突拍子もない
「えぇ、まあ」
淡々と女性とのやりとりをこなしていると、まるで旧友に出会ったかのような綻びを口端に湛えて、こう言うのである。
「もし、余って持っていたら、分けて下さいませんか?」
頭のネジが外れた人間を画面越しに見ることはあっても、現実として目の前に現れる稀有な状況に遭遇する可笑しさは、想像以上に素っ頓狂な気分にさせられた。
「あの申し訳ありませんけど、お名前をお聞きして宜しいですか?」
個人情報に関わる氏名を顔を合わせたばかりの通りすがりと言っていい相手に明かすのは憚られるだろう。だがしかし、あまりにも突飛な要求をしてくる出方から察するに、不埒なこととしてにべもなく排斥される謂れはないはずだ。
「田中です」
空気は瞬く間に社会人同士が社外で鉢合わせたかのような硬っ苦しさを帯びる。
「田中さん、いいですか。突然に話し掛けてきたことを責めるつもりはないのですが、初対面の相手に対して物乞いめいたことはするのは頂けませんよ」
俺は田中氏に自戒を求めた。夜も更けてきている歓楽街のど真ん中で睡眠薬の譲渡を乞う胡散臭い人間と真面目にやりとりをすることが、どれほど殊勝な心の持ち主であるかを暗に語った。
「初対面……。すみません。ですが、中村さんのお世話になっている同士のヨシミというか……。その、仲良くしましょうよ」
白痴さながらの差し出がましさを自ら標榜し、「夢クリニック」を起点にすれば仲睦まじくして当然であるかのような喧しさを公言した。身体をしおらしく軟化させ、視線はまるで定まらない。額に汗が滲み出し、口も上手く回らない田中氏から、酒気らしきものは感じられない。至って素面でありながら、真っ当な理由や後ろ盾を介さない切迫感だけが浮き彫りになる四肢の落ち着きのなさや、言動の危うさを鑑みるに、凶兆そのものを背負って現れた不吉な黒猫のようだ。可愛がろうと手を伸ばせば、好奇心に殺される前の出来心として悔恨を残すきっかけになりかねない。とはいえ、事も無げに田中氏を黙殺すれば、良からぬ考えが勃然と頭に浮上して、社会的体裁を度外視する蛮行を働かれても困る。
「とりあえず、そこのお店でお話ししましょうか」
俺は田中氏にそう促し、斜向かいにあるバーを指差した。
「はい」
バーテンダーを囲うコの字のカウンターは、十人分の席数があった。もう既に飲酒している客が四人ほどおり、俺達は座る場所を選びあぐねた。すると、優雅な身のこなしに見合った皺一つない白いシャツを着たバーテンダーから、右手を使った案内を受ける。俺達はそれに従い、出入り口から最も離れた奥の席に座った。と、同時に黒い二つ折りのメニュー表を手元へ置かれる。突拍子もない出会いに際して酒の力を利用ようと俺は率先してメニューを開く。ずらりとカタカナが列挙された豊富なカクテルの種類に、目を回しかけたが、その中に「ドリームフォードリーム」というお誂え向きに用意された名前を見つける。俺はそれを二つ頼んだ。小気味良くカクテルを作る音は、絵に描いたような他人行儀さで結ばれた俺と田中氏の沈黙を紛らわす。
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