第8話 アイミル女子学園と妖しい薬

 芽衣がふと目をやると、フィオナが教室へ入ってきた。彼女は後ろにあるゆきの席に真っ直ぐ向かった。

 ゆきの失踪は徐々に生徒の間に広がっていた。まさかこんな急展開を辿るとは想像もしていないだろう。

 フィオナはゆきの机の上に、手に持っていた色紙を置いた。芽衣がフィオナに近寄る。

「何?」

と色紙を覗き込む。

「優太さんが、ゆきに頼まれてたんだって。早く帰ってくるといいねって、渡してくれって頼まれたの」

色紙の中でゆきとよく似た女の子が笑っていた。

「綺麗だね」

とても幸せそうに笑っていた。豊かな色彩に囲まれて、アニメの登場人物のようにディフォルメされていたが、ゆきだと判った。

「次の作品の登場人物にもなりそうね」

優太はネットで漫画を描いていると聞いたことがある。

「『ゼンゼンマイン』って言うの。死神が復讐を請け負って……最後はどんでん返しみたいなハッピーエンドストーリーだよ」

死神という言葉が今は、不気味だ。

「現実かな。昨日のゆきのこと」

いつの間にか美羽がそばに来ていた。芽衣は美羽とフィオナをゆっくりと見た。二人とも目が曇っていた。

「そうだよね。漫画でも小説でも昨日のドラマの感想でも言ってる方が数億倍よかったよね」

美羽が呟くように、一人で聞いて一人で答えを出した。二人はそのまま黙った。

 緊急の朝礼が行われた。そこで全校生徒に堀川ゆきの訃報が知らされた。

 殺害されたという部分は隠せないが、後はずい分まろやかな表現に変えられていた。犯人は不明でまだ警察が捜査している。生徒の皆さんは、動揺せずに過ごしてください……先生の声が全て耳の上をうわずべった。

 朝礼が終わった時アランの姿を探した。視線を感じたのかアランも芽衣を見た。二人は静かに視線を合わせた。美羽が芽衣の腕を突いた。そばにフィオナもいた。芽衣はすぐに美羽とフィオナと一緒に教室へ戻った。

 これが現実なんだ。

 クラスメイト達は、ゆきのことについて詳しい情報を求めた。今夜が通夜だった。芽衣たちも一緒に行かないかと他の生徒に誘われ、それに頷いた。

 現実だなんて思えない。まるで心にぽっかりと穴が空いてしまったような。全て聞こえているし見えているのに、全てが違う場所で起きてるような。それを俯瞰しているような。そうだな。テレビのフィルター越しに眺めていると思えばいいんだとある時から芽衣は考えを切り替える。そうして自分の心を守る方法を考えた。けれど心の奥で暴れるものをどう処理していいのかまるで判らなかった。


 昼休みになるのを待って、芽衣たちは花壇に出た。優太の姿を探す。いつものように花壇に人々が集まり華やかだったが、それが今日は音も色も褪せて見える。優太の姿はない。用務員室を訪ねてみることにした。 

 出入り口に立つとドアが開いていて中が見えた。優太は、同じ作業着姿の中年の男性と仲良さそうにテーブルに着き、食後のお茶を楽しんでいた。中年の男性は、優太と話がしたいというと、察したように席を外した。優太の前に左から芽衣と美羽、フィオナがパイプ椅子に座って向かい合った。

「ゆきのイラストをありがとうございました」

芽衣が言った。彼はくしゃとした笑顔を浮かべた。どこか寂し気な顔だった。

「ゆき、優太さんの漫画大好きで毎回楽しみにしてたんですよ」

会話が途切れると、美羽が気を利かせて話を繋ぐ。

 優太は、天然パーマの黒い髪を手で乱暴にいじった。話すのが得意な人じゃないんだと芽衣は思った。

「一番のファンだったかも、堀川さん。たくさんいいアドバイスをもらったんだ」

唐突に小声で優太が喋り始めた。

「ゆきは物おじしない性格だからね」

フィオナが言う。

「大人の優太さんにもずい分馴れ馴れしく、作品のことあれこれ聞いてたね。この学園であったことがネタ元かとか。作者にネタバレさせてどうするのって、聞いてる私がハラハラしたわ。一番新しいお話、いじめがネタでしたよね」

