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*****



 今思えば、のうこうな一週間だった。

 気弱なロゼリアの父は、事態を知ってその場でぶったおれた。二大公爵家の一つであるアノニマス家のむすめに反逆罪の容疑がかけられたのだ。醜聞スキャンダルなんてものじゃない。

 一方、たよりにならない父のしりを叩き、共に王家にもうこうしてくれたのは同じく王家の片翼とも言えるアルフォード公爵家の当主。父の親友であり、現王妃の兄である。

 今回のそうどうが私的な夜会であったこと、そしてアルフォード公爵のくちえもあり、ロゼリアはしょけいまぬがれた。しかし、王族を危険にさらしたことに変わりはなく、また王族へ不敬な態度を取ったことを理由に、婚約破棄はもちろんのこと、身分はくだつに加え、国外へ追放されることになった。表向きには『不敬罪』という扱いになっている。

 正直に言うとロゼリアは、一連の出来事にいきどおりを覚えることはあれど、悲観的に捉えてはいない。王族の婚約者という重圧から解放され、レオンハルトの顔を二度と見なくて済むと思えば、国外追放も悪くない。むしろ、清々しているくらいだ。

 ここはもう、心機一転して国外でのびのびと暮らしてやろう。そう息巻いていたにもかかわらず、国を出る前に盗賊に襲われる始末。

 そして、ロゼリアは今、さらなる受け入れがたい現実に直面していた。


「つまり、婚約者がお前と別れる為に無実の罪をかぶせてきた。それにぶちギレたお前が魔力を暴発させたせいで、マジで国を追われる羽目になったと? なんつーか……どっちもバカだな」

「ええ、我ながらそう思うわ……でも、つうにありえなくない!?」


 ロゼリアは今、『聖竜姫伝』のラスボス、ネロの家でを借り、温かな食事までごちそうになって、さらにはも聞いてもらっていた。

 手厚いもてなしに加え、ネロの気安い態度にきんちょうゆるんでいたのもあっただろう。だんはおいそれと王族の愚痴をこぼせなかったロゼリアは、ここぞとばかりに本音をぶちまけた。

 ちなみに、前世の話や聖竜姫の話はややこしくなる為、かつあいしている。


「相手の女も相手の女よ! 普通、人の婚約者を横取りする!? いまごろ、略りゃくだつが成功した上に地位まで手に入って、さぞかし気分がいいでしょうね、あのどろぼうねこ!」

 どんっとロゼリアがテーブルを叩くと、ネロは「人間なのにねこなのはおもしろいな」と笑いながら、そっといちごが入ったかごを差し出す。


「まあ、これでも食って落ち着けよ」

「……ありがとう」


 目の前に出された木苺をロゼリアは大人しく口に運ぶ。酸味をふくんだ甘さが口の中で広がり、すさんだ心にみ渡っていった。じょじょに落ち着いてきたロゼリアは深いため息を零した。


「いくらなんでも、犯罪者に仕立て上げなくてもいいじゃない……婚約解消の申し出があれば、もろを挙げて賛成してたわよ」


 消え入りそうな声はわずかに震えていた。

 元々レオンハルトとは仲がよかったわけでもないし、彼が他に本命を作っても構わなかった。どちらかといえば、ロゼリアは王妃の座にこだわりがない。別の女性を王妃にえたいなら、喜んで婚約者の座をゆずる気でいた。それなのに、この仕打ち。


(なんで好きでもない男に当て馬同然に捨てられるのよ! ああ~っ! あの時、もっと冷静になっていれば、私から婚約解消を言い出せたのに!)


