第2章 ゼンゼンマイン 第6話 新鮮な白骨
ドアを開けると、前に広がる応接セットに、校長と教頭と向かい合って座っている男性二人の姿があった。
「石神先生です」
教頭がしゃがれた声で二人に言った。アランは二人の男性の方を見る。二人の男性は立ち上がる。スーツ姿で、三十代初めの男性が胸の辺りできらりとバッチが光る警察手帳を見せた。ついで隣りの大柄のまだ二十代半ばの男性も同じように警察バッチを見せて軽く会釈をした。
「警視庁の松木です」
三十代初めの男性はそう名乗った。
「田尾です」
二十半ばの男性は続いて勢いよく言った。
二人とも階級は刑事だ。アランは初めて刑事を見て、その場に立ち尽くした。教頭がアランを手招きし、彼らと向かい合って座るようにうながした。校長と教頭はそのまま席を立つ。
「石神先生、少しお話を伺ってもいいですか」
と松木刑事が言うと、校長と教頭は部屋を後にしようとする。アランは訳が判らないまま今まで校長たちがいた側に座った。アランが教頭を見ると
「お話があるそうだから、ね」
と言って、さっさと校長と共に退出した。
松木刑事は改めてアランに向き直った。
「石神アランさんですね」
松木刑事は、確認するように言った。目つきの鋭い男だった。痩せ型の体形でいかにも切れ者という感じだ。対する田尾刑事は後輩で、どこかぼやっとした雰囲気がある。体育会系だというのは、スーツの下の筋肉の具合で判った。彼はアランの外見に興味があるらしく、さりげなく観察していあ。隠し事ができない性格なのかもしれない。あまり刑事向きの性格には思えない。
「教育実習でこの学園に来ていらっしゃると伺いましてね」
松木刑事は、愛想よく話し始めた。
「石神先生は、福田先生をご存知ですか」
突然、松木は切り出した。アランは頷く。
「七年前に失踪された、と」
福田先生の名前が出てことにアランはドキリとする。どんな流れなのか全く判らない。
「先生がどうかしたんですか?」
もしかして行方が判ったとか? 一縷の望みをかけて言った。
「ええ……その失踪に進展がありまして、こうして我々が捜査をすることになったんです」
松木はアランの期待に満ちた言葉に、一瞬言いよどんだようだ。
「幸せですよね。無事なんですよね」
不穏な空気に、アランは言った。
「ええ、一昨日、福田舞さんの骨の一部が見つかりました」
松木は言いにくそうに、でもはっきりと言った。
アランは絶句したまま、松木を見つめた。
「骨?」
息のような声が漏れる。何を言い出そうといているのか全く理解ができない。
松木は場の空気を和らげようとしてか、かすかに微笑んだ。
「まだ鑑定が済んでませんので、それが福田舞さんのものと断定されていません」
松木はアランの目を避け、感情を抜きにして一気に話し始めた。
「発見されたのは、福田舞さんの父親である福田貞雄さんが定年退職後に勤めるいる小さな事務所です。その日、三十代の女子パート社員が出勤すると、事務所の入り口のマットの上に、箱が置かれていました。直径二十センチ×十五センチで高さが五センチくらいの箱で、白い包装紙に包まれていました。上には青いリボンがついていました。その箱の宛名が、福田貞雄様になっていたことから、女子パートの方は、福田さんの使っているデスクの上にそれを置いておきました。そして福田さんが出社してくると『プレゼントみたいですよ』と声をかけたんです」
松木はいちいち両手で箱の大きさを示したり、女子パートの声真似に挑戦したり、語り口を工夫しているのが、今のアランには不思議なだけだった。
「それを福田さんが受け取り、開けてみたところ……箱の中には白い骨と思われる物体が多数入っていたんです」
そして通報となった。
「骨は人骨で、指の骨……、基節骨、中節骨と言われる部分が八か所ありました。左右バラバラにしたもので特に意味を持って指を選んだわけではないようです。ただ白骨化してから七年は経っています。指のその部分の骨しかありませんからどうして亡くなったかそれも全く判りません」
