第1プロローグ 第4話: La Muralla Gigante

壁のそのあまりにも巨大な姿に俺たちは自然に足を止め息を吞んだ。

星々が輝く空に巨大な闇がそびえ立っているように見えた。その闇が永遠に続いてるかのように錯覚するほど左右に広がっていた。

俺らはそれが本当に壁なのかはわからなかった。なぜなら新月の夜はあまりにも暗く、そして壁を照らすには俺らが持つ灯はあまりにもちっぽけだったからだ。


俺らは崖に近寄り覗き込む。俺たちが目指している谷底はまるで「無」そのものであった。光すら閉じ込め逃がさない「無」。闇に溶け、闇より暗い、暗黒の「無」。時折吹き上げる冷たい風が俺たちの間を通り抜け、背筋に氷を当てられたかのような恐怖に似た不快な感覚にを覚えた。

そんな張り詰めた空気を拭い去るようにアルマが口を開いた。


「で、でけぇ…。こんなもん人間に作れるのかよ…。」


「これ、ほんとに壁…なんよだよな?」


俺の心の声が口から漏れ出る。


「…うん、そのはずだよ。私たちの位置関係的に壁…だと思う。…少なくとも私はそう習ったよ。」


リリーは初めて見るその壁の壮大さに驚きを隠せずにいた。

いや、リリーだけではない。一同があっけにとられていた。


俺たちの間を抜けた風が辺りの木々を吹き付け、木の葉がザワザワと音を立てる。

その音が俺たちを現実に引き戻した。


…そうだ、俺たちには目的があるんだ。先を急がねばならない。


「アルマ、リリー。ここで立ち止まってる暇はない。俺たちはまだスタートラインにすら立っていないんだからな。」


「…そうだな。次だ、次に行くぞ。」


「ふん!わかってるし。私、昇降機を付けられるような手ごろな木探してくるから!」


リリーはそう言うと、急にスイッチが入ったオモチャのように忙しなく辺りを走り回った。


「あ、待った、俺も行く。ラージャは昇降機の組み立てを頼む。俺のカバンに入ってるから。」


りりーの後をアルマが付いていく。

二人の姿は許嫁というより、まるで保護者のそれだな。


「あいよ。」


俺はテキトーに返事をして、アルマの指示通りにカバンの中から昇降機の部品を取り出して組み立てる。

俺は組み立てながらあることに気が付く。さほど重要ではないが、走っている時のアルマのあの疲労の原因は恐らくこの昇降機だ。

気づいてあげられなくて申し訳なく感じる。あとで謝っておこう。


「どうだラージャ、組み立てられたか?」


「あぁ、ここにステップを付けたら完了だ。……そうだ、これ、来るとき重かっただろ?気ぃ配れなくて悪かったな。」


「何言ってんだお前。鍛え方が違うんだよ鍛え方が!」


アルマはニヤッとすると力こぶを見せつけてきた。


「あーぁ。やっぱ謝んなきゃ良かったゎ。」


俺は若干不貞腐れ気味で言い返した。


すると今いる位置から100mほど離れた位置にいるリリーが大声で叫ぶ


「ねー!!いつまでかかるのー!!」


「あぁ!今持ってくから静かにしてろ!!」


俺は若干切れ気味で言い返した。


俺とアルマはリリーの場所まで行く。

リリーがここ!ここ!と指を刺した先には、幹の周囲が5-6メートル程はあろうかという立派な杉の木があった。

どうやらこの木に昇降機を固定するようだ。たしかにこの木であれば、俺らの体重を支えるのに問題はなさそうだ。

俺は昇降機の固定に使う炭素繊維CFCケーブルを杉の幹に2重に巻く。そしてもやい結びだ。このもやい結びは非常に便利だ。強度のわりに回収時には解けやすい。


アルマが持ってきたのは、巻取り式の簡易的な昇降機だ。ウィンチの様な物で、大きな巻きメジャーを想像してもらえたらわかりやすい。長方形の箱の中にはモーターが入っており、その回転軸に昇降用の炭素繊維ケーブルをくるくる丸めて納る仕様だ。

