第10話 健二と優太ー喪失恐怖症ー

 神崎と会った翌日、アランは高羽健二から夕食に誘われた。駅近くの居酒屋のクーポンを高羽が持っていたのでそれを利用することにした。威勢のいい店員に迎えられ、二人掛けの椅子に案内された。

 二人は日常の愚痴をつまみにビールのジョッキを傾ける。

 やがて話は堀川ゆきの事件のことになってくる。

「話す人がいなくてさ」

高羽はそう切り出したが、それはアランも同じだ。教育実習に行っている大学の仲間がそれぞれラインで相談事を持ちかけるが、昔先生が失踪して、骨が戻ってきて、実習先の生徒は失踪の挙句殺されたなんて悩み事はない。できないし、したところでショッキング過ぎる内容に、ラインがあっという間に祭りになるだろう。

「犯人って誰なんでしょうね。その一緒に駆け落ちした小学校時代の先生とかですか?」

迫田があの後どうなったかアランも知らない。

 アランは福田先生からの経緯を話した。最初は唐揚げをつまみながら聞いていた高羽の背筋が徐々に伸びる。

「二つが連続殺人だとしたら……」

高羽は言って、ビールのジョッキをあおった。カラになる。彼はお代わりを注文した。アランもジョッキを空けると次の注文をする。

「実は、優太のことが心配なんです」

高羽が話したかったことは片瀬優太のことのようだ。

「堀川ゆきとも漫画を通して付き合いがあったから、それで心配してたって言うのはあるんですが……福田先生のことも優太は知ってますよね?」

優太が用務員として、学園にいた間に起きた事件だ。当然だ。けれどまさかその福田先生にストーカーをしていたらいしとは、優太のいとこである高羽には言いにくい。

「今回は、殺人だけど、優太って人を亡くしやすんですよね。喪失恐怖症とか本当の病名にはないかもしれないけど、優太ってそんな感じがするんです」

 高羽は、いとこの人生を語った。

「優太には五歳年下の妹がいて美玲みれいちゃんって言うんです。その子が小児麻痺で子どもの頃から足に障害があったんです。成長と共に、軽い知的障害を併発していることも判って、優太ん家の両親は大変だったんです。優太はいわゆるヤングケアラーみたいな感じだった」

優太の寂しそうな横顔がアランの脳裏に浮かんだ。

「優太が十歳の時、伯父おじさんがいつものように朝家を出て行って、昼頃に電話があって、仕事先で交通事故に遭って……即死でした」

アランは、高羽を見た。高羽は冷静な表情を浮かべていた。

「当時のことは僕はよく知りません。まだ僕も三つくらいだった。でもその時、伯母おばさんが、美玲ちゃんのこともあったから保険に入ることを進められていて、高額の保険金が下りたと聞いています。だから生活には困らなかった。それでも伯母はその後コールセンターで契約社員の仕事を始めました。優太は更に美玲ちゃんの世話がかかってくることになった」

 高羽は語る。

「優太は、いわゆる地頭のいい奴で、勉強ができました。塾にもほとんど言ったことがないと思う。本人は絵が好きでそっちに進みたい気持ちはあったらしいけど、金がかかるでしょう。だから大学は国立狙いで、経済学部へ進学しました。とにかく堅実な就職をしようとしたんです。二十歳の時、優太に大学の仲のいい友だちが出来て成人の祝いで三人で旅行に行ったんです。そしたら、その留守中に、優太の住んでいた賃貸マンションで火事が出て、伯母さんと美玲ちゃんが逃げ遅れて亡くなったんです」

 優太の失望は大きかった。

「あの頃の優太は見てるのも辛いほどだった。大学の友人の助けもあってどうにか大学は卒業したけど、もう堅実な就職も必要がなくなって……その頃だったと思います。愛広まなひろ学園でバイトの用務員を始めたのは。経済的には困ってなかったと思います。伯母は伯父のことがあったからまた保険に入っていてその時に降りた金額が高額だったって聞いてます。ああいう性格だから派手に遊びに行かないし、むしろ仕事がなければ引きこもって、食べてるかどうかも判らないくらいだから……僕らとしては、早く身を固めてって思うけど、全然そんな気がないらしい。家族を持つ前から亡くした時のことを考えるのも本末転倒だと思うけど、優太には大きな理由になってる。絵を描いたりして一人でいるのが好きでみたいだ。そもそも彼が漫画を描き出したのは美玲ちゃんが漫画を描いてくれって言ったのがきっかけらしい。それで食っていけるのかどうか僕には判らないけど、静かに生きて行けるならこのままでもいいかと思っていたんですが……」

喪失……優太の人生について回る出来事……彼は福田先生を失った。もしかしたら彼にとって愛していたかもしれない女性を。

「堀川ゆきは、彼のファンだったらしいし……優太、どう思ってるのか、また心の均整を失わないかどうか心配で……」

優太を兄のように見守って来た高羽としては当然の心配だった。

 アランとしては、福田先生と堀川ゆきの二人と繋がりのある彼は、二人の死にどのように関わっていたかを考えてしまう。

 失うことが心配な青年が、自らそれを失うことをするだろうか。

「君だって、辛いよね」

アランが考え込んだのを見て、高羽が言った。

「君だって、先生と生徒を失った」

「母も」

アランは自分でも意外だったが、つい口に出していた。アランは高校時代に母を病いで失ったことを高羽に話した。

「それもきつな」

高羽はどう慰めるべきか考えたが、ついに言葉浮かばなかったようだ。

「酔ったかな」

高羽はアランの顔をじっと見ていたが、ツーブロックに分けている髪をかき上げて

「石神先生の青い目を見てると、なんか落ち着く」

と言った。アランより二つ年上なのに、教師として武装をしていない彼は妙に少年のような表情をしている。優太は七歳年下のこのいとこが可愛くてしょうがないんじゃないかと思った。アランは、微笑んだ。

「癒しの瞳だ」

ふざけたように高羽は言うと、テーブルの上に両腕を広げその間に顔を落とした。

 今まで容姿についてはいろいろな言われ方をしたが、そんな言われ方をしたのは初めてだった。

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