第14話 金と空母

 ドア・イン・ザ・フェイス。

 本命の要求を通すために、まずは過大なダミーの要求を吹っかける。

 そして、相手に断られたら、次に小さな本命の要求を出す。

 敏太が主戦場とする経済界でもこの手の手法は広く使われている。

 おもに悪知恵が働く連中の手によって。

 だから、米内大臣の二億円にものぼる巨額な要求も、実際には一隻の建造費を除く、予算不足分の六〇〇〇万円余こそが本命なのだろう。


 二億円ください。

 だめです。

 じゃあ六〇〇〇万円でいいです。

 う~ん、それくらいであればなんとか。


 まあ、そういったところだろう。


 (ならば、それに乗ってやるか)


 そう考えつつも、それだけでは面白くないので敏太はそこに尾ひれをつけることにする。


 「三隻目の戦艦の建造費の援助についてはこれをお断りします。ですが、マル三計画に盛り込まれている二隻の戦艦の不足分については、ご要望通りこちらで用立てても構いません」


 敏太からの返答は想定の範囲内だったのだろう。

 米内大臣は相好を崩しながら敏太に感謝の念を伝える。


 「それと、空母をさらに二隻建造する費用をお出しします。空母一隻あたり八〇〇〇万円余、戦艦の援助と合わせれば二億二〇〇〇万円になります。これだけ出せば、よもや帝国海軍から札田場はケチだと言われることもないでしょう」


 帝国海軍は戦艦建造費として二億円の援助を敏太に願い出た。

 一方の敏太はそれに納得せず、形を変えて要求を上回る巨額の資金を提供すると言う。

 敏太の突然の申し出に山本次官のほうは喜色を、米内大臣は驚愕の色をその表情に浮かべる。


 「もし仮に、マル三計画で戦艦と空母をそれぞれ二隻ずつ建造すれば、帝国海軍は一二隻の戦艦と六隻の空母を保有することになります。空母については他にも『鳳翔』と『龍驤』がありますが、しかしこちらは艦型が小さすぎて戦力にカウントするにはいささか無理がある。いずれにせよ、現状ではあまりにも空母の数が少なすぎます。さらに私自身の本音を言わせてもらえれば、戦艦など建造せずに、そのリソースをすべて空母に投入してほしいとさえ考えています。もし、戦艦を建造せずに空母を造るのであれば、そのすべての建造費を拠出しても構いません」


 敏太の極端ともいえる空母重視の態度に、米内大臣は山本次官にその視線を向ける。

 どう対処していいものか、アイデア募集中といったところなのだろう。


 「私個人としては札田場さんの提案はすばらしいものだと思います。札田場さんがおっしゃる通り、帝国海軍が保有する空母は『赤城』と『加賀』それにマル二計画で建造中の二隻を除けば小型のものばかりです。この程度の戦力では、太平洋艦隊の空母群と戦ったとしても差し違えるのがせいぜいと言ったところでしょう。ただ、帝国海軍内の派閥力学を考えれば、戦艦の建造にストップをかけるのはまず無理でしょうな」


 米海軍には「レキシントン」それに「サラトガ」の二隻の大型空母と、さらに中型空母「レンジャー」の三隻がある。

 これに加えて米海軍は現在、三隻の中型空母の建造を進めている。

 軍縮条約で義務付けられている所定の通告を信じるのであれば、このうちの二隻は一万九八〇〇トン、残る一隻は一万四五〇〇トンだ。

 これら三隻がどの程度の戦力を持つのかは分からない。

 しかし、帝国海軍にとって相当な脅威になることは間違いない。

 そして、その脅威こそが山本次官の頭痛の種でもある。

 その山本次官が話を続ける。


 「米海軍は常に空母の保有数で帝国海軍の先を行っている。だからこそ、マル三計画で追いつき、可能であれば追い越してしまいたい。そして、現在の日本の造修施設はそれを可能とする能力を持っています」


 戦艦や空母といった大型艦の建造が可能な施設は横須賀工廠の船台と船渠、それに呉工廠ならびに佐世保工廠の船渠、それと神戸と長崎の民間造船所の合わせて六カ所にのぼる。

 このうち、呉と佐世保の船渠では戦艦を建造するから、残りは四カ所となる。

 つまり、予算さえ許せば四隻の新型空母の同時建造が可能なのだ。

 そして、その最大のネックである金についても、敏太がOKを出したことでその問題もクリアされている。


 札田場さんのご厚意を受けましょうと勢い込む山本次官に、しかし一方の米内大臣のほうは何やら思案気だ。

 こういう場合、急かしてもあまり良いことは無いので、敏太は米内大臣の考えがまとまるのを待つことにする。


 「二隻の空母を追加することについてだが、この場合、山本は帝国海軍の意に背き、戦艦ではなく空母の建造を札田場さんに勧めたという根も葉もない風評にさらされる恐れがある。何せ山本は飛行機屋の首魁と見なされているからな」


 米内大臣と敏太が会談を持っていることは、現時点においてはそれを知る者はごく限られているだろう。

 しかし、マル三計画における艦艇の建造が実行に移されれば、空母が増勢されたことはすぐに帝国海軍上層部の知るところとなるはずだ。

 そこに敏太の経済支援が含まれていることも同様だろう。

 帝国海軍上層部の主流派は鉄砲屋だ。

 そして、米内大臣は鉄砲屋の下衆の勘繰りを心配している。


 「いや、まったく問題ありませんよ。むしろ私が悪者になったほうが札田場さんに余計な火の粉がかからなくて済む。なにより、空母が二隻も追加されることを思えば、私の悪評など安いものです」


 そう言って笑う山本次官に、敏太は何か出来ることはないかと考える。

 空母を増勢すると言ったのは山本次官ではなく敏太自身なのだ。

 いくら金を出すとはいっても、それでも自分のやることで他人が嫌な目に遭うのは可能な限りこれを避けたい。

 しかし、いいアイデアが思い浮かばない。

 だから、当人に直接尋ねる。


 「風評被害を避けるために、私に何か出来ることはありますか」


 スポンサーでありながら、しかし申し訳なさげな態度の敏太に、山本次官は苦笑しつつ小さく首を振る。


 「特にありません。それに、札田場さんが気にする必要もありません。悪いのは時代の趨勢を読めない鉄砲屋のほうです。ただ、そうですなあ、二億二千万円もむしり取っておいて厚かましい限りですが、もし可能であれば四隻の新型空母に載せる艦上機の調達費を頂けたらありがたい。空母は飛行機が無ければただの箱ですからな」

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