新たなる手札

第57話 終結への道程

 戦時下であるのにもかかわらず、正月の雰囲気は意外に明るいものだった。

 日本はドイツやイタリアと共同で世界屈指の大国である英国をその軍門に下したからだ。


 その英国を屈服させる原動力となったのが遣欧艦隊だった。

 北大西洋海戦において遣欧艦隊は英連合艦隊と激突した。

 この戦いで遣欧艦隊は洋上航空戦それに砲雷撃戦で英連合艦隊を圧倒した。


 戦果は破格だった。

 空母や戦艦それに巡洋戦艦といった主力艦を合わせて一八隻、さらに巡洋艦や駆逐艦といった補助艦艇をこちらは六六隻も葬っている。

 マーシャル沖海戦やオアフ島沖海戦に比肩する戦果を挙げたうえに、しかも自軍の沈没艦は皆無だった。

 つまりは、遣欧艦隊はかつての世界最強海軍を相手にパーフェクトゲームを成し遂げたのだ。

 これで、国内が盛り上がらないはずがなかった。


 だが、浮かれまくる国民とは裏腹に、「海軍省戦争経済研究班」に集う者たちは、一人を除いてその誰もが表情に苦い色を浮かべていた。

 英国が戦争から脱落したことは非常に喜ばしい。

 このことで、米国は欧州解放という大義名分を失ったからだ。

 しかし、彼の国はそれでもなお戦争継続の姿勢を崩していない。


 「最大の同盟国であり、また欧州への足がかりあるいは橋頭堡の地勢にある英国が脱落すれば、米国はかなりの確率で戦争から身を引くと考えていたのだがな」


 知米派をもってなる軍事参議官の山本大将といえども、米国のこのかたくなな態度は想定外だった。

 米国は国力こそ強大だが、しかし精神面においては日本ほどの強靭さは持ち合わせていないと山本大将は考えていた。

 だから、彼の見立てでは、米国民はとっくの昔に戦意を喪失しているはずだった。

 だがしかし、現状はそうなってはいない。


 「昨年の夏までに四隻の『サウスダコタ』級戦艦が、年末には『エセックス』級空母の一番艦である『エセックス』が就役した。同級の二番艦それに三番艦も春までに完成する見込みだという。さらに、これに加えて巡洋艦改造空母の一番艦が間もなく就役する。米国のことだから、こちらは一〇隻程度は軽く造ってしまうのではないか。

 まあ、なんにせよ米国は年内に十数隻の大小空母をその戦列に加えるはずだ。あるいは、このことが米国が戦争を止めない大きな理由なのかもしれん」


 山本大将の話を受け、塩沢大臣が米国の建艦事情を開陳する。

 その声音と表情には少しばかり呆れの色が滲んでいる。

 それが、山本大将の甘い見立てに対するものか、あるいは常軌を逸した米国の建艦ペースにあるのかは、当人以外にその真意が分かる者は誰もいない。


 ところで、戦前の計画である米国の二大洋艦隊整備法案だが、同案では一一隻の新型空母が建造されることになっていた。

 しかし、戦争が始まった今ではそのオーダーは三二隻にまで膨れ上がっている。

 もし、仮にこれらのうちの半数が戦力化されれば、その時点で帝国海軍の勝ち目は限りなくゼロに近いものとなるだろう。

 逆に、米国としては勝つことが分かっているのだから、なにも慌てて戦争から降りることはない。


 「時間が米国を利することは分かっているのだがな・・・・・・」


 もどかしさを隠そうともせず、山本大将が愚痴をこぼす。

 米海軍が復活を遂げようとしているのと同様、帝国海軍もまた同様に戦力の充実に努めている。

 水上機母艦だった「千歳」と「千代田」の空母への改造工事が月内に終わり、夏から秋にかけてマル五計画で建造が開始された三隻の「雲龍」型空母が就役する見込みとなっている。

 しかし、これらに続く空母はそのいずれもが来年以降の完成となる。

 残念ながら日本は、建艦ペースにおいては米国の足元にも及ばない。


 そして、現状は手詰まりだ。

 オアフ島を占領して米国にさらなる圧力をかけようという声もあるが、しかし同島はあまりにも遠く、とてもではないが補給が続かない。

 他にも、再び連合艦隊を欧州に差し向けてドイツ艦隊やイタリア艦隊とともに大西洋を西進、米東海岸の主要都市を痛撃しようという勇ましい意見もあった。

 しかし、さすがにこちらは夢物語だとして一蹴されている。


 「米国の継戦意志を刈り取るのであれば、あと一撃入れればたぶん十分だと思いますよ」


 そう言ったのは敏太だった。

 特務中佐が大将の会話に割り込むなど、ふつうではあり得ない。

 しかし、敏太については今さらだ。

 「海軍省戦争経済研究班」のメンバーたちは一斉にその彼に顔を向ける。


 「米国が戦争を続けるのは政界とそれに経済界の意志によるものです。ルーズベルトは是が非でもドイツを打倒したい。米国経済に大きな影響力を持つユダヤ資本の連中は、ユダヤ人を迫害するナチスをどうあっても許せない。さらにつけ加えて言えば、官界もまた戦争の継続に賛意を示す者が多い。こちらはソ連共産党の意を受けた輩です。

 一方で、庶民たちのほうはこの戦争からさっさと手を引いてほしいと願っている。この戦争は米国民の意志ではなく、ルーズベルト個人の戦争だと思い込んでいる者が大半ですから」


 日本は国内に対しても、また米国に対してもこの戦争はルーズベルト大統領の個人的な思惑によって始められたものだというイメージ戦略を推し進めている。

 この措置は一定の効果を上げ、日本国民の間では悪いのはルーズベルト大統領とその取り巻きであって、米国そのものでは無いという認識が一般的となっている。

 その策略を練ったのが敏太であり、それを現実のものとすべく奔走してきたのが「海軍省戦争経済研究班」のメンバーたちだった。


 「あと一撃というが、なにか具体的なビジョンといったようなものはあるのですか」


 軍令部総長の百武大将がどこか縋るような目で敏太に問いかける。

 百武総長は途中から「海軍省戦争経済研究班」のメンバーに加わった一人で、自他ともに認める親米派の提督だ。

 その彼は他の将官と同様、敏太から多額の工作資金を受け取っている。

 そのこともあって、敏太に対する態度は他の将官たちと同様に丁寧なものとなっている。


 「マーシャル沖海戦やそれにオアフ島沖海戦に匹敵する、つまりはもう一度太平洋艦隊を完膚なきまでに叩き潰せば良いんですよ。仏の顔も三度までという言葉がありますが、それは米国民にもあてはまります。一度や二度ならともかく、三度も艦隊を全滅させれば、さすがにルーズベルトも言い訳は出来ないでしょう。そのタイミングで日米の戦争を終結へと持っていきます。その際、一部の方にはその手を血で汚してもらうことになるかもしれません」


 そう言って、敏太は露悪的な笑みを浮かべる。

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