#15 僕は女の子じゃない

 突然、同級生の動きが止まった。彼の力が抜けてゆく。

 何が起ったのか分らなかった。恐る恐る、同級生を押しのける。彼は崩れるようにベッドから落ちた。

 肩で息をしながら、朝顔が大きな石を抱えて立っていた。

「かすみ、怪我はない?」

「朝顔ちゃん!」

 開け放たれた窓から潮の香りが吹き込んでいた。

「お前……俺を殺す気か」

 後頭部を押さえながら、同級生がゾンビみたいに起き上がる。朝顔は石を打ち捨て、彼を見下みくだした。

「死なないように手加減して差し上げたんです。感謝していただけますか」

「ふざけたこと言いやがって――」

「えいっ!」

 僕は同級生の股間を思いっきり蹴り上げた。彼が床に突っ伏し、白目をむく。僕は驚き、目をぱちくりさせた。

「朝顔ちゃん。僕、人をころしちゃったの?」

「まだ生きてる。ほら、逃げるよ」

 朝顔に手を引かれる。海風に旗めくカーテンを押しのけ、僕たちは窓から逃げ出した。

 夕陽に煌めく渚を走る。

 宿の建物が見えなくなったところで、僕は膝をつき、うずくまった。顔中に嫌な汗をかいていた。朝顔が心配そうに言う。

「大丈夫? もしかして――」

「される前に、朝顔ちゃんが助けてくれたから。ありがと……げほっ」

 砂浜の真ん中で、僕は戻した。

 外にある水道で口をゆすいだ。濡れたままのシュシュを握る。

 朝顔は僕のシュシュを洗ってくれた後、どこかへ行ってしまった。しばらく待っていたら、更衣室から帰ってきた。本のような物を抱えている。

「かすみ、これ」

 朝顔が差し出したのは、僕の白いノートだった。

「俺、今夜家に戻るから、今日渡すしかなくて」

「あ、ありがとう」

 ノートを受け取る。濡れないように、ジッパー付きの透明な袋に入れられていた。

「かすみ、ごめん」

 朝顔が頭を下げる。

「かすみがこんなに真剣に悩んで、調べてたの、俺は知らなかった。『かすみは男の子だ』なんて、軽いこと言って本当にごめん」

「朝顔ちゃん、もういいよ」

 焦る気持を抑え、朝顔を真似てゆっくりと伝える。

「図星だったの。僕の心は、やっぱり男の子だったみたい。だけどそれを認めるのが、受け入れるのが辛かったんだ」

 朝顔が驚いた顔を僕に向ける。

「僕の方こそごめんね。助けに来てくれて、ありがとう」

 僕たちは次の言葉に迷い、見つめ合った。だけど堪え切れなくなって、手を握り合って静かに泣いた。


 気付いたのは、更衣室で服を着た時だった。

 お気に入りのスカートを穿いて、脱いだものを仕舞う時、水着の内側にぬめぬめとしたものが付いているのに気づいた。塩の塊かな、と思った。だけど、違った。

 床に小さな白い水溜りがある。

 鞄を探り、ポケットティッシュで床を拭く。みんなに見られないように、自分の体を盾にして。

「どうしたの?」

 シュシュに声をかけられる。

「ちょ、ちょっと、床が汚れてたから」

 びっくりした。急に怖くなった。

 水着を拭き、体を拭おうとした。だけど、拭っても拭っても出てきて、僕は仕方なくティッシュを詰めて、その上に下着を穿いた。

 帰りのバスで、シュシュと朝顔は眠ってしまった。安心し切った表情で、静かな寝息を立てている。

 だけど、僕は一向に落ち着かなかった。体の中がぐじゅぐじゅ鳴っていて、気持悪い。乗客は僕たちの他にほとんどいない。一番後ろの席にいた僕は、みんなに見つからないように、こっそりと確認した。

 下着とスカートに染みてしまっていた。

 僕は息を殺して、また泣いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る