誰も何も喋らないからまた美羽が話を繋ぐ。

「優太さんって、この学園に長くいるんですか?」

ふと、芽衣は思った。優太は、照れたように顔を伏せ気味にしていたが、芽衣の方へ顔を向け

「そうだ」

静かな声だった。印象的な目だと思う。真っ直ぐで静かで。でもとても暗い。

「死神が主人公ですよね」

芽衣は以前聞いた話を思い出す。

「そうです」

「優太さんって、石神先生ことを知ってますか?」

「知ってる。彼が生徒でいた頃、ここにたから」

「じゃあ、福田先生のことも?」

ふと思った。

「知ってる。優しい先生だった」

優太は視線を避けるように目を違う方へ向けた。

 彼の漫画や過去の話をしても話は弾まない。

「あれ、今日はモテてるのか?」

出入り口に男性の声がした。振り向くとスーツ姿の男性が立っていた。

 男性は部屋へ入って来た。優太は彼からかすかに視線を外し

「そんなんじゃない」

とひとり言のように言った。

 男性は、芽衣の顔を覗き込むようにした。

「あれ、石神のいとこの子だよね?」

突然言われて、芽衣は戸惑ったように男性を見た。隣りにいる美羽とフィオナもお互いに顔を見合わせていた。男性は、アランと同級生の小木義春だと名乗った。

 小木という名前を、神崎を訪ねた時に聞いた。いじめられていた生徒だ。アランがかばってアランがいじめられるきっかけになった相手だった。

「仕事はいいの?」

優太が小木に聞いた。小木は

「うん、彼女の親の会社に転職したてで外回りが多いんだ。新参者はいろいろ勉強しろってことらしいよ」

面倒だというように小木は言った。小木は芽衣に

「じゃあ、石神からいろいろ聞いてる?」

いろいろって、いじめられてたとかそういう話だろうか。

「福田先生こととか」

小木が続けた言葉に、そっちかと頷いた。

「聞きました。骨のことも、聞いてます」

芽衣は小木を真っ直ぐに見て言った。昨日帰りに福田先生の骨が一部戻ったことを聞いた。その骨と一緒にアランが書いたカードが入っていたこともだ。

「不幸って立て続けに起こるもんだよな」

営業をしているから、小木は調子がいい話し方をする。いささか無神経にも感じる。

「可哀想だね。友だちを失くして。大変だよね」

取ってつけたように聞こえるのは、芽衣が小木をよく思っていないからだろうか。

「そろそろ行かない? 授業の準備もあるしね」

美羽が何かを察したように言った。

 芽衣とフィオナが席を立った。そのまま部屋を出て行こうとしたが

「ゆきのこと、福田先生のこと、この後どうなると思いますか?」

どうしてもこのまま去れずに、芽衣は思い切って小木にそう聞いた。

 優太の方がドキリとした表情をした。

 小木は悠然と笑い

「解決するといいよね」

と言った。チラリと小木が芽衣の目を見た。

 芽衣は何故か得体の知れない感情を小木から感じ、気持ちが悪かった。視線を逸らしたが

「本当にそれだけを願っています」

とそれだけは言わずにいられなかった。


 ファミレスでアランが冷えたコーヒーをやっと飲み終える頃、神崎純平が疲れた足取りで現れた。

 神崎は一番早くできるカレーを頼んだ。アランもそれに合わせた。仕事がかなり忙しいらしい。二人は世間話をしながらそれを平らげる。世間の夕食の時間はとっくに過ぎている。どちらかと言えば夜食の時間だ。

