第8話 新海視点
夏が近づいたころ、新海の屋上通いはすっかり板についていた。
国体出場が決まってからというものの、周囲の視線を気にせず休めるのはここだけだったのだ。
大会が決まってからというものの、ネットの悪口や試合で怪我も増えた。
大丈夫?とか、気にしちゃだめだよとか、同じ弓道部員の仲間は励ましてくれている。
だが書き込みの中には明らかに部員しか知らないものもあった。
部員が自分がいないところでこそこそ何か言うことも増えたからあからさまだ。
天草に初めて送ってもらった日もそんな酷い一日だった。
あの日最後に天草に会えなかったらもう心が折れていたかも知れない。
最近では顧問まで新海のフォローをするようになった。
「気を落とさないように」
なんて言い、定期的に面談をし気を遣うのだ。
それを見た部員がどう思ったかなんて容易に想像がつく。
顧問からの面談も気を遣ってではなく悪意からくるものではないかと新海は疑り深くなっていた。
今日は先日おろしたばかりの弦が切れてしまった。
(おろしたばかりで弦が切れるわけないんじゃないか?
誰かが切れるようにしたんじゃないか?)
顧問だけでなく周囲の全てを疑うようになっている自分が嫌いになる。
笑顔で疑念をもつ人間関係を乗り越えて半ば走って屋上に辿り着く。
屋上の扉が閉まるとそこは安心できる空間で、やっと息を吸うことができたかのように息を深く吸い込む。
新海は思わず涙が溢れた。
「もうやだ・・・」
誰に言うわけでもなく答えが返るわけもない。
だが一度愚痴りだすと止まらずどんどん独り言が溢れた。
「もう試合なんかしたくない。国体なんか行きたくない。もっと自由にもっと楽しくやりたいのに。
始めはみんな一緒にやってたのにどうして私だけこんなことになるの…」
先程まで握っていたドアノブを離し扉の横に腰を下ろす。
いつも過ごしているように寝ころぶこともなく、体を埋め体育すわりのまま空を見上げた。
真っ青な空のところどころにある雲をぼんやりとみる。
涙が収まるのを待ったがだんだん眠気襲ってきてそのままぐっすり寝てしまった。
数時間後少し肌寒いなぁと思って起き上がると新海の肩から何かが落ちた。
制服のジャケットだった。
「これ男子の…」
ぼんやりした頭で制服を見ていたが、突然意識が覚醒して周囲を見渡した。
だが誰もいない。
制服からほのかに香る柔軟剤の香り。
新海はすぐに天草の持ち物だと分かった。
手放したくないというようにシワにならないように気を遣いながら制服をぎゅっと胸に寄せる。
慌てて天草が特等席としている場所を見たがそこに天草の姿はない。
もう帰ってしまったのならこの制服をどう天草に渡そうか頭をひねった。
その場にいればすぐに返せるが、まさか臭いで分かったなんて言えないし、ジャケットに名前もない。
急に渡したら普段天草が屋上に来ているってこと知ってるみたいだし、そしたら天草のストーカーだと思われてしまうかも知れない。
実際にそうなのだが。
それでもストーカーだと気味悪がられるのは全力で阻止しなければならない。
借りた制服をおいて帰るわけにもいかず、新海はとりあえず制服を綺麗に折り畳み常備している紙袋に入れ自宅まで持ち帰った。
自分の部屋に天草のものがある。
それが新鮮で顔が綻ぶほど舞い上がってしまう。
(なにかお礼をしたほうがいいのかな?
なにも言わず返すのも変だよね?
本人に返すのも変だしどうしよう…)
2時間迷って結局屋上においていくのが一番だという考えに至った。いることは分かっているのだ。
もしいなければその時別の方法を考えよう。
そう決まると無言で返すのも失礼だと思い手元にあったレターセットにペンを立てた。
===
昨日は制服を貸していただきありがとうございました。
とても助かりました。
新海静音
===
書き添えると新海は手紙を丁寧に封筒に入れ制服の上に乗せた。
「お礼…したいなぁ」
買い物に行くには遅い時間。
新海は考えながらキッチンに向かう。
数分後キッチンからチョコレートの良い香りがたちこめた。
「天草くんはビターでよかったかな?」
制服に臭いがつかないようにビターなチョコレートケーキを二重にした袋に入れる
最後に『お礼です』と書き、手紙の文面も少し変えた。
***
翌日、部活前に屋上にもっていき昨日自分が寝ていた場所においた。
天草は定位置で寝ているから気づいてくれるだろうが、もし他の人が持ってったら…。不安になり持ち帰ろうかとも思ったが他に渡す方法も思いつかず置いていくことにした。
そして、天草が受け取ってくれるように紙袋に両手を合わせた。
その日の部活は集中できず何度も先輩に怒られてしまった。
部活中受け取ってくれたか気になり部活が終わると同時に道着のまま屋上まで走った。
屋上までのぼり、息を整えると高鳴る鼓動を落ち着かせ扉を開けた。
置いた紙袋は消えていた。
代わりにその場所にはノート用紙とペプシがおいてあり無事受け取ってもらえたことに新海は安堵した。
===
ごちそうさまでした。美味しかったです。
===
その文面をみて新海は笑わずにはいられなかった。
いつもの定位置を見ると普段通り天草は特等席に寝ころんでおり、こちらを全く気にしていない様子だ。
(本当、良い人だなぁ)
人より天草との距離は近い自信がある。
時折助けてくれるのを考えると嫌われていないとは思う。
もしかしたら思いが通じて付き合うこともできるかも知れない。
そう期待を寄せ、新海はそれまでと同じように毎日のように屋上に通った。
これからも穏やかな日が続くと思っていたが、それから数日後天草は屋上には来なくなった。
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