#10 僕のなりたいもの

「病院で目を覚ました時、夢が叶ったと思ったの。これで女性として見てくれる。本当のわたしを見てくれるって」

 公園のベンチでシュシュは言った。僕はその隣に腰掛けている。

「でも、だんだん分らなくなっちゃって。初めはあなたとお出掛できて嬉しかったんだけど。かすみちゃんにとって、わたしって何だろう。女の子だから一緒にいてくれるのかな、とか思っちゃって。女の子として見られるのが、空しくなったの」

 彼女は自嘲した。

「おかしいよね。女として見てほしかったのに、女として見られるのが嫌になるだなんて。……かすみちゃんが逃げちゃった時、思ったの。女の子じゃないわたしは、やっぱり要らないんだって」

「そんなことないよ!」

 居たたまれなくて、立ち上がった。

「もちろん、女の子の方がシュシュちゃんらしいけど。さっき言ったみたいに、女性でも男性でもなく、シュシュちゃんとして僕は君を見てるよ」

 茶色い綺麗な瞳が、僕を見上げる。

「君が女の子じゃなくても、きっと僕たちは友達になれてたと思う。だから……治験、やめないでほしいな」

 シュシュはきょとんとした。泪目のまま、首をひねる。

「どうしてわたしが治験をやめるの?」

 僕もきょとんとした。見計らったように、頭上のからすが「アホー」と一鳴きする。頭がこんがらがる。

「でも、さっき退院の手続をしてたでしょ」

 彼女は首を横に振った。

「恵美ちゃんとの面談を早められないか、お願いしてたの。窓口の人は治験の内容を知らないから、男性の姿で」

「じゃあ、看護師さんが『今朝退院しました』って言ってたのは」

「かすみちゃん、病室を間違えたんだよ」

 僕の早とちりだったらしい。体の力が抜けてゆく。シュシュが困ったように笑った。

「確かに夕辺ゆうべは落ち込んだけど、それで治験をやめたりしないよ。かすみちゃんと別れるの、わたしも嫌だから」

 結局、お互いに誤解していただけだった。要らぬ心配をしていたことに気付き、二人で安堵の溜息をつく。

「ところで、面談を急いで新宮先生に何を伝えたいの?」

 訊ねると、彼女は立ち上がってシャツの裾を捲ってみせた。女の子になれる機械を装着している。釦を押し、はっきりと言った。

「『わたし、女性として生きていきます』って伝えるの」

 機械の運転音が停る。彼女はあの女の子の姿に戻っていた。

「こっちの姿の方がわたしらしいって思ってくれて、嬉しいよ」

 誇しげな彼女に、さっきまでの緊張がよりほぐれる。

「かすみちゃん。昨日の答、教えてくれる?」

「答?」

「『わたしたち、友達だよね』って訊いたよ」

 僕は笑顔で頷いた。

「もちろん、僕たちずっと友達だよ!」

 ブカブカになったスーツに飛びつく。彼女は一瞬目を丸くして、それから照れたように笑った。


 面談室には穏やかな空気が流れていた。新宮医師がパソコンの鍵盤を軽やかに叩く。

「女の子になれる機械ってよく考えたら、性別だけじゃなくて年齢も変えられるんですね」

 彼女が「ええ」と頷く。

「もしかして、歳をとったら子供になるっていうのを繰り返せば、永久に生き続けられるんじゃ……」

 腕を組んで考える僕に、笑いながら首を横に振った。

「まさか。見かけが若返るだけです。不老不死になれるわけではありませんよ」

 最後に、彼女は柔らかい声で訊ねた。

「女性として生きる決意は、変っていませんか」

「変っていません」

 僕は明言した。そして俯く。

「だけど……僕はシュシュちゃんとは違います」

 新宮医師が小首を傾げる。僕は言い直した。

「女の子になりたい動機が、違うんです」

 廊下を歩きながら、僕は考えた。

 ――女性として見られたかった。

 シュシュはそう語っていた。学校や会社で男性として扱われることに、彼女は耐えられなかったんだ。

 対して僕は、女性として見られたいわけじゃない。可愛い髪型にして可愛い服を着たかったから、女の子になったんだ。それは男の子には許されないことだから。

 そこまで考えて、立ち止る。階段の途中で僕は思った。

 僕のやりたかったことは、女の子にならなくてもできたんじゃないの?

 僕は女の子じゃなくて、可愛い男の子になりたかったんじゃないの?

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