マル一計画
第5話 金の単位は正確に
リスク分散は資産管理の基本中の基本だ。
敏太もまたスイスの銀行をはじめ、その莫大な資産を世界中に分散させている。
もちろん、それら資産は現金だけにとどまらない。
株式や現物といったものも含まれている。
その中で敏太はゴールドをはじめとした有事に強いとされる現物の保有比率を高めていた。
「このままだとおそらく一〇年以内に米国と干戈を交えることになる」
退役軍人と会った日以降、彼の言葉が持つ重みが敏太の中で急速に膨らんでいる。
不吉な予言で済ませるにはあまりにも真実味、現実味があり過ぎる。
米国にある資産は目立たないよう、徐々に減らしている。
もし仮に米国と戦争になった場合、彼の国は間違いなく日系人の資産を凍結するはずだ。
場合によっては収容所のようなものをつくって、そこに日系人をまとめて放り込むようなマネさえやりかねない。
米国は自由主義、民主国家を標榜しているが、しかしそれはあくまでも白人を基準にしたものだ。
米国でいわれなき差別を散々に受けてきた敏太は、そのことを身をもって理解している。
それに、日系人のそのことごとくを収容所に送り込めば、それは米国における日本の諜報網を一網打尽にするのと同じ効果が期待できる。
大統領の性格次第では、あり得ない話でもない。
そのような国に莫大な資産を置いておくことは、ある意味で利敵行為とも言えた。
資産管理に心を砕く日々が続くなか、敏太は海軍省を訪れていた。
一〇〇機の練習機に続く献納を申し出たところ、可及的速やかに来訪してもらいたいと当局から要請があったからだ。
最初、敏太は経理局長との面談になるかと思っていた。
しかし、通されたのは大臣室だった。
「ようこそおいでくださった。まずはお掛けください」
そう言って着席を進めたのは海軍大臣の安保大将だった。
その海軍大臣が士官最底辺の特務少尉に丁寧に接するなど、軍の常識ではあり得ない。
しかし、これには理由があった。
帝国海軍が一〇〇機の練習機と引き換えに敏太に特務少尉の階級を与えた際、彼は軍人ではなく一人の民間人として扱ってほしいと願い出ていたのだ。
帝国海軍としても、敏太のような金で徴兵逃れをするような人間に士官風を吹かしてもらいたくなかったから、この要求はあっさりと通った。
それゆえに、現在の敏太の立ち位置は特務少尉ではなく、帝国海軍のタニマチあるいはパトロンと言ってもよかった。
金を出してくれる相手だからこそ、安保大臣の対応もまた丁寧なものになるのは当然だった。
「本日はお時間をいただきありがとうございます。さっそくですが、来訪の意図ついて説明させていただきます。帝国海軍は昨年、第一次補充計画をスタートさせました。四隻の大型巡洋艦をはじめとした野心的な計画だと思います。しかし、一方でこの計画はあまりにも航空機の予算が少なすぎる。ですので、こちらに対しては私の方で資金援助の用意があります。額としましては四五〇〇万円を見込んでいます」
昨年スタートした第一次補充計画、俗にいうところのマル一計画はロンドン軍縮条約に対応した最初の建艦計画だった。
同計画では艦艇建造予算が二億五〇〇〇万円近くに達するのに対し、航空隊のそれは四五〇〇万円足らずでしかない。
それに対し、敏太は自身のポケットマネーから四五〇〇万円を航空隊の充実のために帝国海軍に献納すると申し出たのだ。
つまり、マル一計画における航空隊の予算は一〇〇パーセントアップするということになる。
敏太がマル一計画の内容を知っていることに不思議は無かった。
帝国海軍の予算は議会を通す必要があるから、少なくない人間がその内容を知ることになるし、米国や英国といった仮想敵国もまた同様に承知しているはずだ。
「非常にありがたいお話だ。海軍大臣として礼を申し上げる。ところで、一つ尋ねたいのだが、札田場さんは海軍で言うところの航空主兵主義者なのか。前回は練習機、そして今回は第一線機の調達費用を出してくださるという。あなたからのご支援はそのすべてが航空関連だ」
感謝の一方で疑問の表情を向けてくる安保大臣に、敏太は少し考えてから口を開く。
「自分としては大艦巨砲主義とか航空主兵主義とかいったものにはあまり興味が無いですね。戦艦と飛行機とどちらが強いと言われても、強い方が強いとしか言えません。ただ、当面の間は飛行機の優位は動かないでしょう。対空射撃管制システムの発達が飛行機の進歩に追いついていないからです。ただ、それが二〇年先、三〇年先もそうかと言われれば確信が持てません。しかし、最低でも向こう一〇年程の間は間違いなく飛行機のほうが強い時代が続きます。だからこそ、航空隊の強化を図らなければならない。つまりは、そういうことです」
あるいは、安保大臣は敏太が航空機ばかり優遇することに懸念を抱いているのかもしれない。
帝国海軍には飛行機屋のほかにも鉄砲屋や水雷屋、それにどんがめ乗りといった派閥があることを敏太は耳にしたことがある。
そして、その一つである飛行機屋にばかり肩入れするのは、他の派閥にとっては愉快ならざることだろう。
敏太の行為は、ある意味において帝国海軍の和を乱すものなのかもしれない。
そう思った時には声に出していた。
「追加で同じく一億円を艦艇建造予算に献納させていただきます」
敏太の言葉に、安保大臣がその表情に驚愕の色を浮かべる。
この時代、一億円あれば戦艦を造って余裕でお釣りがくる。
それでも、一方の敏太からすればたいした額ではない。
しかし、安保大臣のただならぬ様子に、あるいは単位を間違えて伝えたのではないかと敏太は少し心配になる。
だから、念押しの言葉を吐く。
「あの~、一億ドルじゃなくて一億円ですからね。くれぐれも間違えないでくださいね」
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