第34話 搦手
一八隻の空母と四〇隻の駆逐艦、それに一〇〇隻にものぼる海防艦。
それらの建造費の献納。
その約束を取り付けたところで、塩沢大臣は資金提供の話を打ち切ろうとする。
これ以上、札田場敏太という個人に依存するのは、あまりにも危険だと判断したからだ。
しかし、敏太のほうはそんな塩沢大臣の思いに忖度するような様子も見せず、一方的にさらなる支援を提案する。
「工作艦についてもこれの建造費を提供します。戦争が始まった以上、修理案件が激増することは必至です。工作艦を要所要所に配しておけば、小さな損傷程度でいちいち本土に戻す必要も無くなるでしょうから。このことで、海防艦や駆潜艇といった護衛艦艇の回転率は間違いなく向上するでしょう」
現在、国内の造修施設はどこもフル回転だ。
敏太の資金提供でそれらの数もその能力も従来に比べて格段にアップしている。
そのうえ、拡張工事やあるいは新規建設も進めている。
しかし、それでも旺盛な需要がそれら造修施設の処理能力を上回りつつある。
さらに、ここに損傷艦の修理が加われば、間違いなくオーバフローする。
だが、複数の工作艦があれば、かなりの程度それがマシになることは間違いない。
それに、敏太の言う通り、本土以外の要所に工作艦を配置しておけば、間違いなく艦艇の回転率は上がるし、燃料の節約にもなる。
そう判断した塩沢大臣は敏太の申し出を受け入れることにする。
「それで、話は変わりますが、例の名簿は完成しているでしょうか」
資金提供の話は済んだとばかりに、敏太はさっさと話題を旋回させる。
時間を無駄にしないやり方は、一方の塩沢大臣も望むところだ。
「完成しています。太平洋艦隊の捕虜については、その全員の名前ならびに階級を確認しています。それと、本土へ移送途中あるいは本土の病院で死亡した者についても同様です」
マーシャル沖海戦で、太平洋艦隊は四〇〇〇〇人近い将兵を一度に失った。
さらに、海戦に参加したすべての艦が撃沈されたものだから、生存者も少なくその数は全将兵のうちの一割に満たない。
その生存者の名簿を速やかに作成するよう、敏太は海軍省に依頼していた。
本来であれば、民間人扱いの特務中佐の頼み事など一顧だにされない。
しかし、大スポンサーの依頼であればこれを無下にすることは出来ない。
それに、どのみち帝国海軍でも作成する必要があったこと、それに敏太の使用目的が米国を戦争から引きずり降ろすためのものだと認められたことから、特急指定で作業が進められたのだった。
その名簿はルーズベルト大統領に対する嫌がらせに利用される。
もちろん、制作・監修を行うのは敏太その人だ。
日本国民を激怒させたハル・ノート。
それを名簿と抱き合わせで米国のマスコミならびにルーズベルト大統領の政敵である共和党とその関係者に送りつけるのだ。
米国では太平洋艦隊が連合艦隊との戦いで敗北したことは、すでに国民に向けて発表されている。
しかし、その内容についての詳細は伝えられていない。
一隻残らず全滅したと正直に話せば、ハワイはもちろん西海岸でもパニックが惹起しかねないからだ。
だから、米政府に代わって日本政府が米国民に周知する。
捕虜の名簿とともにその事実を発表すれば、さすがのルーズベルト大統領も言い逃れはできないだろう。
その発表文には日本を挑発し、戦争へと駆り立てたのはルーズベルト大統領だと強く印象付けるコメントを添える。
ハル・ノートがそれを裏付けるなによりの証拠となるはずだ。
また、捕虜となった将兵のエピソードも実名で添える。
故郷に帰りたいと、泣きながら息絶えた水兵。
戦友を救うべく燃え盛る艦の中に飛び込み、しかし二度と戻らなかった機関兵。
その身を盾に、命を賭して若年兵を爆発から守り、一方で自身は無数の弾片に切り刻まれて事切れた古参の曹長。
重傷を負い、最後は本国に残した婚約者の名前をつぶやきながら逝った若き士官。
その誰もが国を守るために、愛する者を守るために傷つき倒れていった。
もちろん、エピソードの最後には大日本帝国として米将兵の勇気と献身を讃え、さらに哀悼の意を表すというワードも忘れない。
そのことで、逆に米国民はこう思うだろう。
太平洋艦隊の将兵たちは立派に戦った。
しかし、その彼らが理不尽な死を迎える原因をつくったのはルーズベルト大統領その人ではないのかと。
そして、この日米間の不幸な戦争は、本当のところはルーズベルト大統領個人の戦争ではないのかと。
一方、日本の国民に対しても似たような措置を取る。
悪いのは米国ではなくルーズベルト大統領とその取り巻きなのだと。
だから、太平洋艦隊の将兵の美談は、お涙頂戴ものが好きな日本国民に対しても時期を見計らって伝えることにしている。
相手に対する敵意が米国や米国民ではなく、ルーズベルト大統領個人に向けられれば、講和に向けたハードルがその分だけ下がることが期待できる。
日本人が米国人を憎んでしまえば、できるはずの講和もできなくなってしまう。
もちろん、敵を讃えるのだから、相応の根回しは必要になってくる。
「敵を褒めるとは何事か!」といったような、どうでもいいことを声高に叫ぶ器の小さい人間はどこの組織にもいるからだ。
そこらあたりについては、帝国海軍の政治それに人事を司る塩沢大臣に任せるしかない。
しかし、それについては敏太は楽観している。
敏太から見て塩沢大臣は当たりだ。
少なくとも前任の及川大将よりはよっぽど信頼がおける。
いずれにせよ、当面必要とすべきネタはそろった。
日本を挑発した確たる証拠となるハル・ノート。
マーシャル沖海戦の惨敗を証明する捕虜のリスト。
そして、講和のハードルを下げる、あるいはルーズベルト大統領に敵愾心を向けさせるなど、使い方次第で万能ツールとなる太平洋艦隊将兵の美談エピソード。
これら三点セットをうまく調合し、紙爆弾に仕立ててルーズベルト大統領にぶちかましてやる。
それが、敏太の当面の仕事だ。
(宣伝は経済戦の基本の基だからな)
同等の商品なら宣伝のうまい方がより多く売れる。
多少の品質差なら、宣伝次第で逆転も可能。
日本と米国の差は多少と言うにはあまりにも大きいが、しかし敏太としては宣伝戦は最優先で手をつけるべき事柄だった。
なによりコストパフォーマンスが良い。
軍艦を造るよりも遥かに安上がりだ。
しかも、金がかからない割にはその政治的効果は大きい。
米国のように、世論が政治を大きく動かすような国であればなおのことだ。
それに、日本はどう逆立ちしたところで米国には勝てない。
米本土の占領などどう考えても無理だし、ハワイの占領だって出来るかどうか怪しい。
つまりは、軍事的に米国を屈服させるのは不可能ということだ。
(日本にとっての最善は米国との講和だ)
米国との国力差を考えれば、日本は搦手を駆使して引き分けに持ち込むしかない。
だからこそ、必要な手はすべて打つ。
そのための必要経費であれば、敏太はいっさい惜しむつもりは無かった。
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