だから? アランはただ松木の話を待った。
「福田さんには七年前に失踪した一人娘である舞さんがいました。当然そことの関係を疑うわけです。先ほども言いましたように、骨は人骨であることは判りましたが、まだ舞さんのものとは断定されていません」
何故かアランはとても冷静だった。
「どうして、僕に?」
福田先生の失踪をアランたち生徒は知っている。けれどこういう場合、まず身内に話が行くだろう。その後、当時の生徒に話を聞くということはあるだろう。しかし、訪ねて来方が、なんだか特別な意味があるような気がした。
「骨は土の中に埋まっていたようで、骨や箱の中に複数の土もあったんです。落ち葉が混ざっていたりして、まあ……掘り返して手の骨だけを選んでお父さんに送ったと思われるような状態でした。落ち葉の中には小さな石も混ざっていました、そこに一枚のカードも混ざっていました」
松木はじっと、アランを見ていた。アランの反応を見ていた。脇にいる田尾刑事が動いた。彼はテーブルの上に、ある物を取り出した。
証拠品を入れるようなビニール袋に入っていたのは、土で汚れた一枚のカードだった。
アランは、そのカードを覗き込む。
『先生、ありがとう』
カードの中央に書かれた文字を見たアランは、背中から水を浴びせかけられたようなショックを受けた。
俺だ。俺が先生に上げたカードだ。
アランは青い目を見開いて、松木を見返した。
「見覚えがあるようですね」
松木の顔は意外なことに優しかった。
「僕が書いたものです」
カラカラに乾いた喉でどうにか声を押し出す。
カードの『先生、ありがとう』の文字の下に土で汚れてかすれたアランの署名、石神アランとあった。そんなものを見なくても判った。
「これを先生に渡したのはいつですか?」
松木は優しい眼差しのまま、アランに言った。けれど彼は自覚していた。これが取り調べであるということだ。
「二学期の初日です」
まるで犯行を自白するように、乾いた喉から言葉を押し出した。
アランにとってそれは一大決心でしたことだった。
「どんな理由があって、先生にこれを渡したんですか?」
「……一学期の終わりの頃、先生にお世話になることがあって、そのお礼の意味で、夏休み中考えて、これを先生に渡したんです」
自分の手からカードが離れ、先生の手の中に移って行く様子を今もまざまざと思い出すことができた。
「先生はそれをずっと持っていたんですね」
アランは握り拳を作って自分の膝を思いきり殴った。どうこの気持ちを処理していいか判らなかった。
涙が溢れていた。身体が小刻みに震えて押さることができない。
「突然のことなのでね」
松木は、アランの様子を見ながらとりなすように言うが
「誰が、一体、誰が、先生を」
言葉にならない。
「一体誰が先生を殺したんだ」
アランは涙を隠すように膝の間に顔を落とし、押し殺した声で、叫んだ。
「あの頃」
アランは話していた。
「クラスメイトの江原祐一は、何が気に食わないのか、クラスメイトの数名を標的にしていじめをしていました。その中に友人だった小木義春と僕が加わることになったのです」
江原を中心として仲がいい何人かがいじめ行為に加担していた。常時標的になるのは二、三人だったがそれがやがて小木に集中するようになった。
それをかばったアランが次の標的になり、あの日—――。
その夏の初の猛暑で、気が狂いそうな日だった。江原は、手に入れたガソリンをペットボトルに入れて、それをぶつけてきたのだ。
小木は上手く逃げ、標的はアラン一人になった。彼は足が早いこともあったので、広い校庭をとにかく走って逃げた。江原は自転車を見付けて自転車に乗ってアランを追いかけて来た。
「逃げんなよ、シニガミ」
江原は叫んでいた。江原が投げたペットボトルが後ろからアランの肩に当たった。痛みで彼は呻いて脚が止まる。そこへ次のペットボトルが当たり、アランの肩から背中と胸に気持ちの悪い液体の感触が広がった。アランはまずいと察し、更に走った。