 今となっては後の祭りだ。くやしさとみじめさがない交ぜになった感情でロゼリアがうめき声を上げていると、頭上から明るい声が降ってくる。


「むしろ、そんなヤツに捨てられてよかったじゃん」

「……え?」


 顔を上げるとネロはじゃな笑みを浮かべていた。


「男なんてくさるほどいるんだし、たまたまマジで腐った男に当たっても不思議じゃねぇよ。そんな男には笑いながら『彼女とお幸せに』とか言って、見えないところで親指を下に突き立ててやりゃいいんだよ」


 まさかはげまされると思っていなかったロゼリアは、いっしゅんぽかんとしてしまった。


「あ、ありがとう……」

「おう、気にすんな」


 そう言って、自分の口に木苺を放り込んでいるネロだが、ゲームではこうりゃく可能なラスボスとして登場する。乙女ゲームなのに画面を真っ赤に染め上げ、ヒーロー共々ヒロインを血の海にしずめたバッドエンドは全プレイヤーをしんかんさせた。

 しかし、今目の前にいる男は、ロゼリアを自分の家に招くなり「風呂に入れ」とせっつき、風呂から上がれば「飯だ」とに座らせた。おまけにどろだらけだったロゼリアの衣服は入浴している間に綺麗に洗われている。

 このみょうな現状に、ロゼリアは素朴な疑問を口にした。


「ねぇ、ネロ。自分のこと神様って言ってたけど……もしかして、あの邪神なの……?」

「ん? あのってどのだ?」


 小首をかしげるネロに、ロゼリアは国で語り継がれている邪神の伝説を伝える。


「恐ろしい漆黒の竜の姿をし、ほうこうを轟かせればあらしを呼び、翼をはためかせれば大地をくと言われている、あの……?」

「ああ、オレだな?」

「吐息にはせいの毒があり、一歩その足を動かせば草木をらし、えきびょうらせると言われている?」

「オレだな!」

「そうして、二百年前に聖竜姫に封印されたのも?」

「オレだ!!」


 屈託のない笑みを浮かべて自分を指さすネロに、ロゼリアはそっと頭をかかえた。


「信じられない……見ず知らずの人を家に招くどころか、お風呂と食事まで用意する邪神がどこにいるのよ!」

「人のこうに存分に甘えておいて、どの口が言ってんだ」


 真正面から正論を突き付けられて、ロゼリアは面食らってしまう。


「そ、それは感謝してるけど……」


 伝承通りの邪神であるなら、彼はちがいなく『聖竜姫伝』の邪神ネロなのだろう。しかし、ロゼリアが知るゲームのネロは、少なくとも人懐っこい笑みを浮かべ、親しげに会話をするようなキャラクターではなかった。


