#6 スカートってドキドキするよね
試着室に入ると、脇に小さな籠があった。白い和紙みたいなものがたくさん重なって入っている。籠には「フェイスカバー」と書いてあった。何に使うんだろう。
「かすみちゃん、着方わかる?」
カーテン越しに答えた。
「たぶん着られる!」
ぷち、ぷち。シャツの釦を外し、ハンガーに掛ける。壁に姿見が嵌めてあったけど、恥しくてまともに見られなかった。つやつやしたブラウスに袖を通すと、肩にぴったりと合った。男の子の体だったら、きっと少しきつかっただろう。
スカートに足を通す。ひらひらのフリルがふくらはぎに触れて、くすぐったい。スカートがせり上がってくるにつれて、僕の鼓動は速くなった。おでこが熱くなる。
カーテンをそろりと開けて、顔を覗かせる。
「どうかな……?」
裾を摘んで見せると、シュシュは両手で口を隠し、目を輝かせた。
「かすみちゃん可愛い!」
「ほら、見て」と、試着室内の鏡を指差す。僕は振り返った。心臓がきゅっと縮まったような気がした。
髪の長い痩せた女の子が、まっさらな服を着て立っていた。
ドキドキする胸に触れ、僕はその場で踊るように回ってみた。真っ白なスカートの裾がふわりと広がる。鏡の中の僕が耳を赤くしている。
「なんか、かすみちゃんじゃないみたい」
シュシュが眉根を下げ、気恥しそうに言った。
鼻に違和感を覚えた。なぜだかムズムズする。シュシュがぽけっとして、僕の顔を覗き込む。
何気なく触れる。見ると、指先が真っ赤に染まっていた。僕はあわあわした。シュシュが体を二つに折って笑う。
「かすみちゃん、大丈夫?」
笑いを堪えながらも、ポケットティッシュを差し出してくれた。
やっと血が止まった。服に付かなくてホッとしたけど、脚がスースーして落ち着かない。俯きながら僕は言った。
「女の子の服を着るのって、やっぱり……ドキドキするね」
シュシュが微笑む。
「そうだね。ドキドキするよね」
僕たちは見つめ合って、同時に噴き出した。
「僕、この服にするよ」
「その色でいい?」
シュシュがハンガーラックに触れながら言う。空色やベージュなど、僕の着ているものの色違いが並んでいる。
「よくわかんないから、今着てるのにする」
「じゃあわたし、店員さん呼んでくるね」
店員に「着て帰りますか」と訊かれたので、僕は頷いた。
スマホを開き、残高を確める。お小遣いはたっぷりある。だけど、いざ支払う時になって、僕はレジに表示された金額に目が飛び出そうになった。
「わあ、0がいっぱい」
高校生には痛い出費だ。
「わたしが払うよ。
「か、卡!?」
シュシュが何喰わぬ顔で、クレジットで支払った。
「シュシュちゃんって幾つなの?」
唇に人差指を添え、お茶目に笑う。
「ひみつ!」
駅前広場の銅像の近くに、僕とシュシュは腰掛けていた。彼女は涼しげな淡い色のワンピースに身を包んでいる。
「アイス食べたかったな」
道路の向うを眺めて言った。店の前には長蛇の列が見える。洋服の紙袋を弄びながら、僕は返した。
「また来たらみんなで食べようね」
ふと思い出し、問いかける。
「シュシュちゃんは、性別に五種類あるって知ってる?」
彼女が目をぱちくりさせる。
「種類って、女性とか男性とか?」
「体の性別とか、心の性別とか」
彼女が指折り数える。
「身体的性と、性自認と、性指向と……あれ? 五つもあったかな」
街路樹の影を伝って、三人でのんびりと歩いた。青空がちかちかして、眩しい。朝顔は深紅のスカートを穿いていた。コルクのヒールサンダルが長い脚によく合っている。
「私、こういう服着るの夢だったんだ」
満ち足りた表情で、彼女は自分の体を見た。彼女の表情が、一瞬曇る。
「お母さん、私が制服着て立つと『背が高くて恰好いい』って褒めるんだよ。私だって、可愛いスカートを穿いてみたい時もあるのに」
「わかるよ、その気持」と、シュシュが神妙な顔で頷く。
「好きな髪型にできて好きな服を着られる暮しが、どんなに幸せか。わたしは誰よりも知ってるよ」
その時、視線を感じた。
そわそわしながら相手を探す。もう一度目が合った時、僕は固まってしまった。僕を見つめていたのは、ショーウィンドウに映った僕自身だった。
今にも折れちゃいそうな細い脚に、喉仏のない細い頸。夏の風に髪を揺らして、ビー玉みたいな瞳を僕に向けている。姿が変っているから、自分だと気付かなかった。
シュシュに買ってもらった服は、確かに女の子の僕に合っていた。もし、今見ているのが知らない子だったら、素直に「可愛いな」と思う筈だ。
だけど、これが自分自身だと思うと――味わったことのない不安が僕の背中を這って登った。試着室を出た直後は、ドキドキがまさっていて気付かなかった。女の子になって、お洒落ができて、底抜けに嬉しい筈なのに。
焦点をずらすと、ショーウィンドウの中が見えた。僕はシュシュと朝顔のことを忘れて、一歩踏み出した。
ガラスの向う。花柄のカーペットに木製のトルソーが三体並んでいる。僕の目に留ったのは、端っこの目立たない一体だった。
そのトルソーが着ていたのは、薄青色のワンピースだった。雨上りの空みたいな澄んだ色をしている。半袖で、丈は膝が隠れるくらい。裾にはフリルが
衝立の隙間から店内が見えた。床と同じ、濃い色の木製のレジカウンターが、暖色の照明の下に佇んでいる。
「かすみ、どうしたの」
朝顔とシュシュがこちらを振り返っている。僕は後ろ髪を引かれながら、二人に追いついた。
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