ケーブルは俺が持参したものと連結させ、長さは50m程になっている。しかし長さが十分かはわからない。

ケーブルの先端には、30cmほどのステンレス製の長方形の真ん中に穴が開いた板(ステップ)が備え付けられている。


「よぉし、これで完璧だな。んじゃ、ひとまず俺が下まで見てくるゎ。」


アルマがそういうと、すかさずリリーが反応した。


「えぇ?!アルマ様?!もし下に何か猛獣や怪物、モノノ怪の類がいたらどうするんですか??ここは、ラージャさんに先に行ってもらいましょう!!」


「俺なら良いんかい!!」


すかさずツッコむ


「大丈夫だよリリー、忘れないで。ここはまだ村の敷地だ。そんなデンジャラスな奴がいたら大人たちがとっくにやっつけてるだろ?」


アルマはリリーをなだめると、自分の荷物を背負い昇降機のステップを手に取り崖に向かって歩き出した。

崖のギリギリのところでステップを手放し昇降機から延びるケーブルにまたがる。そしてステップがお尻のところで固定されるようにセットする。


「んじゃ、操作は頼んだぞラージャ。」


「おぅ。」


俺がリモコンの下降ボタン押すと、昇降機のモーターがゆっくり回りだす音が聞こえる。アルマは次第に谷に向かって後ろ歩きの姿勢で降りていく。2分ほどするとアルマの姿は完全に見えなくなりただ昇降機の音だけが響く。


ヴヴヴヴヴヴヴヴヴ


「そろそろ20m地点だ。合図は…まだか。」


「アルマ様…、大丈夫かな…。」


昇降機は多量に溜め込んだケーブルを吐き出し続ける。

25m…。30m…。35m…。40m…。

どのくらい深いんだ、この谷は…。そろそろリミットの50mになるぞ…。


「おおおおおおおおおおい、底についたぞおおおおおおおおお」


45mを少し過ぎたところでバカでかい声が聞こえた。


「あっ!合図だよ!アルマ様無事に着いたみたい。」


「そのようだな。次はリリー、お前の番だ。ステップを巻き上げるから、その間準備してくれ。」


「……うっ、わかってるよ」


俺には強がって見せたリリーだが、なぜか今だけは年相応の少女の反応に見えた。きっと相当怖いのだろう。


ウィーーーーーーーーーーーーーーーン。

昇降機のモーターは高速で回転しケーブルを巻き取る。昇降機はどうやら性能が良いらしく、一分も経たないうちにすべてを巻き取った。

横目でリリーを見ると、未だ不安そうな顔をしていたので、リリーの側に寄り、軽く背中をポンと押してやる。


「心配すんなよ。下にはお前の大好きなアルマ様がいるんだろ?」


「ふん!別に心配とかしてないから。いいからラージャさんは黙って操作してればいいの!」


リリーは若干涙目になっていたが、


「ケッ。ほんじゃ下がるぞ〜。」


リリーがステップを固定するのを確認し、俺は昇降機のスイッチを押す。アルマの時と手順は全く同じだ。今回は気持ちゆっくりめにおろした。

――ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ


モーターの音が響く中で、うわっ!!とか、ひぃぃっ!!!とかリリーの小さな悲鳴が聞こえてきた。

――ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ


「大丈夫かー?」


俺は崖から谷をのぞき込むと、すでにリリーの姿はなく闇の中から声が響く。


「大丈夫なんかじゃないよおおぉぉぉ!!ひゃあああぁぁぁぁ!!」


もう完全にリリー一人の世界だ。俺もアルマも助けることはできない。

必ずしも安全ではないが、昇降機の下降手順さえ守っていれば危険なことはない。

――やがてリリーの悲鳴は聞こえてこなくなり、代わりに聞き覚えのあるバカでかい声が聞こえた。


「合おおおぉぉぉ流ううううううぅぅぅ完了おおおぉぉぉぉ!!!」


同時に下からケーブルをくいっ、くいっ、と引っ張られる。

本来これが巻き戻しの合図だ。しかし、アルマのバカは声もバカだから、いちいちここまで届く。


巻き戻しボタンを押してモーターが動き出す。

ウィーーーーーーーーーーーーーーーン。

巻き戻してる間に俺は背嚢を背負い外套を羽織る。風や揺れで体から離れないために背嚢も外套もキツめに縛る。

そして、カラン!カラン!カラララララララララララン!と金属が地面にぶつかり弾み擦れる音が近づいてくる。


「よし、では…。いざ行かん!」


俺は二人と同じ手順で降りていけばいい。だが、今回異なるのは俺自身が昇降機を操作しなければならないということだ。

モーターを限界まで巻き、昇降機の前でステップを固定しリモコンでニュートラルに入れる。

見るに堪えないが、ややへっぴり腰のまま崖に向かって後ろ向きで歩く。

まるで海老だ。俺は自分の愚かな姿を想像しニヤリとする。


崖のギリギリのところでニュートラルから下降にスイッチを入れようとした…、


その瞬間っ!!


