第12話 金と油
山本少将から提示されたマル二計画の数字を鵜呑みにするのであれば、帝国海軍は艦艇の増強にこそ熱心だ。
しかし、一方で空母に乗せる飛行機は明らかに不足している。
そのうえ、弾薬や燃料の備蓄も心もとない。
それは、実際の国防よりも、むしろ士官たちのポスト獲得を優先する振る舞いではないか。
敏太にはそのように思えてならない。
(帝国海軍は真面目に戦争をやる気があるのか)
敏太の心中に帝国海軍に対する不信の感情がわき上がる。
しかし、さすがにそれを口にするようなマネはしない。
そのようなことを長谷川次官や山本少将に言ったところで、何の意味も無いからだ。
だから、思考を目の前の現実に戻す。
山本少将が要望しているのは不足する艦上機を補うための資金だ。
こちらは、そのまま了承しても構わないだろう。
「艦上機については分かりました。必要な機数とその見積額を私の方に提出してください。防弾装備が充実した機体に関しましては、その調達のための資金を用意させていただきます」
条件付きではあったものの、しかしあっさりと要求を受け入れてくれた敏太に山本少将が感謝の言葉を述べる。
長谷川次官のほうは安堵の色をその表情に浮かべる。
「それと、機体のほうはいいのですが、それらに必要なガソリンのほうはどうなっていますか。
現在、米国の軍用機のオクタン価は八七が標準ですが、早ければ今年中にも九二オクタンに移行します。逆に日本のほうは八〇台前半がせいぜいであり、八七オクタンの量産化にすらめどが立っていない。そして、米国のほうはこのままでいけば数年後には間違いなく一〇〇オクタンが標準になるはずです。オクタン価競争の遅れは航空戦の勝敗に直結する重大な問題です」
エンジンの精緻化それに高出力化が著しいなか、最近ではその燃料であるガソリンの質、なかでもオクタン価がクローズアップされ始めている。
同じエンジンでも、オクタン価が違えば燃費や出力がかなり違ってくるからだ。
もちろん、科学技術において日本が米国に大きく立ち遅れていることは、ここにいる三人にとっては共通認識、周知の事実だ。
敏太も、それに長谷川次官や山本少将も米国での生活はそれなりに経験しているから、そのことは知識だけでなく肌感覚としても身に着けている。
そして、それら科学技術の中でも、特に石油化学の分野はその遅れが顕著だ。
経済にも聡い敏太は、ガソリンにおける日米の技術格差について人一倍の焦慮を抱いている。
工業それにモータリゼーションが発達した米国では石油関連の市場が大きい。
それゆえに、どの企業も激しい競争圧力にさらされているから、その分だけ技術が向上するスピードも速い。
中でも高品質ガソリンの精製技術は、他の国よりも頭一つ抜け出しているのは間違いの無いところだ。
敏太の危惧は、かつて航空本部技術部長だった山本少将にもよく理解できた。
「札田場さんの懸念は帝国海軍でも意を同じくするところです。帝国海軍もまた問題意識を持って高オクタン価ガソリンの製造法を研究しています。ただ、こちらは困難を極め、思うようには捗っていません。やはり、米国との差は大きいと認めざるを得ない」
山本少将がその表情に憂慮の色を浮かべつつ、帝国海軍の現状を正直に打ち明ける。
「米国は今のところは日本と中国の紛争に対して一定の距離を置いているように見えます。しかし、内心では大陸における帝国陸軍の振る舞いを面白く思っていない。なにせ、帝国陸軍の行動は米国の国益とは相反しますからね。
もし仮に、帝国陸軍が米国の受忍限度を超える振る舞いをした場合、彼の国は間違いなく日本に対して技術あるいは製品の輸出禁止措置を実行します。そして、昨今の大陸の情勢を鑑みればそうなる可能性は極めて大きい。その禁止項目の中には間違いなく石油製品が含まれるはずです」
小さく間を置き、敏太が話を続ける。
「だからこそ、今のうちに高オクタン価ガソリンをはじめとした米国の石油関連製品の技術ならびに製造設備を可能な限り導入しておくべきです。日本はこの分野において基礎研究の積み上げがほとんど無い。どんなに頑張っても米国に追いつくのに一〇年はかかります」
日米間における石油精製技術の差はあまりにも大きい。
だから、今のうちに米国から得られるものはすべて得ておけと敏太は言う。
「札田場さんのおっしゃることは理解できる。しかし、米国から高オクタン価ガソリンの技術それに設備を導入しようと思えば、それこそ天文学的な額を要求されることでしょう。まして、好意的ではない相手であれば、なおのこと法外な値を吹っかけてくるはずだ」
貧乏海軍にそのような高価なものを買う余力などどこにもない。
言外にそのようなことをにおわせつつ、山本少将は自身の考えを開陳する。
だが、敏太は山本少将の至極もっともな意見には与せず、常識知らずとも言える言葉を吐く。
「買えばいいじゃないですか。高オクタン価ガソリンが手に入るのであれば、いくら払おうが安いものです。それに、お金の方は私の方で工面しますよ。どのみち石油精製技術は今後の日本の経済発展のためにも絶必ですから、金に糸目はつけません。それに私の資産の半分以上は米国から巻き上げたものです。たまには彼の国に還元してやるのも悪くないでしょう」
露悪的な笑みを見せつつ、敏太はついでとばかりに援助の追加を提案する。
「ガソリンもそうですけど、潤滑油や冷却液といった消耗品も大事です。これらの品質は整備性や稼働率に直結しますから、良質なものを国産化できるようにしておく必要があります。
あっ、それとケーブルやプラグをはじめとした電装系もまた高品質なものが求められますね。こちらはドイツあたりに技術支援を求めるのがいいでしょう」
そう言いながら、敏太は航空機に必要なパーツや消耗品を次々に挙げていく。
もちろん、金は敏太持ちだから長谷川次官も山本少将も文句を言う筋合いはない。
しかし、それでも一市民に海軍の装備をせびっているような、何とも言えない居心地の悪さのようなものを、長谷川次官と山本少将は感じずにはいられなかった。
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