#19 三ヶ月振の学校

 今朝から教室は賑やかだった。自分の席に鞄を置くと、声を掛けられた。

「おお、久しぶり」

「勉強合宿だっけ。何ヶ月振?」と訊ねる彼に、「三ヶ月振だね」と返す。

「お前、髪長いな。さすがにもう切れよ」

「ええと……」

 前髪を弄りながら目を泳がせていると、彼は内緒話をするように言った。

「まさかお前、伸ばしてるの?」

 口元を押さえながらワクワクと待っている彼。

 僕は笑われるのが怖くて「今度切りに行くよ」と答えた。答えてすぐ、後悔が押し寄せた。自分の弱さを痛感して、情けなくなる。

「わ、可愛い! 短くしたの?」

 黄色い声が聴こえて、僕は振り返った。

 女子生徒が席に着いていた。一学期には背中まで届いていた髪を、顎のラインで切りそろえている。

「憧れてたんだよね、ショートヘア」

 嬉しそうに自分の髪を触る彼女に、取り囲む友人たちも「似合ってるよ」と言う。僕は思った。

 あれがショートなら僕もショートな筈なのに。

「朝のホームルームを始めます」

 担任教師が教卓を前にした。

「一階にも掲示されているように、この高校でも今学期から女子のスラックスを導入することになりました」

 男子生徒が耳打し合う。

「すらっくすって何?」

「ズボンのことだろ」

「――『ジェンダーレス制服』という言葉、もしかすると耳にしたことがあるかもしれません。女子がスカートとスラックスを自由に選べるという学校が、今増えてきています。私個人は、この決定に大賛成です。スラックスの方が動きやすくて、機能的に優れている所がありますからね。買いたい方は、私にコソッと教えて下さい」

「先生」

 一人の男子生徒が手を挙げた。

「男子もスカート穿いていいんですか」

 僕は、突然頰を引っぱたかれたような顔になった。担任教師の答に期待が膨らむ。

 いいんですか?

 女の子にならなくても、スカートを穿いていいんですか?

 だけど僕が聞いたのは、堪えきれず噴き出した男子の笑い声と、悲鳴みたいな女子の驚きの声だった。

 周りの反応も気にせず、彼は続けた。

「だって、女子の選択肢を増やしただけで『ジェンダーレス』だなんて。男女の差が拡がっただけですよ。性別に関りなく、自分の好きな物を選べるのが理想なんじゃありませんか」

「今のところ、男子の制服にスカートを導入する予定はありません」

 担任教師が冷たい声で言った。

 一時限目の予鈴が鳴る。同級生たちが席を立ち、支度をし出す。教室のざわめきの中で僕は一人、口を閉ざしていた。

 廊下で擦れ違った女子生徒のスカートを、僕は目で追ってしまった。

「女子はいいよな。涼しくて」

 扇子で扇ぎながら、二人の男子生徒が話している。男性教師が足を止め、言った。

「『男もスカート履きたい』って言えば、先生たち協力するぞ」

 彼の言葉を、二人は笑い飛ばした。あの日シュシュと歩いた廊下を、今日は一人でとぼとぼ戻る。

 教室では同級生たちが文化祭の片付をしていた。

「僕にできることある?」

 文化祭委員に話しかけると「君は休んでていいよ。文化祭、出てないでしょ」と言われた。文化祭は僕の治験中に行われたのだ。

「でも、何もせずに待ってるのも申訳ないよ」

「じゃあ、井上くんたちとごみを捨てに行ってくれる?」

 振り返ると、ある男子生徒と目が合った。朝のホームルームで手を挙げていた彼が、段ボールを束ねているところだった。

「髪型、可愛いね。伸ばしてるの?」

 資源物を持って一緒に階段を降りていたら、井上に言われた。僕は口をぽかんと開けて、それからこくこくと頷いた。

「井上くん、文化祭で女装したの。すごく可愛かったんだから」

 可燃物を持った女子生徒が興奮気味に話す。「やめてよ」と照れる彼の横顔は、確かに綺麗だった。髪を伸ばさなくても、初めて会った人は女の子だと思うだろう。桜の花をあしらったヘアピンも、彼によく似合っている。

「お、男の子がスカート穿くのって、変に思われないかな」

 僕は思い切って質問をぶつけてみた。

「俺は変に思わないよ」

「私も」と彼女が言った。井上があっけらかんと言う。

「みんな、好きな髪型にして好きな服を着たいと思ってるから。他人ひとの目を気にしてぐずぐずしてたら、人生すぐ終っちゃうよ」

 僕の心を、温かいものが満たしてゆくような気がした。

 三人で教室に入る直前、女子生徒は突然駈け出した。その先には、台車で教材を運ぶ男性教師の姿があった。僕と井上も彼女の後を追った。

「私が運ぶの、手伝いましょうか」

 台車を停め、彼女にやんわりと言う。

「ありがとう。でも、君は教室で待ってなさい」

 男性教師は教室を覗き込み、呼びかけた。

「おい男子! 教材運ぶの手伝ってくれないか」

 その言葉に、井上の顔が引きつる。男子生徒たちがわらわら出てきた。気だるそうな表情の人もいる。

「先生、そりゃないでしょ」

 井上が抗議したけど、男性教師は素頓狂な顔をしている。僕は状況が飲み込めなくて、廊下に立ち尽くした。

「何、突っ立ってるんだよ」

 一人が追い抜きざまに言った。僕の体を舐めるように見て、言い放つ。

「お前、男だろ?」


 帰ってくるなり、僕は自分のベッドに突っ伏した。ふかふかの布団に体が沈んでゆく。全身が鉛のように重い。疲れた。男の子になって、筋力も戻った筈なのに。

 ベッドの下から鞄を引っ張り出す。僕は感嘆の溜息をついた。スカートにブラウス、コスメに水着。可愛い物を眺めていると、すさんだ心も和んだ。

 ガチャリと扉の開く音がして、僕は咄嗟に鞄を閉めた。

「ノックくらいしてよ、ママ」

 後ろ手で鞄をベッドの下に押しやる。部屋を覗き込んで、母は言った。

「夕飯できたよ」

 台所で、菜箸を持った母が笑顔で振り返った。

「三ヶ月振の四人でのご飯だから。沢山食べてね」

 僕も自然と笑顔になる。

「うん。食べる」

 空色の箸で白米を口へ運ぶ。父の足元には、年季の入った通勤鞄が置いてある。

 テレビの中でニューハーフタレントが楽しそうに話していた。

「お前、男だろ?」

 お茶碗を片手に、父が楽しそうに笑った。僕は噎せそうになった。

「気持悪い」

 母がドレッシングをかけながら、みんなに聞こえるように呟いた。

 チャンネルが切り替る。

「ここ、お兄ちゃんの学校だよね」

 弟に言われて、僕は箸を止めた。

 お馴染の校舎が映ったあと、スカートとスラックスの制服を着たマネキンが並んで登場した。画面右上に「ジェンダーレス採用 都内○○例目」と書かれている。母が眉尻を下げ、大袈裟に溜息をついた。

「いつからこんな面倒くさい世の中になっちゃったの?」

 アナウンサーが伝える。

「今のところ、スカートの着用を望んでいる男子生徒は、いないということです」

 弟が無邪気に笑った。

「そんな人いるわけないじゃん」

 プラスチック製の造花が冷房の風にそよいでいる。母の作った唐揚を食べながら、僕は何も言えなかった。

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