「そもそも、なんで初対面の相手にここまでよくしてくれるのよ」


 木苺をほおっていたネロがきょとんとした顔で首を傾げた。


「なんでって、オレのものをオレが大事にするのは当たり前だろ?」

「―― ……?」


 ロゼリアは彼が言わんとした意味をじっくり考えてみたが、それでも理解できなかった。


「私、貴方のものになった記憶がないんだけど?」

「あ? だってお前、追放――ようは捨てられたんだよな?」

「認めたくないけど、そうね」

「で、オレに拾われたよな?」

「家に連れてこられたことを言うのなら、そうね」

「じゃあ、拾われたお前はオレのものだよな!」


 太陽のごとくまぶしい笑顔を向けられ、その様子から彼の本気具合が伝わってきた。


「いやぁ~、助かった! 封印の力が弱まってたのか、目が覚めたはいいものの、魔力の回復がおそくてさ。定期的に魔力をじゅうできる方法を探してたんだわ」


 あー、よかったよかったと語る彼から、思わず椅子ごとあと退ずさりしそうになった。


「ま、まさか……私を拾ったのって……」

「お前から魔力を補充する為だけど?」


 屈託のない笑顔がじゃあくな笑みに見えた瞬間だった。


「た、確かに私の魔力は有り余ってるけど、私から魔力を補充してどうするの? に、人間にふくしゅうするつもり?」


 じゃっかん、声を震わせながらもまっすぐにネロを見つめると、彼は心底意味が分からないというような顔で言った。


「なんで人間に復讐するんだ? 瘴気を浄化する為に必要なだけなんだが?」

「…………?」


 ロゼリアの脳内にもんがいくつも浮かぶ。彼が人間に復讐するつもりがないことにも驚いたが、邪神が瘴気を浄化するなんて聞いたことがない。

 そもそもロゼリアが知る限り、この国で瘴気を浄化できる神は一柱だけ。


「瘴気って浄化できるものなの? まるで聖竜みたいね、な~んて……?」


 皮肉でもなんでもなく、ほんの冗談のつもりで軽口を叩くと、ネロは赤い瞳をぱちくりさせた。


「まるでも何も、オレがその聖竜なんだが?」

「え………………ええぇえぇぇぇえええええええええっ!?」


 ロゼリアは声を上げて身を乗り出した。

 彼の発言はゲームシナリオどころか、この国の在り方をくつがえすものだ。


「なんで邪神が聖竜に!? いや、逆!? なんで聖竜が邪神に!? 国の瘴気は人間を恨んでる貴方が生み出しているものじゃないの!?」

「とんでもねぇ言いがかりだ。そもそも瘴気は大地の下から勝手に出てくるもんだろ?」


 ネロいわく、この国では竜脈と呼ばれる場所から、生命の源になる『力』が川のように大地の下を流れている。それは『生命のぶき』と呼ばれ、しょくもつれんでいう土台の部分を支えているものらしい。『生命の息吹』の流れがとどこおると力はよどみ、けがれに変わる。それが地上にはいしゅつされたものが、この国で瘴気と呼ばれるものなのだとか。


「つまり、瘴気の発生は自然現象ってこと!?」

「そういうこと。オレの役目は『生命の息吹』の流れを管理すること。瘴気の浄化もそのいっかんだ」


 聖竜は瘴気から国を守る神聖な存在だと幼い頃から教え込まれていたが、考えてみれば聖竜が国を守る義理などない。おそらく、人間側が勝手に都合よくかいしゃくしていたのだろう。


(なるほど、邪神と戦ったのが聖竜ではなく聖竜姫だったのもなっとくだわ。邪神の正体が聖竜なら、止めるのは聖竜姫しかいないじゃない!)


 ネロの話が本当なら、邪神の正体を知っていた聖竜姫は彼をとうばつできず、封印という形をとったのだろう。ロゼリアの記憶が正しければ、邪神が封印された後の二百年、聖竜は人前に姿を現していない。では、本当にネロが聖竜ということか。


「だったら、なんで邪神になって暴れたのよ……っ!」

「さあ? すげぇムカつくことがあったのは覚えてるけど、何にムカついてたのかは忘れた」


 あっけらかんと答えるネロにロゼリアは頭が痛くなる。一番かんじんなところを覚えていないだなんて。


「忘れたって……聖竜が邪神になるって一大事よ! それに今の貴方の見た目だって、どちらかって言えば邪神っぽいし! どうなってるわけ!?」

「あのなぁ~……そもそも、聖竜も邪神もお前ら人間の基準で付けたしょうだろ?」

「え?」


 驚くロゼリアにネロはあきれた口調で言った。


「お前らが言う聖竜の浄化の力も、邪神の瘴気をあやつる力も、等しくオレの力だ。それを人間の基準で善悪に当てはめているに過ぎない。だから、オレに暴れた理由はあれど、オレがオレであることには変わりねぇの」


 それを聞いたロゼリアは目からうろこが落ちた気分だった。


「えーっと、それはつまり……ネロに悪い心が芽生えたり、瘴気におかされたりして悪い存在になったわけではないと?」

「オレの存在や能力が変容したかっていう意味なら、暴れた時のオレと今のオレでは何一つ変わってないぞ」

「な、なるほど~……」


 神聖な存在がちたのではなく、元からあった力を使い、姿だけが変わったということか。では、今彼がおだやかな理由は二百年前のことを忘れているからだろうか。


「じゃあ、その見た目がいつもの貴方ってこと?」


 容姿をてきされたネロは自分の髪を指でもてあそびながら首を傾げる。


「あー、どうだろうな? 今のオレは封印のえいきょうか浄化の力が弱まってる代わりに、瘴気を使ってかいや疫病を呼び込む力の方が強まってる状態だ。人間でいうところの邪神に近い姿なんじゃないか? 昔は白かったし」

(な ん だ と !?)


