第2プロローグ 第2話: Lyu Haoran Meditando

私の一日は道場での座禅にて始まる。

精神統一をするのとしないのでは一日の重みが違う。

日が昇る前に座禅を組み、朝日の光を浴びて脳が覚醒する。


座禅はいい。心が空っぽになるからだ。

何も考えず自然と一体になる。目を閉じてるのにまるで目を開けているかの様に、物の位置、風の動きや鳥達の戯れ、揺れる桃の実。視覚以外の感覚だけで全てを感じられる。感覚が鋭利になる。

抱えてる悩みなどを別の世界に置き去りにする。


——私は座禅が好きだ。


「止めぃ!!」


哲治てつじの声が道場に響いた。


「では実践組手!!」


私、劉浩然リュウ ハオランは立ち上がった。


私の背丈は優に哲治を上回り、哲治は私を見上げる形となった。

髪も腰位まで伸び、先端から5cmの所で布切れで巻きそれを纏める。まるで狐の尻尾だ。

それもその筈、秘密の特訓を哲治に目撃された夜から数えて7年の月日が経過した。

私は先日19歳の誕生日を迎えた。身体はすっかり大きくなり、身長183cmとなった。


私は哲治と向き合う形で武舞台に上がる。そして3歩ほど歩き、一礼する。

互いに構える。


「始めっ!!」


開始の号令と共に哲治が膝抜きをし姿を消す。


次の瞬間!!


視界の左下から突如姿を現した哲治が、私の脇腹に下段の蹴り…まんじ蹴りを繰り出した。

しかし、私は運足八法うんそくはっぽうを駆使し哲司との間合いを詰める事で攻撃を躱すと同時に片膝をついて中段の突きを繰り出す。


哲司は体制を整えつつ右手ハンドスプリングで突きを躱し、私の背後に回る。

私は低い姿勢のまま運足で身体を左旋回させる。

一瞬の間が空いた。

互いに一呼吸置き、再び構える。


今度は私から仕掛けた。

構えた姿勢のまま前方に飛び、中段で手刀の突きを繰り出す。

哲司は目の前に来た手刀をバックステップで躱した次の瞬間!!

