 風呂に入ろうと思い、布団を出て下着を探していると、また背後から話しかけられた。こいつ、本当にカレーの話しかしないな。


「でさ、なっちゃんは俺にとってカレーなんだよね」


 いや、私はお前のカレーじゃねぇわ。カレーの話を無視して別の話題を振る。


「今日、また朝までいるの?」


 うちはシングルマザーの母親が看護師をしていて、今日は夜勤だった。ってか、こいつ来る日、なんでいつも夜勤の日なんだろう。教えてないのに。


「まぁそのつもりで来ましたねぇ。えへへ」


 全く悪びれない様子の返事。私は彼の方を振り返りもせずにパンツをはいて、パーカーを羽織ると風呂場に向かった。



◇◇◇



 風呂から上がると、祐基はテレビの前に座って、リモコンで映画を選んでいた。明日は学校も休みだし、朝まで一緒に映画でも観ようということなのだろう。私はいつものように彼の横に座る。


「そういえば、この前一緒に観たバットマンの俳優さんカッコ良かったから、髪型マネしてみた」


 その髪型は、恐れ多くもロバート・パティンソン氏だったのか、貴様……。顔が良いからわりと似合ってんのがムカつく。


「蟻のヒーローの最新作って、バットマンでる?」

「アントマンにバットマンは出ないよ」


 MARVELコミックスとDCコミックスの違いを教えるのも面倒で私は短くそう答えた。


「ふーん。残念」


 そう言いながら、祐基は『アントマン』を再生しようとしていた。


「アントマンの最新作観るなら、『アントマン』と『アントマン&ワスプ』だけ観てもわけわからないと思うよ」

「え? そうなの?」

「続いてる映画のシリーズの三十一作品目だし、ドラマシリーズも十一作品あるし」

「は?」


 さすがの祐基も固まっている。そうだね。私もさすがに多いと思うよ。


「……なっちゃん、アントマンの最新作さぁ。一緒に映画館に観に行かない?」


 外で一緒に? 祐基と一緒にどこかに行くのは、小学五年生以来だ。心が華やいでしまいそうになる。


「祐基が全部観終わったら、一緒に行ってあげてもいいよ」


 つい嬉しい気持ちに反して、世界で一番可愛くない回答をしてしまった。失敗したかなと不安になり、横目で祐基の反応をうかがうと、私の方に目もくれずスマホをイジっていた。


 はぁ? ほんとムカつく。私は力いっぱいクッションを祐基に投げつける。


 まったく最低だ。


***********************************

【引用映像作品】

ジャン=リュック・ゴダール監督『勝手にしやがれ』一九六〇年公開 日本語字幕:寺尾次郎

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