2-2



*****


 食事が済んだ後、ネロはロゼリアに瘴気を寄せ付けない加護をあたえ、ロゼリアがとうぞくおそわれた場所へと向かった。昨日は馬車に乗っていたので気付かなかったが、瘴気が近いせいか、鳥の鳴き声や生き物の気配がまったくしない。聞こえてくるのは風にれる葉音のみだ。

 不自然過ぎる静けさに、ロゼリアは不気味さを覚える。しかし、数歩先を歩くネロからなぞの鼻歌が聞こえ、そのどこか間のけた曲調がロゼリアの心をなごませた。

 頭上に広がっていた青空がだんだん黒みを帯びていき、しおれた植物が目立ってくる。

 さらに森の奥へ進むと、周囲はばかりになり、さつばつとした光景が広がる。うっすらと見えていた瘴気がじょじょくなっていき、少し先がにんできないほどになった。


(ネロの加護があるから特にえいきょうは受けないようだけど……これが瘴気の中? まるで絵の具で黒くつぶされているみたい)


 前を歩くネロがそのまま瘴気の中にけて消えてしまいそうだ。しばらくすると、ネロが足を止めて振り返った。


「ここら辺でいいか。じゃあ、魔力をもらうぞ」

「ええ、でも、魔力のわたしってどうやるの?」


 他者に魔力を与える方法なんて聞いたことがない。もし、それが可能ならロゼリアは有り余った魔力をとっくの昔にだれかへ渡していただろう。


(一応、乙女おとめゲームの世界だし……まさかキスとか?)


せいりゅうでん』のプレイにねんれい制限はなかったはず。さすがにそんなわけないか、とロゼリアが内心で笑い飛ばした時だった。


「あー、一番手っ取り早いのはハグか? はだれる面積が大きければ、なおよし!」


 ネロが「さあ、来い」と言わんばかりにうでを広げたのを見て、どうようしたロゼリアはうっかり魔力を暴発させた。

 それは大きなかたまりとなってネロのほおかすめていき、すぐとなりにあった枯れ木がこっじんはじけ飛ぶ。無残にもくだったそれをいちべつした後、ネロはロゼリアに顔を向けた。


「……ロゼリア?」

「ハグ……? 肌……? 面積? ん? え?」


 いきなり淑女にはハードルが高いことを要求され、頭が混乱してしまう。いまだにれ出るロゼリアの魔力が周囲にでんし、木々が悲鳴を上げていた。


「落ち着け落ち着け。それは効率面の話であって、手にちょっと触れるだけでも大丈夫だ。後はオレが適当にもらうから」

「それを先に言ってちょうだい! びっくりするでしょう!?」


 どうやらここが乙女ゲームの世界だという先入観にとらわれ過ぎていたようだ。とはいえ、ネロに右手を差し出されたものの、ロゼリアはその手を取るのを躊躇ためらってしまう。


「ちょっとね、本当にちょっとでいいのね?」

「動揺し過ぎだろ……お前、すげぇ顔してるけど、大丈夫か?」

「大丈夫なわけないでしょ! 受け渡し中にうっかり魔力が暴発でもしたら、貴方あなたが木端微塵になるのよ!」

「ならねぇよ!」


 ネロはかんはつれずに否定すると、ため息をついてあきれた口調で言った。


「お前、いつもそんなんでつかれねぇの?」

「だって……迷惑かけるじゃない」


 ロゼリアだって、努力をおこたっていたわけではない。第一王子の婚約者だっただけに、国王の計らいで一流の教師をつけてもらったこともある。しかし、一向に上達せず、とうとう教師はさじを投げた。

 そこでロゼリアは感情的にならないよう自分を強くいましめることで暴発をおさえ込むことに成功した。しかし、少しでも感情がたかぶろうものなら小さな暴発をかえし、その都度レオンハルトに「またか」とべつの目を向けられる日々だった。ネロもそのうち呆れてロゼリアをうっとうしく思うかもしれない。


「ネロだって、何度も家に穴が開いたら迷惑でしょ?」

「いや、別に?」

「…………え?」

「別に迷惑のはんちゅうじゃねぇけど?」


 きっぱりとしたネロの答えにぽかんとしていると、彼はロゼリアの額を軽くいた。


「あのな、ロゼリア。そもそもオレと人間じゃ、性能も感性もちがうんだよ。人間がどう思うかは知らねぇけど、食器や壁を直すくらい造作もないし、オレと比べりゃお前の暴発なんてそよ風も同然だ」