ズズッ!!ズズズズズズズズズズズズ!!!


靴底と崖のへりの岩の間に砂が入り、力の限り思いっきり滑り落ちた。

俺は谷底に投げ出され、真っ逆さまに落下していく。ケーブルを引っ張ろうにも、モーターがニュートラルに入ってしまっているため、上手く力が入らず張らない。


「クソぉぉぉぉ!!うわあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


俺はここで死ぬ。

脳裏には今までの短い人生が走馬灯のように駆け巡る。


それは時間にしておそらく0,1-2秒の出来事だったのだろうが、まるで時間がゆっくりに感じた。永遠に落下している気分だ。

落下のあまりの長さに俺は叫ぶのを止め、冷静さを取り戻した。

俺は仰向けの上体を起こし体制を整える。そして宙で遊んでいるケーブルを自身の胴に背嚢ごと巻き付ける。ここで手元のリモコンでモーターをニュートラルからロックにスイッチを入れた…、


その途端っ!!


ガコン!!キイイィィィィィィィィィィ!!!!!!


モーターが大きな異音を放ち緊急停止する。そしてケーブルがピンと張るのと同時に重力、慣性、遠心力が働いた。

胴に巻き付けたケーブルが一気に締まり食い込む。それは経験したことのないほど強い圧迫力、まるでギロチンだ。強制的に肺の空気を排出させられ、一時的な呼吸困難になる。


「カハッ!!」


俺の体重に比例して締まる力が強くなる。背嚢ごと巻き付けていなければ確実に上半身と下半身に分かれていただろう。


最悪なことに物理現象はまだ継続している。

下に働く力と同時に、崖のへりを支点に振り子の原理で横に働く力を受け、そのままの慣性エネルギーで岩肌にたたきつけられる。


ドバコォォォォ!!!


聞いたことのない音が鳴り響く。あたり一面に、そして俺の体の中に。

頭を大きく揺さぶられた事で脳震盪を起こしたようだ。頭がぼうっとする…。


目の前が暗くなる…。


……。


…。


真っ暗だ…。


…寒い。


とても…。


凍えそうだ…。


…なぜか今回だけはいつもの悪夢を見ないようだ。


もしや、…俺は死んだのか?


いい判断だった気がしたんだけどなぁ…。


そうか…。


死んだ…、…んだな。


…。


……。






「おいっ!!!!ラージャ!!!しっかりしろ!!!!」


アルマの声だ。なんだか潤んでるように聞こえる。


「ラージャさん!!!目を覚まして!!」


リリーも一緒かぁ。

なんだぁ、下までたどり着いたのかぁ。


「ごめんなぁ…、ごめんなぁ!!俺がこんな事にさえ付き合わせてなかったらぁ…。なぁ、頼むよ目を覚ましてくれよ!!いつもみたいにバカってよぅ、ゴリラってよぅ罵ってくれよ!!」


何を言ってるんだアルマ。

俺は好きでここに来たんだぜ?謝ってんじゃねぇよ。


「ラージャさん!!ラージャさん!!目を覚まさないと、おじいちゃんに告げ口しちゃうからね!!ラージャさんに悪戯されたってぇ!!」


おいおい、それは本当にやめてくれ。冗談じゃすまなくなるからな。

てか、それなら死んだ方がましだぜ。



…そこから先はよく聞こえなかった。


二人の声がだんだんと遠くになっていく。


なんて心地いいんだ。


悪夢を見ないで眠れるって。


そうだ、目が覚めたら、アルマのやつにおぶって行って貰おう。


さすがにちょっと疲れたぜ。


申し訳ないが少しだけ…。


少しだけ眠らせてくれ。


眠れそうな気がするんだ。


眠れたら記憶の悪魔なんかに会わなくて済むんだから。


……。


……。


……。





          ☺


   

ここまで読んで下さりありがとうございました。

また次回をお楽しみに!!




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