マル二計画

第10話 不適切な金遣い

 ロンドン海軍軍縮条約に対応した建艦計画の第二弾となる第二次補充計画。

 俗に言うマル二計画に関連して、札田場敏太は海軍大臣より招請を受け、海軍省を訪れていた。

 ちなみに、敏太はマル一計画に対する経済貢献を評価され、特務少尉から特務中尉に昇任している。


 「わざわざ呼びつけておいて申し訳ありません。大角大臣は議会からの急な呼び出しを受けて現在はそちらに向かっています」


 海軍次官の長谷川中将が申し訳なさそうに頭を下げる。

 海軍中将が特務中尉にへりくだる。

 階級がものをいう軍隊においてはあり得ない光景。

 しかし、これもすべて金の力が成せる業だ。


 (たぶん、海軍大臣は友鶴事件の説明あるいは弁明のために議会に向かっているのだろう)


 先日、荒天下のもとで実施された演習において、水雷艇「友鶴」が転覆するという事故があった。

 死者行方不明者合わせて一〇〇人にものぼる痛ましい事故は、新聞にも大きく取り上げられていたから敏太もその概要は知っている。

 海軍がしでかした失態に、議会も黙ってはいないだろう。

 一方の大角大臣も、一〇〇人もの死者行方不明者を出してしまっては、さすがに議会の意向を無視することはできない。

 だから、本来であれば敏太の応対は海軍大臣である大角大将がするはずだったのが、急遽海軍省ナンバーツーの長谷川次官に変更された。

 おそらくはそんなところだろう。


 そのようなことを考えている敏太に、長谷川次官がソファにかけるよう勧める。

 敏太が着席すると同時に、長谷川次官はマル一計画における敏太の経済援助に感謝の言葉を述べる。

 それとともに、会ってもらいたい人物がいることを告げてきた。


 「私の海兵一期下の後輩で、現在は第一航空戦隊司令官を務めている山本少将です。この夏にも一航戦司令官の任を外れ、欧州に向かう準備に入るのですが、しかしその前にぜひとも札田場さんに会ってお話がしたいとのことです」


 海軍次官にそう言われては、さすがに無下にするわけにもいかない。

 そもそもとして、山本少将がどういった人物かも分からない。

 だから、仮に断るにしても、その大義名分を見出すことなどできようはずもなかった。

 ただ、一航戦司令官という空母部隊を任されているからには、おそらくは飛行機屋だろう。

 そして、自分に会いたがっているということは、十中八九金に絡む話だということは容易に察しがついた。


 敏太が承諾すると同時に、長谷川次官が机上の電話に向かい、受話器を手に取り小さな声で一言二言話す。

 そうしたところ、わずかな時間を置いてドアがノックされる音が次官室に響いた。


 「入ってくれ」


 長谷川次官の言葉にドアが開かれる。


 「失礼します」


 そう言って入室してきたのは、小柄な一方でそれなりの貫禄オーラをまとった少将の徽章をつけた男だった。


 「第一航空戦隊司令官の山本です。札田場さんのことは当時海軍大臣だった安保さんから伺っております」


 さわやかな笑顔で握手を求める山本少将だが、しかしその目は笑っていない。

 敏太がかつてウォール街でよく見た、相手を値踏みするような光がその瞳に宿っている。

 時間が惜しいとばかりに、山本少将はさっそく本題を切り出す。


 「札田場さんはマル二計画の概要をご存じでしょうか」


 敏太も情報収集には熱心なほうだが、しかしマル二計画については新聞にも官報にもまだ載っていないからまったく知らない。

 おそらく議会を通す前の段階か、あるいは通っていたとしても発表がまだなのだろう。

 いかに軍人の肩書を持つとはいえ、実際には敏太はただの民間人にしか過ぎない。

 マル二計画の詳細など、事前に知り得ようはずもなかった。

 もちろん、金を使えばそういった情報の取得は可能だが、しかし敏太にとっては何のメリットも無い。

 だから、承知していないことを正直に打ち明ける。


 「これをご覧ください」


 そう言って山本少将は手書きの数字が記された紙片を敏太に差し出す。

 数字が簡潔に記された手書きメモだ。

 さすがに少将だけあって、機密書類を持ち出してそれを敏太に見せるようなうかつなマネはやらかさない。

 一方、メモ一読した敏太はそれこそ、目が点になった。


 「正気ですか、これ・・・・・・」


 信じられない数字が並んでいる。

 艦艇建造予算四億三〇〇〇万円余、航空隊整備予算三三〇〇万円。

 その差は実に一三倍。

 同時に、敏太はなぜ山本少将が自分に会いたがっていたか、その理由を悟る。

 マル一計画に比べてマル二計画のほうは艦艇建造予算が七割以上もアップしている。

 しかし、一方で航空隊のほうは三割近くもダウンしている。

 そもそもとして、三三〇〇万円というのは大型巡洋艦が一隻調達できるかどうかといった額だ。

 この程度では増強著しい他の列強の航空戦力に対抗できる戦備など、どう頑張ったところで実現出来ようはずもない。


 「帝国海軍に多大なる援助をしていただいている札田場さんにこのようなことを申し上げるのは筋違いも甚だしいのですが、しかしマル一計画でずいぶんと航空隊予算を厚遇してもらったことで、逆にマル二計画では航空隊の予算が冷遇されることになってしまった」


 確かに山本少将の言う通り、マル一計画において敏太は航空隊の予算が二倍になるよう、必要な額を帝国海軍に献納した。

 しかし、飛行機屋ばかりを贔屓にしても角が立つと考え、戦艦の高速化それに「伊勢」「日向」「扶桑」「山城」の四隻を四一センチ砲搭載戦艦に改装するための金もまた同様に拠出している。

 額で言えば、そちらのほうが遥かに大きい。


 (しかし、その配慮は意味の無いものだった)


 敏太の胸中に苦いものがわきあがってくる。

 帝国海軍という組織に失望を覚えつつ、しかしそれでも山本少将との話を続けることにする。

 結論を出すのはそれからでも遅くはなかった。

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