マル三計画
第13話 金と戦艦
軍縮条約からの脱退後としては初の建艦計画となる第三次海軍軍備補充計画。
俗に言うマル三計画に関連して、札田場敏太は海軍大臣より招請を受け、海軍省を訪れていた。
ちなみに、敏太はマル二計画に対する経済貢献を評価され、特務中尉から特務大尉に昇任している。
その敏太は海軍省に着くなり丁重な出迎えを受け、そのまま大臣室に案内された。
そこには大臣に就任してさほど間が無い米内中将と、それに次官である山本中将が控えていた。
米内大臣については、間もなく中将から大将に昇任することが決まっている。
「お忙しいところをお呼びだてして申し訳ありません」
米内大臣が詫びを入れつつ、敏太にソファを勧める。
大将を目前に控えた海軍大臣が特務大尉にへりくだった態度を見せるなど、他の国では考えられないことだろう。
「お忙しいのはそちらも同じでしょう。なので、さっそくご用件をうかがってもよろしいですか」
暗に、無駄な社交辞令はお互いにやめましょうという敏太の提案あるいは配慮。
もちろん、多忙な米内大臣もそれに異存は無い。
「マル三計画についてはご存じでしょうか」
さっそく本題に切り込んでくる米内大臣に、敏太は小さくうなずく。
「事前に頂いた文書にはすでに目は通してあります。それよりもいいんですか? 特務大尉風情にこのような重要機密を見せるなど、前代未聞もいいところですよ」
「いずれ議会にも諮ることになりますから、遅かれ早かれの問題です。それに札田場さんが関与したことでその内容もずいぶんと変わるはずですから、そういった意味でもたいしたことはありません」
茫洋というか鷹揚というか、とにかくそのパーソナリティがつかみづらい。
米内大臣に対してそういった第一印象を抱きつつ、敏太は次の言葉を待つ。
「ところで、現下の世界情勢についていかがお考えですか」
単刀直入に金の話を切り出してくるのではないか。
そう考え、内心で身構えていた敏太は少しばかり拍子抜けする。
しかし、それが米内大臣のやり方でもあるのだろう。
本命の話に入る前に、まずはこちらの見識がどの程度のものか。
それを推し量ろうとしているのかもしれない。
「欧州がきな臭いですね。第二次エチオピア戦争に続きドイツ軍によるラインラント進駐、さらにはスペイン内戦と至る所で火の手が上がっています。日本もまた大陸でドンパチをやっていますから、この混沌とした状態はそう簡単には収まらないでしょう。あるいは、近い将来にはこれらが繋がって、それこそ世界大戦に拡大するかもしれません」
他人事のように言っているが、しかし敏太はこの機会を最大限に活用している。
国家間の戦争や争いごとは人類にとっての悲劇だ。
しかし、ローリスクで大金を得るには最高の機会でもある。
相場ひとつとっても、戦争になれば何が上がり何が下がるのか、少し勉強すればすぐに分かる。
そして、敏太もまたこの好機を逃さずせっせと資産拡大に勤しんでいる。
その振る舞いは、はたから見れば他人の不幸をネタに金儲けをしているように映るだろう。
しかし、世界中の全員が幸せになるような経済活動といったものは絶対に存在しない。
だから、敏太としてはそこは割り切っている。
「世界大戦ですか」
米内大臣が小さくつぶやく。
しかし、それ以上は突っ込んで聞いてこない。
あくまでも可能性の話だから、深く掘り下げても時間の無駄だと判断したのかもしれない。
短い沈黙の後、米内大将が質問の形で本題を切り出す。
「マル三計画についてはいかがお考えですか」
米内大臣の問いに、敏太はノータイムで自身の考えを開陳する。
「まったくお話になりませんね。艦艇建造費が八億円余に対して航空隊のそれは七五〇〇万円余りにしか過ぎない。それこそ戦艦の建造などやめて、その分を航空隊の予算に回せば帝国海軍はより強くなりますよ」
帝国海軍の俊英らがつくった渾身の計画を、しかし敏太は一刀両断のごとく切り捨てる。
敏太の遠慮の無い評価に米内大臣が苦笑、山本次官のほうは我が意を得たりとばかりに大きくうなずく。
「実のところ、札田場さんにまずお願いしたいのはその戦艦の予算なのです」
米内大臣の意外な申し出に、敏太は虚を突かれたような思いに囚われる。
しかし、気を取り直し話の続きを待つ。
「マル三計画で二隻の整備が予定されている戦艦は、予算請求額こそ九八〇〇万円ですが、実際の建造費は一億三〇〇〇万円を超えると見積もられています。そして、帝国海軍はそれを三隻建造したいと願っています」
一隻あたり三〇〇〇万円余りが不足。
さらに、もう一隻追加すればトータルでその必要額あるいは不足額は二億円にも達する。
そして、仮に九八〇〇万円で建造される戦艦が普通サイズなのであれば、一億三〇〇〇万円の戦艦のほうは相当な巨艦になることは間違いない。
あまりのことに、敏太は米内大臣に呆れの表情を向けてしまう。
しかし、米内大臣のほうは気を悪くする様子もなく説明を続ける。
「金を出せと言って詳細を話さないのは仁義に欠けますな。では、このことは他言無用に願いますが、帝国海軍が新造するのは四六センチ砲を搭載した六四〇〇〇トン級戦艦です。これだけの巨艦ですと、さすがに建造可能な造修施設も限られてきます。
で、これら三隻は横須賀と呉、それに佐世保の各工廠にある船渠で建造することとしております。これら三つの工廠にはそれぞれ三〇〇メートルを超える船渠がありますので、六四〇〇〇トン級戦艦もなんとか建造が可能です。
それと、これらのうち、横須賀と佐世保の船渠については札田場さんからのご厚意で造られことは引継ぎで私も存じ上げております」
横須賀と佐世保の船渠については敏太も覚えている。
当時の安保大臣との話し合いの中で、国内の造修施設が貧弱なことを知った敏太が資金提供をもちかけた。
(横須賀それに佐世保の船渠の造成は、国防的にもそれに経済的にもよかれと思ってやったのだが、しかしそれが裏目に出てしまったか)
六四〇〇〇トン級の戦艦ともなれば、それを動かすのにも相当な数の将兵を必要とするはずだ。
そのような金食い虫の人食い虫を、しかも三隻も抱えるなどあり得ない。
(さてどうしたものか)
少しばかり後悔の念を抱きつつ敏太は考える。
結論はすぐに出た。
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