第二話 可愛い服でおでかけ

#5 シュシュの美容室

「女性専用車輛、初めて乗った!」

 シュシュは声量を抑え、興奮気味に話した。

 車窓を朝の街並が流れてゆく。僕たちは吊革に摑まり、それを眺めた。これから三人で女の子の服を買いに行くんだ。

 シュシュはデニムのパンツに白いシャツを合せている。朝顔は半袖のパーカーが涼しげだ。男物の服を上手く組み合せて、カジュアルに着こなしている。二人ともよく似合っていた。対して僕は……自分の恰好を見下ろし、情けなくなる。

 窓に「女性専用」と書かれたステッカーが貼ってある。音楽を聴いていた朝顔は、ヘッドホンを外して言った。

「そういえば、女性車輛ってなんであるのかな」

 シュシュと僕は同時に考え込んだ。

「僕、考えたこともなかった」

「トイレみたいに分けてるんじゃないの?」

 シュシュの言葉に、朝顔が突っ込む。

「じゃあどうして男性車輛はないの?」

 シュシュはしばらく考えていたけど、観念したようにかぶりを振った。

「次の駅だよ」

 シュシュが言った。

「もう降りるの?」

 扉が開く。僕の言葉に、シュシュは意味深長に笑った。

「先に美容室へ行かなくちゃね」

 日射の下。朝顔と僕は、俯きながらシュシュにいていった。

「表札見ないでね。わたしの本名、れたらいけないから」

 顔を上げると、古い金属製の玄関扉があった。可愛いというより、渋い。僕は意外に思った。

 シュシュは人差指を電子錠に近付け、直前でピタリと止めた。不安気に僕たちを振り返る。

「開けられるかな。恵美ちゃんに訊いとけばよかった」

「恵美ちゃん」という言葉に僕は引っかかった。朝顔が腕を組む。

「確かに新宮先生、指紋のことはおっしゃってなかったよね」

 目を瞑り、えいやっと指の腹を押し付ける。「ピッ」と音が鳴って、解錠された。三人で胸を撫で下ろす。

 廊下を歩く。床がきしきしと鳴った。雨戸は閉め切ってあった。襖の隙間にちらりと仏壇が見える。暗くてよく見えなかったけど、老夫婦らしき写真が掛けてあるのが分った。シュシュの祖父母だろうか。

「お母さんとお父さんは?」

 朝顔が何気なく尋ねる。シュシュは答えた。

「今は遠いところにいるの」

 戸が開かれる。その先の光景に僕は笑顔になった。

「わ、可愛いお部屋」

 フリルにリボン。小物や衣装が所狭しと飾られている。桃色のカーペットの上でくるりと振り返り、シュシュは誇しげに言った。

「ここはわたしのお城なの」

 部屋の一角に大きな鏡とセット椅子があった。近くには様々な髪型をしたマネキンの頭が置いてある。

「朝顔ちゃん、かすみちゃん。どっちが先に坐る?」

 背もたれを持って椅子をくるりと回した。片手には鋏を持っている。朝顔はびっくりした表情で言った。

「切れるの?」

「任せてよ」と胸を張る。

 僕は鏡の前で振り返った。腰の上で揃えてもらった髪が、振子になる。ミディアムヘアになった朝顔が満足気に自分の髪をいじっている。僕は尊敬の目を向けた。

「すごいね、美容師さんになれるよ」

 シュシュは諦めたように笑った。

「なれたらいいけど……わたしには無理だよ」

 僕と朝顔は顔を見合せた。

「かすみちゃん、メイクしてみる?」

 話を逸らすようにシュシュが言う。僕は胸を踊らせた。

「してみたい!」

 シュシュが引出を探っている間、朝顔に訊ねる。

「君はお化粧しないの?」

 彼女は自分の頰を指した。

「私はもう病院でしてきたから」

 苺牛乳色の座テーブルに、きらきらしたコスメが並べられた。

「ここにあるのはまだ開けてないから。かすみちゃんが欲しかったらあげるよ」

 僕はチークを手に取った。お菓子みたいな入れ物が可愛い。中にはパフがちょこんと入っていた。ミントグリーンのリボンが付いている。

「かすみ、メイクしたことあるの?」

 朝顔が訊ねる。僕は目を泳がせた。

「あ、あるよ」

 手をぷるぷる震わせながら、パフを頰に近づける。シュシュが慌てて止めた。

「かすみちゃん嘘ついたでしょ?! まずは化粧水と乳液だよ!」


 夏の日差を浴び、シュシュと朝顔はファッションビルの前に立っていた。朝顔が振り返り、おかしそうに言う。

「かすみ、いつまでそこにいるの?」

 僕は柱の陰で震えていた。

「だって、お洒落な子ばっかりなんだもん」

 思い思いに着飾った女の子たちが出入りしていた。シュシュが励ましてくれる。

「かすみちゃんもとっても可愛いよ」

「勇気を出してよ。ここまで来て服を買わないつもり?」

 朝顔の言葉が僕の心を揺さぶる。恥しさと物欲しさの狭間で僕は葛藤した。

「そうだよね。勇気……勇気を出さなくちゃ」

 僕は拳を握りしめ、物陰から飛び出した。陽の光を浴びる。髪が熱風に揺れる。

 ガチガチの足取で立ち向ってゆく。シュシュと朝顔がくすくす笑い、僕にいてくる。

 冷房の風に当る。通路を歩きながら、僕は見とれてしまった。

「まるで天国……」

 右を見ても左を見ても、お洋服がいっぱいだ。一生かけても着尽くせないほどある。

「シュシュ、私一人で見てきてもいい?」

「いいよ。いってらっしゃい」

 二人が話している間、僕はふらふらと一着に近付いた。

 シャボン玉を捕まえるように、そっと指先で撫でる。生地のさらさらとした手触りが、腕を伝って胸まで届く。

「かすみちゃん。欲しい服見つかった?」

 振り返ると、シュシュがにこにこしていた。

「嬉しすぎて……どれを選んでもいいだなんて、夢みたい」

「夢じゃないよ」

 シュシュは後ろ手を組み、笑った。

「かすみちゃんの好きな服を着ていいんだよ」

 胸が高鳴る。僕は喜びを嚙み締めるように、大きく頷いた。

 シュシュがワンピースを自分の体に当てがって言う。

「これ可愛くない?!」

 僕は前のめりで言った。

「可愛い!」

 二人で店を廻り、はしゃぐ。服のことでこんなに誰かと盛り上がったのは、今日が初めてだ。

「僕たち、趣味が合うね」

 シュシュは眩しそうに笑った。

「ほんと。わたしたち、仲良くなれそう」

 その時、店員に声を掛けられた。

「ご試着なさいますか」

 僕は目配せした。シュシュが言う。

「いいんじゃない? 着てみなよ」

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