「いや、人外と比べられても……」

「それに魔力の暴発ごときで迷惑迷惑って。オレなんか国をほろぼしかけた上に、聖竜姫にふういんされてなお、反省もしてねぇし、なんなら迷惑かけたとも思ってねぇからな!」

「それは反省しなさい!」


 もはや開き直っているネロの態度を反射的に𠮟しかりつけると、彼はふっと笑う。


「とにかく、オレといる時はそんなことを気にしなくていいんだよ。思い切り失敗できる相手として、オレ以上にたのもしい相手はいるか?」

「そ、それは……」


 いない。確かにそう言える相手だ。

 ロゼリアのちんもくこうていと受け取ったのだろう。ネロは手を出して、にーっと笑ってみせる。


「だから、お前は世話を焼かれとけ。拾ったからには最後までめんどう見てやるからさ」

「私は……捨てられたいぬねこじゃないわよ」


 文句を言いつつもロゼリアはネロの手を取る。ひんやりとしたかんしょくが手のひらに伝わり、そのここよい冷たさがロゼリアの心を落ち着かせた。ネロは赤いひとみをゆっくりと閉じる。


「瘴気の浄化は難しいものじゃない。大地にまったけがれをはいじょし、『生命のぶき』の流れを正常にもどす。それだけだ」

 だいにロゼリアの身体からだが光に包まれ、あわい光体が現れた。その光体はてんめつしながら二人の周囲を飛び回り、瘴気を取り込んでいく。


(綺麗……ほたるみたい……)


 ロゼリアの身を包んでいた光はやがてつないだ手を通してネロへと移動していった。 それが全て移った時、まぶしい光と温かいとっぷうがネロから放たれる。


「きゃぁ……!」


 光と風はロゼリアとネロを中心に広がり、れた大地が息をき返す。枯れた草木に緑が戻り、頭上をおおっていた瘴気は消え、晴れ晴れとした青い空が広がっていた。


「これが……聖竜の浄化の力……?」


 急に足の力が抜け、ロゼリアはその場にへたり込んだ。両手が小さく震えている。身体にだるさは残るものの、言葉にできないこうようかんがロゼリアの中にあった。


(なんか、不思議な感じ。身体の内から温かくなるような……それでいて軽くなる感じ)


 不思議な感覚にロゼリアがぼうぜんとしていると、隣にいたネロが「お~、すげぇ」という間の抜けた声を出していた。


「思ったよりくいったなー」

「上手くいったって……ずいぶんごとね」

「まあ、人間からもらう魔力だしな。実際、しゅんに森を修復させるほどとは思わなかったんだよ。でも、お前の魔力で完全に浄化できたんだぞ? それってすごいことじゃん!」


 じゃに言うネロにロゼリアはぽかんとしてしまう。


「すごい? 私の魔力が?」

「そう、お前の魔力が」


 ほら、と言われてロゼリアは改めて周囲を見回す。

 殺伐としたふんは一変し、おだやかな森の姿に戻っていた。先ほど感じた不気味さはなく、ロゼリアは改めて自身の魔力を使ったことでこの光景を取り戻せたのだと実感を持ち始めた。


(そっか……私の魔力が役に立ったんだ)


 今まで暴発させてばかりだった魔力がこんな形で役に立つとは思っていなかった。

 座り込んでいたロゼリアにネロが手をべる。ロゼリアが顔を上げると、ネロはくったくのないがおを向けてきた。


「帰るか」

「そうね」


 ネロの手を取って立ち上がろうとした時、身体がふわっといたかと思うと、ネロの顔が目の前にあった。少しおくれて抱きかかえられていると気付き、たちまち頰が熱くなる。


「ちょっ!?」

「魔力が急に減ったんだから、立てないだろ。大人しくしてろ」

「だ、大丈夫! 大丈夫よ!」

「さっきまでへたり込んでたヤツが何言ってんだよ」


 ネロの腕から抜け出そうと必死にもがくも、身体に上手く力が入らない。それでもネロの顔がきんきょにあるのが落ち着かず、思い切り顔をらした。

 そっぽを向かれたネロはロゼリアのげんそこねたとかんちがいしたようだ。何か思いついたように、にやりとした笑みを浮かべる。


「ほ~ら、ちゃんとつかまってないと落ちるぞ~」


 ネロがわざとロゼリアの身体を頭から下へとかたむける。


「きゃあっ!?」


 慌ててネロのむなもとを摑んだロゼリアが小さく身体を縮こませると、ネロの動きがぴたりと止まった。不思議に思ったロゼリアが顔を上げると、にたぁ~と笑ったネロの口から八重歯がのぞく。


