第4話  迷探偵団再結成

 芽衣は昼休みに美羽と中庭に行った。数人の生徒が花壇に集っていた。花壇民と呼ばれる生徒たちとはクラスが違っても学年が違ってもここへ来れば会える。夏休みや冬休みの前は特に賑わう。その理由は密かなロマンスが誕生するからだと聞いた。

「来年は私も花壇デビューしようかな」

美羽がのんびりした口調で言った。一年生は入学して間がないため花壇を借りることができない。二年生と三年生が中心になって借りている。高等科や大学生も場合によっては希望が出ることもある。定員は二十人で、抽選で決まるというから驚きだ。

「どこの区間を借りられるかで、差が出そうよね」

という美羽は狙っている場所があるらしい。ちょうど花壇の中央に小さな噴水がある。普段は水が出ていることはない。水道代が大きな理由だ。その近辺は土が潤っていて特に育ちやすいという噂がある。

 美羽はあちこちを見回し、すでにイメージングに余念がない。

 橘美羽たちばな みわは、少し長めの髪をハーフアップにしてる。あまり癖のない綺麗な髪で、本人はシャンプーリンスを丁寧にしてるから保てる髪だと言っていた。卵型の顔に大きな目と丸い鼻先、小さい少し厚めの唇が親しみやすくてチャーミングだ。背丈は芽衣とあまり身長が変わりない。贅肉の薄い背筋の伸びた体形は子どもの頃からしてるバレエの影響のようだ。ちょっとした仕草も綺麗で芽衣はいつも憧れた。美羽は将来は留学してできればバレエの仕事をしたいと思っていた。それゆえ英語には力を入れていて、英語の担当の教育実習生のアランにも興味が強かった。

「一生懸命水やってるのに、なかなか咲かないのよね」

二年生の生徒のそばに、フィオナ・ベルと堀川ゆきがいた。彼女たちも来年の花壇デビューを目指している口だろうか。彼女たちのそばを作業着を着た若い用務員が通り過ぎた。チラリとゆきを見た。ゆきも彼を見返す。他の生徒とは違う空気を醸し出していた。

 芽衣の母の菜々子はガーデニングに興味があるらしいが、芽衣はあまりない。母はハーブを育てたりしてお茶にしたりサラダに入れたりしていた。そうだな、例えばサラダに入れる野菜とかなら作ってもいいかなと、芽衣が考えることは現実的だ。

「なんかこの花がなかなか咲かない感じ、私の恋の展開みたい」

上級生はふざけた。ゆきが楽しそうに笑っていた。上級生の友人が隣りでスマホを覗き込んで

「なんだ、更新してないじゃん」

と呟く。ゆきが立ち上がってスマホを覗き込んだ。

「あ、『ゼンゼンマイン』見てるんですか?」

と言った。

「何それ」

上級生が聞くのに、フィオナが

「ウェブ漫画ですよ。優太さんって人の作品で中々の人気なんですよ」

上級生の友人が

「更新不定期みたいね」

「みたいですね」

ゆきがよく知っているらしい。隣りのフィオナに笑いかけた。フィオナもよく知っている顔で頷いてる。芽衣は全く知らない。

「ウェブ漫画の人気も、恋も継続ですよね」

ゆきがなかなかうまいことを言う。

「私はやっと咲いたって感じです」

「あなたも漫画描いてるの?」

上級生が面白がってゆきに聞くと、ゆきは長めの前髪をサラッとかき上げ

「恋が、ですよ」

 と、大人ぶった口調で答えた。ゆきはどこか芽衣たちと違う雰囲気を持っている。

「彼氏って、同じクラスの子とか?」

「小学校の時の担任です」

サラっと答えるゆきに

「え? マジでぇ」

と話の方は花が咲いたらしい。

堀川ゆきは、愛らしい丸い顔立ちをしている。セミロングの柔らかそうな髪はツインテールでまとまっていた。眉は緩い弓形に手入れされ、少し切れ長の目のまつ毛も綺麗にカールされていた。この目元がクールな印象を作っている。小鼻の目立たない小さな鼻の下には少し大きめの口があった。その唇も表情がとても豊かだ。彼氏がいるらしいという話は芽衣も聞いたことがあった。ゆきには芽衣が見てもドキッとする女らしさがあって、なんとなく納得するところではあった。ぷっくりと関節の目立つ手足をしているが、女性らしく肉の乗った身体は、男性からすると年齢以上に魅力的に見えるのかもしれない。