 聞き捨てならないセリフにロゼリアは身を乗り出す。


「浄化の力が弱まってる!?」

「おう、能力がおとっている分を魔力でどうにか補ってる状態だ。おまけに回復も遅くて困ってたんだ」


 ネロはそう言うと、にかっと笑った。


「つーわけで、お前、行く当てないんだろ? 衣食住のうち、食と住は保障してやるから、その代わりに魔力くれ」


 あまりにも無邪気に言うネロに、ロゼリアは毒気を抜かれた。


「あのね……ここはまだレイデル国内でしょ? 私、陛下の命令でこの国から出て行かなくちゃいけないのよ」

「そんな人間の事情なんて知らん」

「いや、知らんと言われても……」

「そもそも、この国は常に『生命の息吹』のおんけいを受けていて、オレはその管理者だ。この国はオレがいないと成り立たない。それは人間が一番よく分かってるだろ?」


 瘴気の発生ひんはここ数年で増加けいこうにある。瘴気が濃い地域は放置され、自然消失を待つしかない。今までは深刻化する前に魔術師の浄化魔法によって対処していたが、それも今や焼け石に水状態になっているのが現状だ。

 何も答えないロゼリアを見て、こうていと受け取ったネロは満足げに笑う。


「つまり、この国はオレのものも同然! おまけに国王の代わりなんざいくらでもいるけど、オレに代わりはいない。よって、オレは国王よりえらい! だから、オレのものであるお前は国王の命令を聞かなくていい。分かったか?」


 堂々と言い切ったネロに、ロゼリアは開いた口がふさがらなかった。

 ――天上天下ゆいどくそん。オレ様、何様、邪神様……いや、今は聖竜様か。

 どうやら彼の前では、人のちつじょとは無意味なものらしい。


(というか、聖竜の補助なら悪役令嬢の私よりもヒロインのアイラの方が適任でしょ。アイラと引き合わせた上で、ネロを上手く導いて……)


 そう考えたところでロゼリアは内心で首を横に振った。


(いやいや、よく考えてもみなさいよ。私はレオンハルト達にはめられて断罪されたのよ? もしこの世界がゲームシナリオに沿うようになっているとしたら、ネロはヒロインと出会った瞬間に邪神扱いされ、討伐対象にされちゃう可能性もあるわ。それだけはダメよ!)


 ヒロインが聖竜と邪神が同一の存在であると気付くまで、二人を会わせるのは危険だ。

 聖竜がいなくなれば、この国は滅びる。なんとしてもそれだけはかいせねばならない。

 ロゼリアがすべきことは、ヒロインと出会うルートに進まないように気を付けつつ、ネロの浄化の力がこれ以上弱まらないよう魔力を与えながら、ネロに瘴気を浄化してもらうことである。


(もし、この国から瘴気が消えたら…………多少シナリオがくるっても真のハッピーエンドになるのでは?)


『聖竜姫伝 かん


 脳内でゲームのスタッフロールが流れ、最後にタイトルロゴがでかでかと浮かんだところで、ロゼリアは我に返る。


(いやいやいやいや! よく考えるのよ、ロゼリア! 魔力をあげる代わりにめんどうを見てもらうって、家畜ペットと変わらないじゃない!)


 しかし、今のロゼリアは他に身を寄せる場所がない。国やネロのことを考えると利害は完全にいっしていると言っていいだろう。


(…………えぇいっ! なるようになれ!)


 半ば投げやりに腹をくくったロゼリアがネロの方を見ると、彼の口元がにやりと持ち上がり、やんちゃな八重歯が顔を出した。


「安心しろよ、拾ったからには最後まで面倒を見てやる」

「私は…………捨てられたいぬねこじゃないわよ――――――――――――っ!」


 ロゼリアのせいが、家の外までひびいたのだった。



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