哲司の顎にとてつもない衝撃が加わり、3m程後方に飛ばされた。


私は手刀の攻撃を放った直後に身体を180°捻り、畳に両手と頭を付くことで生まれる回転エネルギーに右足を乗せて逆踵落としの様な蹴り、海老蹴りを繰り出したのだ。


「ぐへっ…。」


「師範代っ!!大丈夫ですか!?」


私は走って哲治の所へ向かった。

哲治は唇を切ったらしく、口角から血が滲み出ていた。


「くはー。やはり寄る年波には勝てんわい。ワシから一本取るとはな。お前も成長したな劉」


「何を仰りますか。師範代にはまだ及びませぬ」


「謙遜せずとも良い。ワシは兼ねてより考えていたことがある」


私は哲治に手を差し出し、哲治は私に寄り掛かりながら立ち上がる。


二人並んで武舞台に上がり、対面の位置に戻る。

互いに一礼し、実践組み手が終わる。


哲治はその場で正座になり何やら真剣な顔つきで私に目を移す。

私も正座になり、哲治の動向を伺う。


「浩然、お前は幾つになった」


「はい。今年で19になりました」


「そうか…もう19とな」


「ええ…」


暫く沈黙が続いた。

そして庭の獅子脅ししおどしが「カコン」と重圧のある沈黙を裂いた。


「ワシは隠居しようと思う」


再び沈黙が続いた。

私はあまり驚かなかった。

近頃の哲治は何かと一人で考え込む事が多くなっていた。なので、私も薄々とそんな事ではないかという気がしていた。


「師範代…。しかし道場はどうするのですか。ここ数年で門下生も出来ました。彼らの世話はどうされるおつもりですか」


「何をわかり切った事言っとるんだお前は。一周回って嫌味に聞こえるぞ」


私は俯いた。

哲治は何かを察知したのか道場に響き渡る声で宣言した。


「ここに宣言する。私、宮本哲治は宮本流躰道の師範代をコレにて辞する。そして新たに師範代の任を後継の劉浩然に委任致す」


「はい!!宮本流躰道、新師範代に拝命しました私、劉浩然は誠心誠意この任を全うする事をここに誓います」


私の誓約の口上はどこかいびつで、ぎこちなかった。

言葉の選択が合っているかもわからなかった。ただ、畏まった言葉、感謝の言葉、誠意の言葉を思いつく限り並べた。


——私は静かに涙を流していた。


長い間、哲治と二人で修行してきた。

辛いことの方が多かった。だが、この修行を通して知る事ができた哲治の思いやこだわりなどもあった。

言葉だけでは語り尽くせぬ事も武舞台の上では素直に拳に乗せてぶつかれた。それが今日まで当たり前だった。その当たり前が今終わる。

私は悲しくなどなかった。

だがなぜだか、頬を伝う涙を止めることはできなかった。


「泣くな悪ガキ。ワシが死ぬわけではない。隠居するだけじゃ」


「お師匠様お言葉ですが、私は泣いたなどおりませぬ。コレは漢汁おとこじるです」


「その呼び方も久しいが、雰囲気台無しじゃのう。というか切り替えがはやいのう」


哲治はどこか安心した様な表情になり、武舞台を降りていく。

その後ろ姿はどこか寂しそうであり、清々しくもあった。


「そうじゃ」


何かを思い出したようだ。哲治は立ち止まって顔だけ私の方に向ける。


「師範代は今日からじゃ。道場の管理や門下生の世話も師範代の責務じゃ。後は任せたからのう」


そう言うと哲治はニッと隙間だらけの歯を見せて笑った。私もつられて笑ってしまう。

それを見てどこか安心したのか、哲治は道場を後にする。


私は武舞台に残り座禅を組む。


私を取り巻く環境、幾つもの出来事や感情達が私を中心に渦を巻く。そしてまるで浴槽の栓を抜くみたいに私の中から抜けていく。

次第に私の心は明鏡止水の言葉が相応しい程静かな水面みなもへと変わっていく。

一点の曇りもなく晴れ渡る美しい空に、どこまでも広がる一切の揺らぎも無い鏡の様な水面の表面にぽつりと座禅を組む私。その様なイメージが心の中に広がる。

自然と…、世界と…、宇宙と…一つになるイメージ。


——哲治は私の実の祖父でない。

10歳のある時、哲治と二人で劉先生の所へ買い物に行った。その時偶然、先生との話の内容を耳にしてしまった。

「あの子を拾ってもう10年ですか…」

その前後の会話は全くと言っても良いほど頭に入ってこなかった。

今まで親の様に慕ってきた人間が赤の他人だと言う事実は、10歳の少年には余りにもショックが大きいというものだ。

この先私は捨てられてしまうのでは無いかと心配で眠れない日もあった。その事がきっかけで夜の特訓を始めたくらいだ。

だが私の心配は杞憂に終わった。

この十数年をかけて哲治がそれを証明してくれた。

彼は私をまるで自身の子のように育ててくれた。

礼儀作法から文学、護身の術、生活力など、私が心配していた以上に愛情を注いでくれた。

彼はそれを「和の心」と呼んだ。かつて栄えた日本にっぽんという小さな島国の民は皆携えていたとの事だ。相手を敬い、察し、意を汲み、思いやり、そして助け合う。そこに言葉はいらないと言う。私は彼に拾われた事が人生で最も幸運な出来事だったと今でも思っている。