 芽衣は昨日聞いた福田先生のことを思い出した。先生もここで花を育てていた心の優しい先生だったようだ。それが失踪して未だにどうなったか判っていない。そんなことがこの学園で起きていたなんて想像もできない。アランの暗い表情が気になった。

 ふと視線をやると、当のアランが高羽先生と一緒に歩いてきた。こうして学園でアランに会うとなんだか気まずい。

「どうしたの?」

美羽が芽衣の顔を覗き込んだ。そして芽衣の視線の先にいる人物を見る。

「やだ美羽、何見てんのよ」

芽衣は慌てて美羽の視線を逸らそうとした。


 アランはの目が芽衣を見付けた。気にしてるせいか、行く先々に芽衣がいるような気がした。芽衣と学園で会うのはやはり気まずい。芽衣の先の花壇に目がいった。芽衣の近くの花壇は特に女子生徒で賑わっている。芽衣と仲がいいらしい三人の女子生徒が花壇と向かい合いアランに背中を見せていた。そのそばに一人の用務員の姿があった。枯れ草の作業着と同じ色の帽子を被っていた。日焼けを気にしているのか帽子を深く被っている。日に焼けた黒い鼻先が少し見えた。彼は花のことでなにかのアドバイスをしてるようだ。昔もこんな光景があったなと思う。芽衣がアランを睨みつけて来た。あっちも気まずいと思っているんだろう。隣りにいるハーフアップの少女が芽衣の視線の先を追ってアランに目を止める。芽衣が慌てて少女を違う方向へ気を逸らそうとしている。

 用務員が顔を上げた。少し帽子を持ち上げて首にかけているタオルで汗を拭った。横顔が少し見えた。アランはその顔を知っていると思った。誰だったかとっさに名前が思い出せない。まだ若い男性だ。アランが中学にいた頃にここに勤めていたのかもしれない。長い鼻と長いまつ毛を見た。

 そうだ。福田先生とあんな横顔の男性がここでやっぱり話をしていた。

 アランはふいにめまいを覚えた。

 もう中学生じゃないのに。あの当時の記憶が突然彼の頭の中に溢れてきそうになった。

 あのいやだった思い出さえも、再びアランの中に蘇って来て、胸が苦しくなった。

 教育実習にここへ戻ったことは、失敗だったかもしれない。アランは軽い後悔を覚えた。しかし、芽衣の叫び声で、それは吹っ飛ぶ。

「ほらほら、白状しなさいよ」

いつの間にか堀川ゆきが芽衣の肩を突いていた。

「違うって、なに誤解してんのよ、ゆき」

芽衣は必死に否定していた。何を否定してるんだろうと思ったが、チラチラと女子生徒たちの視線が飛んでくることで、隣りにいる高羽が耳打ちをしてきた。

「ファンクラブができそうな勢いですね」

芽衣はゆきに突かれて顔を赤くしてる。

「倉本さんが、石神先生のもっとも熱烈なファンってことですかね」

「いい加減にしてよ、ゆき」

芽衣は怒ったようにゆきに言い、ゆきの肩を思い切り押した。ゆきは弾かれた様に笑った。そばにいた美羽やフィオナがあまりにムキになる芽衣を面白そうに見ていた。けたたましい少女たちの声が響く中、用務員は一人下を向き、その場の空気に馴染めずに去った。 

 

「よお、妹連れか」

玄関からひっこり顔を覗かせた無精ひげを伸ばした神崎が、アランをチラリと見るとその背後にいる芽衣に素早く目をやった。

 何の弾みか、芽衣までついて来ることになった。神崎の木造の二階建ての家は学園から電車で数駅と近い。当時もよく放課後に集合した。元々は祖父母の家でそれをリフォームして住んでいると聞いたが、年月と共に再びくたびれてきていた。

 二階にある神崎の六畳の部屋は当時の雰囲気を残していた。壁にベタベタと貼られたアイドルのポスターの上には、新しく風景などの写真が貼られていた。神崎が撮ったものなのか好きなカメラマンの写真かは、アランに区別はつかなかった。ベッドも机も当時のままだ。ベッドカバーは新しいものに変わっていた。母親の趣味だ。この年齢には似合わない花柄が浮いていた。勉強机は物置になり、ベッドのそばにある背の低いテーブルは、使いこんだ傷が目立った。

