#13 海

 水平線に入道雲がそびえていた。海水浴場は多くの人々で賑わっている。

「や、やっぱり恥しいよ!」

 ホテルに併設された更衣室の影で、僕は震えていた。シュシュが苦笑する。

「大丈夫。かすみちゃん可愛いよ」

 シュシュに手を引かれ、恐る恐る砂浜へ踏み出す。明るみに出た僕は、空色のビキニを着ていた。

 お店で一目惚れして買った物だ。でも、実際に着てみて恥しさが押し寄せた。大事なところをこんな小さな布で覆うだなんて、と考え出したら、それだけでのぼせそうになる。ビーチサンダルが砂地に引っかかるような気がする。長いポニーテールが剥き出しの背中にさらさらと触れて、くすぐったい。

 人目を気にして俯いていたら、シュシュに背中をぱしんと叩かれた。

「自分の好きな物を、自分のために着てるんでしょ。楽しまなくちゃ勿体ないよ」

 男の子姿の朝顔がパラソルの下であぐらかいていた。シュシュが声をかける。

「朝顔ちゃんお待たせ」

 顔を上げた朝顔と、思いがけず目が合った。僕は慌てて目を逸らした。朝顔も顔を背ける。その様子を、シュシュが不思議そうに眺めている。

 スマホを仕舞いにロッカーへ戻ったら、シュシュがいてきた。

「朝顔ちゃんと何かあったの?」

 はぐらかそうとしたけど、シュシュがジト目を向けてくる。隅に追い詰められて、僕はとうとう観念した。

 外壁に寄りかかって事情を話す。さざめきの向うに静かな波の音が響いている。同情するように、シュシュは何度も頷いてくれた。聴き終えて、幼い子供をたしなめるように言う。

「それで、かすみちゃんはどうしたいの?」

 僕は口を噤み、思い返した。朝顔も、僕を傷付けようとしてあんなことを言ったわけじゃない。

「朝顔ちゃんと……仲直りしたい」

 口に出してみたら、拍子抜けるほど単純なことだった。子供っぽい悩みだな、と思う。でも、意地を張って無視を決め込む方が幼稚だ。

「それなら、やることは決ってるよね」

 僕の前に踏み出す。使命感たっぷりに、シュシュは胸を張った。

「わたしが朝顔ちゃんとの仲直り、手伝ってあげるよ!」

 パラソルの下にシートが敷いてある。僕と朝顔はそっぽを向きながらそこに坐っていた。気付かれないように振り返ってみたら、彼はヘッドホンを着けて俯いていた。首筋に汗が滲んでいる。僕もシートの反対側で縮こまった。スマホの時計の進みが、いつもの何倍もゆっくりに感じられた。

 その時、突風が吹き荒れた。パラソルがぐらぐら揺れる。人混みから、どこか楽しそうな悲鳴が上がる。飛ばされたシートを追いかける人が見えた。

 僕たちのシートも大きく捲れ上がった。僕は慌てて手で押さえたけど、シートが波打って上手く行かない。

 朝顔が駈け出して、すぐに戻ってくる。彼は炊飯器くらいの大きな石を軽々と抱えてきて、シートの角に置いた。

 僕はその様子を呆気に取られて見ていた。

「買ってきたよ!」

 三人分のかき氷を抱えたシュシュが、笑顔で戻ってきた。

「いただきます」

「い、いただきます!」

 朝顔は丁寧に手を合せると、のんびりと氷を掬って口に運んだ。僕は勢いよく搔き込んだ。火照った体に冷たい氷が染み渡る。同時に、頭がキーンと締め付けられたようになる。

「痛た……」

 僕は頭を抱えて笑った。シュシュも笑う。朝顔も笑ったけど、僕と視線が合うと慌てて目を逸らした。僕も顔を背ける。それを見て、シュシュが溜息をつく。

「かすみちゃん、行くよ!」

 海に膝まで浸かり、シュシュがビーチボールを打った。入道雲を背景に抛物線を描く。

「朝顔ちゃん!」

 シュシュの打ったボールを、僕がアンダーパスで朝顔へ回す。

「シュシュ!」

 朝顔の打ったボールは、シュシュへは向わなかった。朝顔が「あっ」と声を洩らす。ボールはずんずん迫ってきて――僕の顔に直撃した。

 僕は派手に倒れた。水柱が立つ。

「大丈夫?!」

 シュシュが駈けつけてくれる。僕はよろよろと立ち上がった。口の中が塩辛い。折角セットした髪が、台無だ。

「かすみ、ごめん」

 朝顔が申し訳なさそうに言う。僕はくるりと踵を返した。

「僕、向うで一人で遊んでくる」

「かすみちゃん!」

 シュシュが呼び止めようとする。僕は聴こえない振りをして、渚に沿ってずんずん歩いていった。

 人気ひとけのない所まで来た。振り返ると、色とりどりのパラソルがお花畑のように見える。

 砂の上に、もぞもぞと小さなものが動いているのを見つけた。やどかりだった。僕は炎天下でしゃがみ込み、やどかりをつんつん突っついていた。

「お姉さん、一人?」

 声をかけられる。視界にサンダルが入り込む。ごつごつした雄々しい足に、ペディキュアを塗っていた。

 Tシャツにハーフパンツ姿の青年が立っていた。逆光で見えづらい姿を、目を細めて見る。見覚えのある顔に、僕は意表を突かれた。中学の同級生だった。

「久しぶり! 卒業以来だね」

 笑顔で立ち上がる。彼は訝しげに僕を見つめて、だんだんと目を見開いた。

「お前……まさか、女になったのか?!」

 その言葉に、僕は「しまった」と思った。

「――二次性徴が来ないから、胸も大きくならないし、妊娠もできないんだけどね」

 浜のすぐ近くの木陰で、僕は説明した。同級生は僕の話を聴き終えると、納得したように一つ頷いた。

「それにしても驚いたな。そんな機械が発明されてただなんて。作った人は大したもんだよ」

「まだ治験の段階だけどね」

 僕も誇しかった。この会話を新宮医師が聴いたら、きっと喜ぶだろう。

「こんなに可愛くなっちゃって、誰だか分からなかった」

「可愛い」という言葉に心が揺れる。

「いやあ、それほどでも……僕、可愛い?」

「めちゃくちゃ可愛いだろ。美少女」

 僕の顔から火が出た。

「今、暇? 俺、近くの宿に泊まってるんだ。よかったら来ないか」

「でも僕、友達と来てるから」

 朝顔の、あの申し訳なさそうな顔が思い浮ぶ。

「唐揚でも奢るからさ」

 朝顔の顔は、香ばしい匂いに搔き消された。

「有り難くご馳走になります」

 僕は彼にいて行った。周りには誰もいなかった。ただ、ビーチサンダルの足跡が僕らの後ろに続いている。

「君は誰と来たの?」

「俺は付添で。姉貴が海の家でバイトしてるんだ。かき氷作ってる」

 沈黙が流れる。

「お前、俺のことを怖がらないんだな」

 歩きながら彼は言った。意味が解らなかった。

「どうして君を怖がるの?」

 同級生は心を救われたような、穏やかな表情で笑った。

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