そんな彼も今年で86歳だ。身体のあちこちにガタが来ている様なので、今度は私が彼を支える番だと思ったのだ。


躰道の門下生を募り始めたのも然り、薬師を始めたのも然りだ。

いつまでも山に籠って猪の後を追うことはもう難しくなっている。それに私一人での下山頻度が多くなれば、いざと言う時に彼の側にいる事が出来ない。

と、幾つものそれらしい理由を並べてるが、要は彼の側で看取りたいと言うのが今の私の願いだ。


劉先生が亡くなって2年余りが過ぎた。その時期を境に哲治も体調を崩す様になった。それなので、私は劉先生から教わった知識で哲治の体調を管理している。


「おい浩然!いつまでやってるつもりじゃ!腹が減って即身仏そくしんぶつになりかけてるぞい!!」


「はいはい今行くよ、じいちゃん。」


「何がじいちゃんじゃ、この悪ガキ!!さっさと道場を出んか!!」


「あー、行きますよ。」


私は座禅を切り上げ道場を施錠したのちにその場を後にする。

その後、哲治が空腹の拳骨を食らわせてきたのはまた別の話。



昼過ぎ、カーンカーンと鉄板を金属の棒で打つ音が聞こえた。

私は即座に時計に目をやると14時を過ぎていたことに気づき早足で表に出る。

かんぬきを外し門扉もんぴを開くと、今か今かと入場を心待ちにする男女3人の子供が待っていた。


「浩然にーちゃん!ちわっす!!」


「若様、こんにちは。」


「劉先生、お久しぶり!」


彼らは今日から2泊3日で泊まり込みの修行だ。

毎週末、彼らは私のところで学習と躰道を習いに来ている。

ヤンチャそうな丸刈りの男の子がシンくん。彼は躰道をメインに習いに来ている。

大人しそうなメガネのこの子はティエンくん。薬学や文学を学びに来ている。

そして唯一の女の子で姉御肌あねごはだのこの子がリンちゃん。彼女は哲治に大和言葉やまとことばを教わりに来ている。

みんな10歳前後で可愛い盛りだが同時に生意気なので、自分の意見は一丁前に言うのだ。


彼らが門下生の3人だ。

彼らも初めは親の使いで薬を買いに来ていたのだが、どうやら3人とも躰道に興味を持ったらしい。それぞれ学びに来る内容は異なるが躰道は必修でやってもらっている。それ以外は自由にさせてるのでその他の学問は8割独学だ。

勿論私が知ってる事であれば答えるが、哲治の書庫を漁った方が手っ取り早いのだ。そして彼らもそれを知っている。


子供達は与えられた部屋に荷物を置き、作務衣さむえに着替え中庭に集まる。


「はい、皆さんこんにちは。まず初めにですね、私から一つお知らせがあります。なんと、今日から私は師範代になりました!パチパチパチパチ!」


子供達はポカンとした顔で見てきた。しかし私はこれしきのスベリなんか物ともしない。


「なので今日から私の事は師範代と呼ぶ様にしてくださいね。いいですかー??」


「ねねー、にーちゃん。哲治さんはー?死んだのー?」


秦くんは私の袴を掴んで揺さぶった。すると背後から殺気の籠った影が現れた。


「だれが死ぬって?えぇ??この悪ガキが!!」


その声を聞き秦くんは段々と青ざめていった。

すると、哲治が秦くんの右耳をつねりあげる。


「あたたたたたたた!!いたいって!!」


「悪ガキには運足八法1時間コースの刑じゃ!!」


かつて私も無礼な事をした時など悪さをした罰に運足八法をやらされてたものだ。私の場合は3時間ぶっ通しだったが…。

懐かしさに浸り微笑んでいると、天くんが近づいてきた。

彼はなかなか落ち着きのある秀才だ。


「若…いえ師範代。僕は先代の書庫を拝見しても宜しいでしょうか?」


「じいちゃん、どー?」


「好きにせい。ワシはこの悪ガキを監視せねばいかんのでのう……コレ!!今のそこ違う!!やり直すのじゃ秦。」


「はいっ!!いち!!にー!!さんっ!!しー!!」


秦くんは既に涙目になっていた。


「先生……あ、師範代。私も書庫に行きますね。」


「わかりました。では皆さん、17時から夜の修練を始めますので間に合う様にお願いします。」


林ちゃんは返事をすると筆記用具を抱えて、天くんと書庫へ向かった。

秦くんに至っては、どうやら返事どころでは無いらしい。


私は皆んながそれぞれ課題を抱える中、薬草たちに水やりなどの野良仕事しにビニールハウスへ向かう。

今日はなんだかいつもより賑わっている。

心なしか哲治も機嫌がいい。

こんな日がずっと続けばどんなにいいか。







☺︎




ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

いきなり7年が経ちましたが、ついてこれましたか?


成長したハオランの姿はいかがでしょうか??

次回も楽しんでいただけると嬉しいです!!


誤字脱字、分かりづらい表現などありましたらご指摘のほどよろしくお願いします。

また星やハート、応援コメントなども次回の励みになるので、気に入って下さったらどうぞポチッとお願いします。



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