 神崎は、高等科へ進み卒業すると写真の専門学校へ進学し卒業した。この春から商業カメラマンのアシスタントの仕事をしているという。写真の仕事に進んだことはある程度納得する進路だが、大学へ進学しなかったことは意外だった。経済的な事情があったのかもしれない。

 神崎は、筋肉質だが痩せた体形をしている。昔から細い方だったがそれとは違う痩せ方が気になった。不健康な生活をしているんだと想像できた。それが仕事のせいかは判らない。最後に散髪したのは半年以上前のようだ。忙しいからなのか経済的な理由なのか判らなかった。中学の頃彼は理論的で潔癖だった。威勢があっておかしいことには大きな声を上げた。その頃と比べると、七年の時間の経過は彼を薄汚れた青年に仕立て上げていた。

 芽衣は、年季の入った絨毯の上にちょこんと行儀よく座った。学園からそのまま来たので、制服姿だ。神崎はその姿を懐かしがって、芽衣をからかった。神崎は持ってきた缶コーラを、アランと芽衣の前に無造作に置いた。そうだ。神崎と言えば、この缶コーラだ。これは全く変わっていない。芽衣は細い指をさっそくプルトップにかけた。

「俺もいろいろ思い出してさ」

そう言って、神崎はテーブルの上に古いノートを三冊放るように置いた。色あせた表紙には見覚えがあった。神崎がアランと小木と話したことを書き留めていたあのノートだった。

「初動捜査が間違っていたの典型的な例だよな」

神崎も自分の分の缶コーラを持ち上げた。当時の記憶が蘇る。アランはアランたちなりに先生の行方を心配し、考えられることをした。必要であれば話を聞きに行った。中学生のすることであっても、できることはした。少なくとも当時の警察よりはしたのだ。