「逃げてんじゃねーよ」
執拗に江原はアランを追いかけた。
「止めなさい」
遠くで甲高い声がした。アランは息が上がっていた。足がもつれそうになる。広い所を逃げているのが限界だった。かといって、上手くどこかへ隠れられればいいが、校庭ではそれがない。
「止めないさいっ、江原君」
甲高い声は、福田先生だった。先生は、自転車に乗って江原を追いかけていた。自転車の前カゴには、買ってきたような野菜がさしてあった。
これ以上走るのは限界だ。息が上がった。足がもつれて転びそうになった。
江原の自転車がアランに近づいた。アランは肩に激しい痛みを覚えて肩を抑えた。脇にアランに当たって落下したものを見て、息を止めた。ライターだった。そのまま後ずさった。地面に落ちているライターは火が消えていたが、火がついたままあれを彼に投げつけ、ガソリンに引火していたら……。
再び走り出したアランに
「アラン」
アランの前方からやっと走り寄ってきた神崎が、アランの腕を掴んだ。すぐに三田村も走り寄ってきて、アランに青いシートのようなものを被せた。二人に脇から抱え込まれたアランは、もつれる足をどうにか動かしながら、二人に引っ張られるままに走った。後ろで悲鳴が上がった。大きな音がして何かが激しく倒れる音がした。
後から、誰かが走っている江原の自転車の車輪に向けて物を投げてそれが激中し、江原が自転車ごと倒れた音だったと後で聞いた。
アランはシートに包まれて、そのまま意識を失っていた。
「いろいろな人の力があって助けてもらうことができたんですが、そのことがあり、友人や男性教師の三田村先生にはお礼をいうことができましたが、福田先生にはどう気持ちを伝えていいか迷ってしまったんです」
それで、福田先生に新学期が始まったあの日、カードを送ったのだ。それを先生はカバンに入れたままにしていたのだろう。
「先生、殺されたんですよね」
アランは松木を真っ直ぐに見た。彼が悪いんじゃないが、警察が先生のことを失踪として放置したから、先生は殺され、何処かへ埋められ、今、骨になってこんな形でいたぶられている。アランは松木を睨んだ。
松木は、アランの視線を軽くかわした。そして
「当時事件にできる証拠がありませんでした。その結果悲しい経緯を辿ることになってしまった……」
「指の骨と言いましたね。他の部分は?」
アランは更に松木に迫るように言った。
「まだ判りません。どこか犯人だけが判る所にまだ埋められているのかもしれません」
「どうして指の骨だけ、それにどうして骨をこんな形で」
松木はアランの声をしっかりと受け止めていた。彼はできるだけ誠実に対応しようとしていた。
「骨をこんな形で返してきたの理由は、これからの捜査を待たなければならないですが、何らかの理由があってご両親に返したかったのかもしれません」
「先生のお父さんの職場にですか」
「福田先生のご両親が住んでいるマンションは、オートロックで監視カメラがあるんです。けれどお父さんが勤めいている事務所にはない。理由はそれだと思います」
「先生の両親のプライベートを知ることができる人物ってことですね」
当時先生のそばにいただけじゃなくて、今もまだ先生の両親の側にいる。
「残りの骨をどうするつもりなんだろう」
こんな中途半端なことをする理由はなんだ。
「一部だけ返してくる意味も、今はまだなんとも」
アランは唇を噛んだ。
「今、この学園の生徒である堀川ゆきも失踪しているんです」
松木はそれを聞いているようだ。松木と隣りで様子を伺っていた田尾が小さく何度も頷いた。
「七年ですからね。これも連続とするかどうかは」
つまり事件として、やっと始まったばかりだというのだろうか。
だったら、またこれからも何かが起きるということなのか。
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