「そうか」

アランから福田先生の骨の一部が戻ったことを聞き、神崎はそれだけ言った。

 先生が亡くなっていることは、予測はしていた。けれどこんな形で知らされれるとは全く想像もしなかった。

「仕事先のカメラマンの先生にこれちょっと話してさ。でもご両親は気持ちにけじめがつくんじゃないかって言ってた」

 福田先生の両親から、先生の葬儀を行うことにしたと学園側に連絡があった。二人は一緒に行こうと約束をした。

「連続殺人だと思うか?」

アランは、堀川ゆきの一件を話し神崎に聞いた。

「七年だぜ」

神崎は言い、頭の後ろに両手を当てると大きく身体をのけぞらせる。

 でも全てがこのタイミングで動いた。

「先生の骨が返ってきたことを考えるとさ、確かに全てが動き出したと思うんだけどさ」

神崎は顎を撫でて考える。

「お前のカードが入っていたことも考えてさ」

「それは俺をなんとか無理矢理巻き込みたいってそんな気持ちがあるんじゃないか」

アランは声を落とした。

「けれどお前が疑われているわけでもない。なあ、堀川ゆきはお前が教育実習に来た二日目に消えたんだろ」

神崎は言った。

「堀川ゆきの失踪が公になった頃、先生の骨の件で警察がお前を訪ねて来た。でも実際は、骨はお前が教育実習に来る前に、先生の父親の職場に置かれていた。単に先生の父親が発見して警察が事情を把握して、お前の所に来るのが遅れた。そしてその頃、堀川ゆきは既に殺されていた」

「つまり先生の骨が戻ってきた方が先ってことか」

アランが言った。

「やっぱり一本の線で結ばれてるな」

神崎が言った。

「どういうつもりだ」

アランが呟くと

「それこそけじめなのかな」

と神崎が言った。けれど骨をわざわざ返してくるなんて。危険を避けて監視カメラのない先生の父親の職場を選んではいるが

「それで多くの情報は判るってことだな」

福田先生の骨をどこかに埋めていた。犯人は、先生を殺した後もその死体を管理していた。だから七年も経って掘り起こすことが可能だったのだ。

「そこから一部を返す。返した部分と返さない部分。それってどう違うんだろうな。それに残りの骨はどうするつもりなんだろう」

アランは脳裏に先生が花壇で花をいじっていた指先が浮かんだ。

「けれど肝心の先生の死因やいつどこで、どんな状況で先生が殺されたのかは全く判らないんだ」

アランは言って、コップの水を飲む。

「隠したいことはきっちり隠れているってことか」

神崎も目の前のコーラを一口ストローから吸い上げた。

「全ての骨を返す気はあるのかな」

アランは言う。せめてそれが帰って来れば、死因などの詳しい情報が判る。

 神崎は、言おうかどうしようか迷ったようだが

「この後も失踪するとか殺されるとか起きないよな」

予言めいて聞こえた。

「どうしてそう思うんだよ」

アランはちょっと怒ったような声を出した。神崎はあっさり

「他の骨を残しておく意味が判らないし、骨の選び方もピンと来ない」

アランはイライラとした気持ちが隠せず

「じゃあ、この後、誰が失踪するっていうんだ? 何のために? なあ、この間先生にはストーカーがいたって話しただろう。その人優太さんって言ってまだ学園で花壇の仕事をしてるんだ。彼、漫画を描いてるだそうだ」

 神崎は自分のスマホを出すと、その漫画のサイトを探した。

「『ゼンゼンマイン』で、意味は死神から来ていると、このゼンゼンマインってアランに似てるな」

神崎は面白そうに笑った。アランはどうでもいいと

「俺よりイケメンだけどな」

と嫌味っぽく言った。

「今描いている話が『アイミル女子学園と妖しい薬』って愛広まなひろ学園を思いっ切り文字ってるな。いじめが主要なストーリーラインか」

優太はあからさまにあの当時のアランたちに起きていたことを作品に投入していると思う。

 『アイミル女子学園と妖しい薬』のストーリーラインはこうだ。


 架空の外国の地、時は中世を思わせる時代背景の中、人なのか人ならざるものかゼンゼンマインという死神を名乗る殺し屋がいる。誰かに恨みのある者が彼を訪ね、相手の死を望む。依頼を受けるとゼンゼンマインは、ターゲットの名前が書かれた紙を独特の円形の水槽の中に入れる。それが入ると中の水が動き出し、水の形が龍になる。龍は名前の書かれた紙を身体に巻き付けていく。それが龍の中に溶け込むと龍は水槽の中から底へと消えていく。これで依頼は受けられたことになる。そして恨みを向けられたターゲットは生命を奪われることになるのだが……。