「初動捜査って言っても、結局事件なんですか?」

芽衣が真顔で突っ込んでくる。神崎は腕を組んだ。

「そう、そこ。単に失踪しただけ、だったら個人の事情の問題になる」

「先生って言っても、大人だから全く問題がないわけじゃないですよね。恋愛関係、対人関係、家のこととか、仕事の悩みとか、ありますよね」

「そうだね、問題はないわけない」

アランには仕事の悩みというところが大きく響く。

「突発的なことっていうのもありますよね。交通事故に遭ったとか」

芽衣なりにいろいろな推理を巡らせている。

「一人の人間が消えるなんて、本当は相当な事情がなければおかしいよ」

アランたちが当時思ったことだ。

「なかったんですか? 福田先生になんらかのトラブル?」

神崎はアランを見た。中学生の前で言っていいのかと聞いている。アランは微かに頷いた。

「恋愛問題っていうのは、あったかもしれない」

「やっぱり」

「恋愛問題、仕事の悩み」

神崎が節をつけてもう一度繰り返した。

「でも失踪するようなことかっていうね」

神崎は曖昧に言って無精ひげをいじる。

「恋愛ってことは誰かいたってことですよね。今カレとか、元カレとか」

芽衣は積極的に話を進める。

「今とか元とか、ストーカーとか、いろいろあるわな」

芽衣が身を乗り出すのを、神崎は適当にはぐらかした。

「江原、死んだな」

声のトーンを落とし、突然その名前を口にした。ああ、とアランは答える。十八歳になって間もなくだった。アランは日本へ帰ってきて成人式の頃に聞いた。

「あいつもいろいろ家であったらしいな。ずい分苦しんだと後になって聞いたよ。だからっていじめをしていいってことじゃないが」

芽衣がハッとしたように息を飲んだ。芽衣も知っているんだと、アランは気づいた。

「バイクで激突とか、派手だな」

独り言のように神崎は言った。死者は責められないと神崎は思っている。そしてアランもそれはしずらい。ある意味、江原に逃げ切られたと思ってしまう。

 何とも言えない空気が三人の間に流れた。

「福田先生にはストーカーがいたってことですか?」

芽衣が空気を換えようとはりきって話し出す。

「そういう形跡はあったよ。でもはっきりそうとも言えなくて。ちょっと付きまとったりしつこく話しかけたり、そこをどこで区切るかというとね」

「あの用務員か」

昼間、中庭で芽衣たちと話していた青年の姿を思い出した。

「用務員?」

芽衣が訝しそうに聞き返す。

「まあ、花壇関係でその辺とは交流が激しかったかもな」

神崎は芽衣を前に、話の展開の仕方は気を遣っていた。

「江原のこととか……そこから来る仕事上の悩みな……生徒にどう指導するべきかとか、なんか付きまとってないかこの用務員とか……そんなもんだ」

神崎は軽くまとめた。

 芽衣も話の成り行きを感じて、曖昧な微笑みを浮かべて無難な話に切り替えた。こいつ、こんな気の遣い方もできるんだなとアランの方が少し驚いた。

「先生、生きてますよね」

芽衣が唐突に言った。彼女なりに、そうであってほしいと思うのだ。

「もちろん」

神崎は、それに乗る。

「そうだな。現実には死神なんていないからな」

アランが二人のように軽く言ったつもりだったが、神崎も芽衣もその言葉に一瞬息を飲んだ。

 アランはその反応に、戸惑う。神崎のみならず、芽衣も当時のアランの仇名を知っていた。名字の石神を死神にかけて江原が言っていた仇名を、芽衣も知っていた。

「ねえ、それって」

芽衣はアランを真っ直ぐに見て

「アランがいじめられてたことと、福田先生の失踪は関係があるってことなの?」

真っ直ぐにアランを見ていた。

「違う、と思っている」

アランは声を絞り出した。そのことを考えると、アラン自身がつらい。だからあまり結び付けて考えようとしない。

「直接ではないよ。当時いじめられていたのはアランだけじゃない。江原とその周辺の標的は数人いたよ。アランは……結局小木をかばったからとかそんな理由だ」

芽衣を不安にさせないように、神崎が話し始めたが、途中で言葉が消えた。神崎は考えをまとめ直し

「だから仕事のこと、生徒の問題で悩んではいたけど、それが直接失踪に関わったかというと、何とも言えないよ」

アランは福田先生のことを心配した。その心の反面はいつも自分を責めていた。

「そうなんだ」

芽衣は納得した様子ではなかったが、それでも受け止めようとしていた。

「ストーカーの方は、どうなんですか? それでも警察は動かなかったんですか?」

アランは神崎を見た。神崎は目を伏せた。

「揉めていたという証言もなかったわけじゃないけどね」

歯切れが悪く言った。

「学内のこととなると、こういうことに学校っていうのは消極的だからね。先生が学内から消えたわけでもないしね」

「でも一度学園に戻ったって」

「かもしれない。けれど戻ったという証言はとれなかった。その後、また学園を出てそこで消えたなら、あくまで先生のプライベートの時間に起きた問題だよ」

神崎がいうことは、あの当時アランたちも疑惑に思い追及し、最終的に事件性がなしとなったことだ。

「でもそんなの……」

芽衣の言いたいことは判るが、どうしようもなかった。その結果がこの七年の月日の経過となった。

「おかしいよ」

芽衣がそう言いたいのも判る。だが、じゃ、何ができるかと言えば。アランたちも思い月日だけが過ぎた。そして今またこうして話が蘇っても、じゃ、それこそ七年も経った事柄をどうすればいいのか。

 重い沈黙が、三人の中に流れた。


 帰り道、アランは芽衣を送った。電車の中で二人とも無口だった。芽衣はアランの中学時代のことを改めて知って何をどう言えばいいか判らなかった。アランもアランで芽衣がどう思っているか気になっているだろうが、言い出すきっかけがなかったようだ。

 芽衣は手持ち無沙汰もあってスマホに目をやる。通知が来ているのに気づいた。美羽からのラインだった。

 『ゆきから連絡ない? 家に帰ってないんだって』

芽衣はその文面を見て驚いて美羽にどうしたのかと送り返す。

「ゆきが帰ってないんだって」

軽い振動に身を任せて吊革につかまっていたアランに芽衣が言う。アランがどういうこと? という顔で振り返った。

 美羽からの返事によると、美羽の電話番号を知っていたゆきのお母さんから、ゆきが帰ってないが、何か聞いてないかと聞かれたらしい。知ってる友だちにも聞いてくれと言われたという。

 アランは時計を見た。もう午後十時に近い。

「遊びに行ってるとか、そんなことかな」

芽衣はわざと明るい方へ考えてみた。アランも芽衣の気持ちを察してか、そうだなと小さく頷いた。

 まさか、ゆきまで、失踪とか、ないよね。芽衣は心の中に沸き上がる言葉を抑え込むのに必死だった。 

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