第3話 戦争も結局は金

 与えられる身分は軍属だとばかり思っていた。

 しかし、実際にふたを開けてみれば特務少尉という士官のポジション。

 いくら練習機を一〇〇機も献納するとはいえ、さすがにこれはやりすぎだろう。

 これでいいのか? 帝国海軍。

 敏太は強くそう思う。


 しかし、一方で帝国海軍の思惑は手に取るように分かった。

 帝国海軍は敏太が想像する以上に、その金づるとしての彼の価値を評価したのだ。

 あるいは、特務少尉というのは敏太を陸軍に取られることを避けるための方便のようなものなのかもしれない。

 いずれにせよ、徴兵の影に怯える必要の無くなったことはありがたい。

 安心した敏太は数年ぶりに日本へと戻った。


 敏太はとるものもとりあえず退役軍人の元へと向かった。

 英国における一連の騒動に関する礼を言うためだ。

 敏太はカジノでイカサマ扱いをされて困っているところを、同地の海軍駐在武官に助けられた。

 その駐在武官に敏太のことを見守るように言づけてくれたのが退役軍人だった。


 「ずいぶんとたくましくなった。よほど海外で鍛えられたと見える。立ち話もなんだ、まあ上がれ」


 敏太の顔を見るなり、退役軍人は相好を崩す。


 「おかげ様でさまざまな経験をすることが出来ました。それと、すでにお聞き及びかとは思いますが、英国の一件では大変お世話になりました」


 頭を下げつつ、敏太は手土産の米国産ウィスキーを退役軍人に差し出す。

 この時期、舶来のウィスキーはちょっとした高級品だ。

 それを受け取った退役軍人はさっそくとばかりにコップを二つ用意。

 それぞれにウィスキーを注ぎつつ、そのうちの一つを敏太に差し出す。


 「お前さんも海外にいる間に成人しただろう。これは儂からの祝いだ」


 自分が持参した手土産を成人祝いに置換する退役軍人に苦笑しつつ、敏太はコップに口をつける。

 やはり、舶来の高級ウィスキーはストレートに限る。


 「で、どうだった。外の世界は」


 特に何かをするわけでもない日々を送る退役軍人にとって、帰国者の話はなによりの退屈しのぎなのだろう。


 「欧州、と言っても英国だけですが。それと米国を見てきました。どちらも刺激的で、退屈する日はありませんでした」


 「イギリスでギャンブル好きの英国紳士にぼろ勝ちし、アメリカで百戦錬磨のファイナンシャルエキスパートどもを手玉にとった。

 儂はお前さんを海兵に強く勧めなかったことを悔いておるよ。お前さんなら帝国海軍に新風を吹き込んでくれたやもしれん。実に惜しいことをした」


 とても残念そうには見えない、良い笑顔を向けてくる退役軍人。

 その彼に自身が特務少尉になったことを告げようかどうか、敏太は少し迷った。

 しかし、後になってバレるのも嫌なので経緯を含めて正直に告げた。


 「そうか。練習機を、それも一〇〇機も献納してくれたのか。元帝国海軍軍人として儂からも礼を言わせてもらう」


 将官まで上り詰めたOBに深々と頭を下げられては、現役とはいえ特務少尉にしか過ぎない敏太としては気まずいどころの騒ぎではない。

 だから、慌てて頭を上げてくれと懇願する。

 その様子に微笑しつつ、退役軍人は唐突に日露戦争の話を切り出す。


 「日露戦争だがな、あの戦いで戦友や部下を失わった儂が言うのもなんだが、しかしあれは日本が勝ったのではない。ロシアが国内問題で勝手に転んだだけだ。それが無ければ、日本は負けていた」


 敏太も退役軍人の考えに異存は無い。

 当時の日本とロシアとでは、あまりにも国力差が有り過ぎた。

 ボクシングに例えれば、ライト級とヘビー級が同じリングで戦っていたようなものだ。

 これで負けずに済んだのだから、それは僥倖と言うよりも奇跡に近い。


 「それと、だ。世間からはずいぶんと持ち上げられているようだが、しかし東郷なんぞはただの神輿よ。日本海海戦は誰が指揮を執ったとしても、よほどの無能者でもない限り勝利は動かなかった」


 「あの~、それ家の外では絶対に口外しないほうが良いと思うんですけど」


 日本海海戦における勝利の立役者として日本国中から賞賛を浴びている東郷平八郎は今でも軍人ではなく軍神の扱いだ。

 そのような者を凡人呼ばわりすれば、仮にそれが正しい指摘であったとしても悪者にされるのは間違いなくこちらのほうだ。


 「当たり前だ。こんなことを外で喚き散らすほど儂も耄碌しておらん。だが、特務少尉になった以上これだけは覚えておけ。日本がロシアに負けずに済んだのは最後まで戦費の調達に成功したからだ。

 世界中の誰もがロシアの圧倒的優勢を疑わない中、それでも日銀副総裁をはじめとした経済人たちは逆風にもめげずに欧州や米国で日本の勝利を訴え続けた。そして、疑心暗鬼に凝り固まった連中のそれこそ固く閉じられた財布の紐を緩めることに成功した。

 日本が将来の敗戦国というレッテルを張られた中において、彼らは外貨調達という極めて困難なミッションを成し遂げたのだ。本来であれば、彼らこそ殊勲甲として賞賛されなければならん」


 敏太が黙っているのを無言の肯定と受け取ったのか、退役軍人はさらにボルテージを上げる。


 「だが、国民はアホだから、日本海海戦という分かりやすい出来事にしか目が向いておらん。日本海海戦にしたところで、結局は国民の血税で購入した欧州製の高性能艦があればこそ戦えたのだ。そのうえ、バルチック艦隊のほうは長期航海、つまりはフルマラソンを終えた後の疲労困憊のような状態だったというのだから、こんなものは東郷でなくても勝てる。

 山本海軍大臣が東郷は運の良い男だからと言って連合艦隊司令長官に据えたそうだが、まさにその通りだった。あの男が軍神扱いされるのも、ひとえに運の良さからだ。しかし、実際にはあの男はただの凡俗にしか過ぎん。そのような男を軍神として持ち上げたのだから、当然のことながらその副作用は凄まじいものになる。実際、軍縮条約においてやつは条約反対派に持ち上げられて帝国海軍内をかき回していたそうじゃないか。それこそ迷惑千万、さっさと異世界へと旅立ってもらいたいものだ」


 官憲に聞かれたら即アウトのネタを連発する退役軍人の口を塞ぎたい。

 敏太はそのような衝動を覚えるが、しかしそこは我慢する。

 なんだかんだ言っても、目の前の退役軍人は英国の一件における恩人なのだから。

 しかし、一方で敏太は退役軍人の言葉に正当性も見出している。

 特に戦費に関する見解は帝国海軍軍人がそのことを口に出していいとは思えないが、しかし正鵠を射ている。


 (やはり、戦争も最後に勝負を決めるのは金か)


 そう思いつつ敏太はさりげに話題を転換、英国や米国での出来事を尾ひれをつけて面白おかしく話す。

 老いた退役軍人にはそれがなによりの土産だったのだろう。

 子供のように目を輝かせ、敏太の言葉に聞き入っていた。

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