「お~っとっとと~」

「きゃぁぁあああぁぁぁっ!」


 再びロゼリアを放り出さんばかりに身体が傾けられ、ロゼリアは必死にしがみつく。


「何するのよ!」

「いや~、お前の反応が面白くてついな」


 悪びれる様子もなく、笑顔を向けるネロに、どっと疲れが増す。握っていた手を放し、完全に身体を預ける形になった。


「身動きできない人間をもてあそぶなんて……っ!」

「神が人間を弄んで何が悪いんだ?」

「開き直るな!」


 ケタケタと笑いながらネロはロゼリアをなだめると、ようやく歩き出した。そのゆっくりとした歩調はかごのようで、時折かすかにただようリンゴのような香りが、ロゼリアにあんかんを与えた。


「なんというか、ネロはなんでも楽しそうでいいわね……」

「あー? そりゃ、楽しい方がいいだろ?」


 ロゼリアが見上げると、ネロはにっと口角を上げて笑ってみせた。


「何かを楽しみながら生きる方が有意義だろ。お前はなんか楽しみとかなかったのか?」


 厳しいおう教育に加え、学業と魔力のせいぎょに明け暮れていたロゼリアは、すぐにこれといったものが思い出せなかった。しゅうはレオンハルトへのいらちをまぎらわせる為に打ち込んでいたので、もはやしゅとは言えない。しきでお茶やおを食べる時間は楽しみというより、何も考えず『無』でいる時間だった。


「なかった……かしら?」

「そっか。じゃあ、これからだな」

「これから?」

「これから楽しいことを見つけていけばいいんだよ。オレはもう新しい楽しみを見つけたしな」

「何よ、新しい楽しみって」

「お前」

「わ、私!?」


 予想外の返答に面食らっていると、ネロは大きくうなずく。


「魔力のじゅうも大事だけど、お前といると退たいくつしなそうだし、お前を拾ってよかったわ」


 ずかしげもなくさらっと言ってのけるネロに、再びロゼリアは顔を逸らした。頰が熱くなっているのは気のせいだと思いたい。


「おい、なんでまたそっぽ向くんだ? まだ怒ってんのか?」

「…………違うわよ。でも、そうね。私も、ネロと一緒なら退屈しないと思うわ」


 正直、この先のゲームのシナリオを考えると不安なことばかりだが、今のネロを見ていると案外どうにかなりそうな気がする。それにこの明るい性格に、ロゼリアは少しばかり救われた気分だった。

 本心からロゼリアが答えると、ネロの腕にぎゅっと力が入った気がした。


「ん? ネロ?」


 彼を見上げてみると、ネロは赤い瞳を瞬かせながら小首をかしげていた。


「んー、なんだろうな…………うん。ちゃんと最後まで面倒見るわ」

「だから、私は犬猫じゃないの!」


 まったくもう、とロゼリアは呆れ交じりに言いつつも、最後には笑ってしまった。

 家に着く頃には陽が傾き、空がオレンジ色に染まり始めていた。ネロはかかえていたロゼリアを降ろすと身体を伸ばす。


「さーて、ぼちぼち飯と風呂の準備でもするか」

「私も手伝うわ」


 ロゼリアがそう言うと、ネロは「え?」と意外そうな顔をする。


「お前、おじょうさまだろ? 家事やったことあるのか?」

「やったことはないけど、さすがに何もしないでいるっていうのは気まずいのよ」


 こうしゃくれいじょうだったロゼリアは、もちろん家事なんてしたことがない。しかし、前世ではどうだったか。「多分やったことがある」というくらい、ぼんやりした認識だった。

 とはいえ、ネロにとって食事や風呂は娯楽の一部であり、本来必要ない。用意してくれるのは、ロゼリアに合わせているだけ。それなのに何もしないでいるというのはロゼリアの良心が許さなかった。

 朝は彼がさっさと洗い物を片付けてしまったので、夕飯くらいは手伝いたい。しかし、ネロはロゼリアに手伝わせることが不安なのか、たっぷり間をけてから「じゃあ……」と口を開く。


「オレは裏からたきぎを取ってくるから、その間にテーブルとか調理台をいておいてくれ。料理はオレが戻ってから教える」

「分かったわ!」


 ロゼリアは元気よく返事をし、ようようと家の中に入る。ネロはその背中を見送りながら「手洗い、うがいを忘れるなよ~」と声をかけるのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る