第11話 意味不明の金遣い
「航空隊整備の予算が三三〇〇万円というのもお話になりませんが、しかしそもそもとして艦艇建造予算に四億三〇〇〇万円余が費やされるというのは、いったいどういった理由ですか。軍縮条約が効力を発揮している現在、金食い虫の戦艦は建造が出来ないはずですが」
気を取り直した敏太が山本少将に問いかける。
ロンドン軍縮条約による厳しい艦艇保有制限下にある現在、予算を大食いする戦艦の建造はあり得ないはずだった。
国家の至宝であるはずの戦艦を金食い虫呼ばわりする敏太の問いかけに、しかし山本少将は気を悪くするようでもなく長谷川次官をチラ見する。
マル二計画の詳細を敏太に話していいものかどうかの確認だろう。
長谷川次官が小さく首肯するのを見て山本少将が口を開く。
「大きいものはそれぞれ二隻の空母と巡洋艦です。それら四隻だけで艦艇建造予算の三分の一を占めます。他にめぼしいものは二隻の給油艦と三隻の水上機母艦、それに一隻の工作艦で、これら六隻の総額もまた一億一〇〇〇万円近くに達します。他については駆逐艦や潜水艦、それに水雷艇や駆潜艇といった小型艦艇の整備に費やされます」
山本少将の説明に敏太は小さくため息を吐く。
給油艦や工作艦はまだいい。
補給や造修は帝国海軍のネックだ。
給油艦も工作艦もそれを補強できる艦種なのだから、これらの建造を進めることは適切だろう。
問題なのは三隻の水上機母艦だった。
水上機というのは、天候がちょっと荒れただけでとたんに運用が困難になる。
実のところ、洋上における水上機の使い勝手は非常に悪い。
それと、航空機が急速に高性能化する中にあって、フロート付きというのは大きなハンデだ。
どんなに頑張っても水上機は速度面それに機動性でも陸上機や艦上機には及ばない。
もし、敵の戦闘機に遭遇すれば、よほどの幸運に恵まれない限り撃墜は免れないだろう。
それにしても、水上機のような中途半端な戦力を保持して、帝国海軍はいったい何をやろうというのだろうか。
「三隻の水上機母艦を造らずに、これを航空隊の予算に上積みしていれば、帝国海軍の航空戦力は一気に充実しそうなものなのですが」
胸中に湧いた疑問が思わず口に出てしまった。
そんな敏太に苦笑しつつ、山本少将が単刀直入に切り出す。
「どうやら、戦備担当の者は空母と水上機母艦を合わせて五隻も盛り込んだのだから、マル二計画は航空機こそを優先したものだと思い込んでいるようです。ですが、空母も水上機母艦もその戦力の大部分は搭載している飛行機に依存している。しかし、その肝心の飛行機の予算がスカスカなのですから、これはもうどうしようもありません」
飛行機の無い空母など砲弾を持たない戦艦と同じだ。
まったくの役立たず、お飾りにしかすぎない。
そこで、敏太はとあることに思い至る。
ふつうはあり得ないことだが、しかし帝国海軍では起こりうるかもしれない。
「帝国海軍は砲弾や爆弾、それに魚雷の備蓄は十分なのですか。マル二計画の概要を聞かされて、なんだか心配になってきました」
敏太のいささか不躾な質問に、山本少将も長谷川次官も渋い表情になる。
「十分ではありません。特に高価な魚雷などはまったくと言っていいほどに充足率を満たしておりません。また、燃料である油についても同様のことが言えます」
山本少将もまた現状を憂いているのだろう。
言葉に苦いものが交じっている。
そして、もし彼の言葉を信じるのであれば、帝国海軍は戦艦や空母を造ることは熱心だが、一方でそれを動かし戦力たらしめるための燃料や弾薬の準備は疎かにしているということになる。
戦艦も飛行機もしょせんは砲弾や爆弾を敵にぶつけるための運搬手段にしか過ぎないと敏太は考えている。
しかし、その肝心の砲弾や爆弾がまったく足りていない。
つまり、帝国海軍は戦艦や空母といった器ばかり気にして、燃料や弾薬という肝心の中身には無頓着ということになる。
敏太は結論を出す。
帝国海軍はアホの組織だ。
だから、敏太は山本少将を見据えさっさと話を進める。
「では、山本さんのご要望を教えていただけますか」
敏太の直球の問いかけに、山本少将が小さくうなずく。
「すでにお分かりかと思いますが、マル一計画に引き続き、マル二計画においても航空隊の整備予算についてご援助願いたい」
予想通りの要求に納得しつつ、敏太は口を挟まず目でその先を促す。
もちろん、少将に対して特務中尉がやっていい振る舞いではない。
しかし、金に関する力関係は敏太のほうが圧倒的に上だ。
一方の山本少将も敏太の態度については頓着する様子を見せていない。
「特にお願いしたいのは艦上機を充実させるための資金です。まもなく『加賀』が三段飛行甲板から一段のそれに改装するための工事に入ります。こちらは札田場さんのご尽力のおかげで機関それに艦上構造物ともに徹底した工事となりますが、その中で格納庫面積の見積もりをしたところ、常用機だけで九〇機以上が運用できることが分かったのです。もちろん、艦上機の大型化の趨勢を考えれば、この数字は次第に減少していくことは間違い無いでしょう。しかし、それでも大きな数字には違いありません。
しかし、一方で航空予算が少ないために『加賀』に定数いっぱいの機体を積むことが出来ないのです。さらに先ごろ完成した『龍驤』と、それにマル二計画で建造される二隻の空母も含めますと、それらに搭載する機材の不足は一〇機や二〇機どころの話ではありません」
マル二計画で二隻の空母と三隻の水上機母艦を造る。
だが、一方で飛行機の数が足りていない。
だったら、三隻の水上機母艦を二隻に減らして、その分の予算を艦上機や艦載機の充実にあてればいいと敏太は思う。
しかし、帝国海軍のほうはまた別の理屈で動いているのだろう。
(燃料や武器弾薬が明らかに不足している。それが分かっていてなお艦艇の充実を優先させようとする帝国海軍上層部のメンタル。まったくもって理解不能だ)
自身とは異なる考えを持つ帝国海軍上層部に対し、呆れとともに妙な好奇心が首をもたげてくる。
端的に言えば、アホの精神構造とはいったいどういったものなのかという興味だ。
しかし、敏太はその感情を心の隅に押しやりつつ、さてこの問題はどうしたものかとその思考ベクトルの向きを変針した。
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