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 公爵令嬢、ロゼリア・アノニマスには前世の記憶がある。

 日本という国で生まれ育った前世の自分が、いつどのようにして生を終えたかはさだかではない。しかし、きょうれつにロゼリアの記憶に残っているのは『せいりゅうでん』という女性向けれんあいゲーム、いわゆるおとゲームについてである。

 それは聖竜と呼ばれる神が守護する国、レイデルをたいに、聖竜の加護を受けたヒロインが、国をおびやかすじゃしんをヒーローと共に退治するちょう王道恋愛ファンタジーである。

 ゲームに登場する悪役令嬢ロゼリア・アノニマスは、実に噛ませ犬と呼ばれるに相応ふさわしいキャラクターだった。公爵家の生まれで、この国の第一王子の婚約者。何かと特別視されるヒロインにしっし、いやがらせをかえす。そうして、彼女はゲームちゅうばんで断罪イベントにより婚約破棄と国外追放をわたされ、物語の舞台から退場するのだ。

 ゲームのシナリオと同じような出来事がその身に降りかかったのは、一週間前。婚約者のレオンハルトが私的に開いた夜会でのこと。


「ロゼリア・アノニマス。お前との婚約を破棄する!」


 そう言われた直後、ロゼリアはまるで頭をなぐられたようなしょうげきを受け、前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢に転生していたことに気付いた。身に覚えのない記憶に頭が混乱しつつも、ロゼリアが真っ先に口にしたのは謝罪でもこうでもない。


「まず、理由をお聞かせください」


 それはじゅんすいな疑問だった。

 ロゼリアはレオンハルトにかたかれた少女へ目を向ける。

 彼女は『聖竜姫伝』のヒロイン、アイラ・シーカー。平民でありながら貴族の子女がつどう名門校へ特別に通うことを許された異例の編入生。その大層なかたがきとは裏腹に、彼女自身はへいぼんそのものだった。

 ぱっちり二重の若葉色の瞳。短く波打つチョコレート色の髪は、かたぐちれいそろえられている。顔の造形も平均値を出ず、ぼくな愛らしさのある少女だった。

 性格もどちらかといえば、従順で大人しそうな印象に見られるが、学院生活においては……。


もんだな。お前はアイラに対して平民のくせにずうずうしいと人前で何度もののしり、その上、嫌がらせをしていたらしいではないか。私の婚約者であることをかさに着るお前のせいで周囲は手をべることもできず、彼女もかたせまい思いをしていた。それが未来のおうが示す態度か?」

「あら、殿でんのお耳に届いた内容は、ずいぶんとちょうされたもののようですね」


 大方、ロゼリアに不満があるやからが流したものだろう。貴族社会ではよくあることだ。しかし、問題はそれだけではない。


「確かにわたくしは彼女にマナーがなっていないと注意したことがあります。しかし、彼女自身もマナーの授業を受け、わたくしに再三注意されていたにもかかわらず、そうをした自覚がないように見受けられるのですが?」


 ロゼリアがアイラをいちべつすると、彼女は気まずそうに顔を逸らす。

 貴族の慣習にうとい彼女が、多少れいを欠いてしまうのは仕方がない。しかし、何度もさとして直らないのであれば、肩身が狭くなって当然ではなかろうか。ロゼリアがそう口にすると、レオンハルトはまゆをひそめた。


「私や生徒会役員達が彼女を特別視していることにも不満があると聞いているが?」

「彼女を特別視するのは当然のことでしょう。この国でゆいいつ、瘴気を完全にじょうできる存在なのですから」


 この国で問題視されている瘴気は、薄いものであれば、きゅうていじゅつでも浄化が可能だ。

 しかし、瘴気がくなるにつれて浄化は困難になり、そのうち手をつけられなくなる。その場合、瘴気が自然消失するまで待つしかなく、ほとんどの土地は使い物にならなくなる為、手放すしかなかった。

 しかし、アイラはどんなに濃い瘴気だろうと完全に浄化する力を持っている。そんな特別な存在を誰も放っておくはずがない。それは第一王子であるレオンハルトも例外ではなく、近い将来、国のちゅうすうになう生徒会役員達も同様である。彼らがアイラと友好関係を築くことは当然だろう。

 ゲームのロゼリアがどう思っていたかは知らないが、今のロゼリアをいらたせるのはアイラではなく、レオンハルトの方だった。


「そんな国の希望とも言える彼女に苦言をていしたのも、彼女を思ってこそ。いずれ彼女は、生徒会役員の方々と共に殿下をお支えになるのですから。それに……」


 ロゼリアはたっぷり間をけた後、にっこりと微笑ほほえむ。


「公爵令嬢であるわたくしが、殿下のこうを借りるなんて大変おそおおいですわ」


 ついでに飛ばした嫌みがいたのか、レオンハルトの口元がピクピクとけいれんしている。

 おまけにもう一つおいする。


「わたくしがしょうの身であることは重々承知しておりますが、仮に彼女に無礼を働いたとして、それが王妃の資質を問われ、この場できゅうだんされるほどのことでしょうか。もし、そちらの言い分がまかり通るなら、殿下は彼女に対して少々過保護なのでは?」


 レオンハルトが彼女におもいを寄せていることは火を見るよりも明らかだ。しかし、婚約者がいる立場でありながら、人目もはばからずおうを繰り返し、夜会のパートナーにアイラを選ぶレオンハルトの不誠実さに、ロゼリアはいやがさしていた。


(というか、ぎぬで断罪されるとかじょうだんじゃないわよ!)


