第2話 金の匂いをかがせる
敏太にとって面倒なのは徴兵制だった。
日本の男は二〇歳になれば徴兵検査を受けさせられる。
海外から日本に戻った時点で二〇歳を過ぎていたとしても、しかしよほどの高齢でない限りは徴兵検査から逃れることは出来ない。
そして、それに合格すれば二年間の兵役を課せられる。
敏太は自身が人一倍頑強なことを自覚している。
甲種合格は間違いないとさえ確信している。
だが、人生の貴重な時間を兵役に費やすのは馬鹿馬鹿しい限りだ。
そこで、敏太は一計を案じる。
金の力で兵役逃れをやってしまうのだ。
日本には陸軍と海軍がある。
敏太は心証の良い海軍に先に話を持ち掛けた。
「あなたを海軍の軍属、しかも無任所とする。そして、その代償として一〇〇機の練習機を海軍航空隊に献納してくれるというのですか」
敏太の面会に応じた海軍の駐在武官はうなりを上げる。
帝国海軍は保有する艦艇の数こそ世界屈指だが、しかしその本質は貧乏な組織だ。
敏太の申し入れは渡りに船、干天の慈雨にも等しい。
ただし、敏太が言っていることは違法行為、どんなに甘く見ても脱法行為の誹りは免れない。
しかし、一機や二機ならばともかく、一〇〇機もの練習機を無償で用立ててくれるというのであれば一考に値する。
「こちらが無理を言っているのは百も承知しています。ですので、もしこの話がだめであれば私は帰国して後、法の定めに従って徴兵検査を受けるつもりです。ただ、私としては自身が鉄砲を担いで地べたを這いずり回るよりも、経済面で軍にお力添えするほうがよほどお国のために役に立つと考えています」
駐在武官も世界恐慌における敏太の大立ち回りは聞き及んでいる。
その際に天文学的な財を成したこともまた承知している。
そして、敏太は徴兵逃れのために自分の元に訪れたが、もしこの話がだめになったら次は間違いなく陸軍のほうに同じ話を持っていくはずだ。
場合によっては飛行機ではなく戦車かあるいはトラックをはじめとした車両を相当数提供すると言って。
そして、自身がその推論に至ることを目の前の敏太はすでに理解していることだろう。
バカが生き馬の目を抜く経済戦争の勝者になれるはずもない。
おそらく、敏太は海軍を値踏みしている。
こちらが硬直した思考の持ち主か、あるいは柔軟な考えで名より実を取ることができる組織なのかを。
「札田場さんのお話は理解しました。しかし、これは人事が絡む話ですので私の一存では決められません。上との相談になりますので少々お時間をいただけますか」
予想通りの返答に、敏太は胸中で胸をなでおろす。
感触は上場じゃなくて上々だ。
その敏太は事前に駐在武官の人となりを調べてきた。
米国で言うところのプロファイリングだ。
そうしたところ彼は航空主兵主義者、いわゆる飛行機屋であることが分かった。
だから、敏太は練習機を献納すると言ったのだ。
逆に、もし駐在武官が鉄砲屋かあるいは水雷屋だったら練習機ではなく別のものを用意していたことだろう。
鉄砲屋であれば「扶桑」や「山城」といった出来の悪い戦艦の改装費、水雷屋であれば大量の魚雷あたりか。
いずれにせよ、貧乏海軍に金の匂いをかがせたのだ。
(帝国海軍はかならず俺の提案に食いついてくる)
敏太はそう確信する。
彼はおおむね正しかった。
ただ、帝国海軍の対応は少しばかり敏太の予想の斜め上をいくものだった。
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