 ここで思いがけないターゲット側の事情が明らかになり、依頼者、ターゲットにとってハッピーエンドになるラストを迎えることになる。


 少なくとも今まで『ゼンゼンマイン』に描かれているストーリーはそういう展開を取っている。『アイミル女子学園と妖しい薬』についてはまだ始まったばかりだ。

 神崎はザラっと内容を読みあげる。

「今回のターゲットは、かつてゼンゼンマインが愛したダンサーの女性のサッシャで、そのサッシャの夫がアイミル女子学園の校長をしているジェフで、これ、なかなかだな」

神崎は思わず笑いを漏らした。

「エミリアはいじめられっ子、いじめているのがアン=マリー、エミリアをかばっていじめられるようになった子がマルグリット」

神崎が顔を上げて、アランを見た。

「気のせいか、ゼンゼンマインはアランに似てるし、マルグリットはお前のいとこの子に似てる。その上、サッシャは福田先生に似ている」

アランも漫画の登場人物を追って気が付いた。

 思いっきり設定が実話ベースになっている。

「福田先生のことだけ取り上げれば、これは盛大なラブレターってところだろう」

作者の優太は福田先生にストーカーをしていた疑惑があった。

「じゃ、このストーリーも当時のことを模しているのかな」

神崎が漫画を読む。

「でも、実はアン=マリーが妖しい薬に関係していたり、学園自体が妖しい薬のやり取りに関係していたり……ゼンゼンマインが愛するサッシャが関係しているかどうか心配して捜査する辺りは、オリジナルだろうな」

神崎は楽しそうに笑うとコーラのグラスを手に取る。アランは言った。

「これを堀川ゆきが好きだったらしい」

「いろいろ意味深だな」

 優太と堀川ゆきの間に作者と読者以外の何かの繋がりがあったとしたら……。

「福田先生のストーカーと噂のあった彼はどう考えても疑惑の最重要人だ」

神崎の声は、かつて迷探偵団をしていた時のように楽しそうだった。

 アランは

「でも優太さんが先生のストーカーをしていて、仮に先生の失踪や殺人に関係していて、それをこんな漫画に描くか?」

と聞いた。神崎は確信がありそうな口調で

「表現したい奴は、事実だろうが何だろうが、描くぞ。自分の犯行がバレたとしても描くぞ。自己顕示欲っていうか、描きたい衝動は止められないな」

と言った。神崎もカメラマンになりたい男だ。

「俺だって、やっちゃうかもしれない」

と物騒なことを平気で言う。

「そんなもんか」

アランとしてはそんなことで自白してどうすると思うが

「そんなもんなんだよ。アーティストの本性なんてさ、ろくでなしだよ。期待すんな」

自嘲するように神崎は笑った。

「じゃあ、いっそのこと作品を通して全てを告白してくれるといいな」

アランは嫌味半分、自棄が半分で言った。

 神崎はニヤリと笑う。

「残念ながらアーティストはオリジナルを欲するもんだ。そう簡単には事実なんて話さないさ。それに現実は大体にして汚いしな」

汚いさ、アランは呟いた。だって人を殺している。その骨を返してきている。正気の沙汰でしているわけがない。

 この事件の犯人はどんな気持ちでこれをしているのか。本当はそんなことなど考えたくもない。犯人の頭の中など覗きたくもない。

 けれどそれをしないと事件が解決しないのなら……。

 アランはコップの水を飲み欲し、ガツンとテーブルに打ち付けた。

 その様子を見て、神崎は面白そうに笑っていた。


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