 少なくとも今のロゼリアはせいれんけっぱくである。ただの婚約解消ならまだしも、無実の罪をなすりつけられるなどたまったものではない。正論を武器にはんげきするが、レオンハルトが引く様子はなかった。


「何を言うか。彼女の強い浄化の力は聖竜の加護によるものではないかと言われている。これがしょうだ」


 レオンハルトの言葉に合わせて、アイラは見せつけるように自分の手をかかげる。ぶくろこうの部分が開いており、そこには黒いりゅうつばさたたんで丸くなっているあざがあった。この国の人間であれば、たとえ幼子だろうとその痣の意味を理解できるだろう。


「まさか、聖竜姫……?」


 誰かがそう口にし、小さなざわめきが大きなものに変わる。

 今もなおかたがれている聖竜姫伝説。きょうあくな邪神をふういんした聖竜姫はちょうあいあかしとして聖竜からせいこんあたえられ、その身に宿していると言われていた。

 伝説の聖竜姫が再び現れたのかと会場はそうぜんとなる。


(ゲーム通りに証拠を出してきたわね)

「彼女はこの国にとって、なくてはならない存在だ。本来であれば王妃となるお前が彼女に手を差し伸べ、手本となるべきであろう。たとえ、彼女が受けた嫌がらせに直接かんしていなくても、彼女に対するお前の態度が嫌がらせを助長したのではないか?」

「まあ! 殿下は想像力が大変豊かなようでうらやましいですわ!」


 おおに驚くりを見せながら、ロゼリアは冷ややかな視線をレオンハルトへ送る。


「殿下のおおせになったことこそ、言いがかりではないでしょうか?」


 どうしても彼はロゼリアを悪者に仕立て上げたいらしい。持っていたせんを思わずにぎつぶしてしまいそうだ。ロゼリアの苛立ちが最高潮に達しようとした時、舌打ちと共にレオンハルトの吐き捨てるようなつぶやきが耳に届いた。


「……大して使えないくせに、舌ばかりよく回る女が……」


 ぶちん、と頭の中で何かが切れる音がした。


「……はぁ?」


 ロゼリアがそう口にしたしゅんかん、彼女の身体から魔力があふれ出し、会場の空気をしんどうさせた。その振動はテーブルに置かれたグラスに伝わり、一斉に音を立てて割れる。それだけではない。頭上にあるシャンデリアまで大きく揺れ始めた。


「きゃあっ!」

「な、なんだ!?」

かべに寄れ! シャンデリアが落ちるぞ!」


 周囲の悲鳴にハッと我に返ったロゼリアが気を静めると、シャンデリアの揺れはだいに小さくなり、静止する。会場にいた者達がみなあんの息をついた。しかし、そんな中でレオンハルトは不敵な笑みを浮かべる。


「また魔力の暴発か。昔からお前は魔力を暴走させるくせがあったな?」


 ロゼリアとレオンハルトの婚約が成立した理由は、ロゼリアが強い魔力を持っていたからだ。しかし、強過ぎるがゆえあつかいきれず、時に暴発させ、周囲にがいおよぶこともあった。


「……それをご承知の上で婚約されたと記憶していますが?」

「それは幼いころの話だろう。本来魔力は成長するにつれてせいぎょできるようになるものだ。しかし、お前はいまだにく扱えないばかりか、げん一つですぐに暴走させる」

「そ、それは……」


 貴族にとってほうを使えることは一つのステータスだ。それなのにロゼリアはまともな魔法一つ習得できていない。感情が昂ると身体から魔力がれ出てしまうのだ。


(そりゃ、暴発なんて数えきれないくらいしてきたけど、器物破損はそんなに……いや、それなりにやってきたわね)


 せめてもの救いは、こくひんが参加するような大きな式典や夜会で暴発させなかったことくらいだ。

 うつむくロゼリアをレオンハルトは冷たく見下ろす。


「機嫌次第で魔力を暴発させる王妃など言語道断だ。お前を王妃にしたら――備品のしゅうぜんだけで国庫が食い潰されるわ!」

「なっ、……何よそれ!? 他に言い方ってものがあるでしょ!?」


 あまりの言い分に素でさけんだロゼリアは、再び魔力を暴走させた。彼らの近くにあったしょくだいの火が大きく燃え上がる。


「きゃあっ!」


 アイラがレオンハルトに抱き着き、おびえた目でロゼリアを見つめる。彼女の肩を抱いたレオンハルトが鼻で笑った。


「ハッ! お前の暴発は激しい怒りが原因で起きることが多い。つまり、先ほどの暴発は王族である私に敵意を向けたということになる。これは立派な反逆罪だな?」

「なっ!」

「この件については国王へいに報告する。追ってがあるまで震えて待つがいい!」

「な、なっ…………!」

(なんでこうなるのよぉおおおおおおおおおおおおおおっ!)


 こうしてロゼリアは、おおむねゲーム通りに物語から退場させられたのだった。


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