真夜中の荷馬車
真夜中の フットパースを 横切るは 鈍い
さて、短い夏の割に長い夏休み時期に間借りしている学生宿舎の各部屋に唯一ついている小さな窓からは、のどかな牧草地帯が見えている。
隣の敷地との境界線も曖昧で、なんなら牧羊地と校舎のグランドが兼ねられているかのような状態だ。
もりもりと芝の生えた運動場に出ると、そこらじゅうに羊の落とし物が転がっている。そんな中で簡易にフットボールをする光景は、日本に置き換えると空き地での草野球が近しいかもしれない。
グランドと牧羊地の間には誰でも通れるフットパースが横たわっているのだが、一応は酪農用の私道ということになろうかと思う。
日中、ハイカーたちが軽装で通る姿を見かけることもあれば、まれにレトロな平台と木製の轍が特徴的な現役の農耕馬車がのんびり通過する光景を見ることもある。
羊と一緒に放牧されているハフリンガーやシェットランドポニーを郊外で見かけることもあるので、日本よりも馬が身近な環境は素直にアガる。
そんな牧歌的な光景に異国情緒を感じて癒された、その晩。すっかり寝静まった深夜に異様に響く蹄鉄の闊歩する音と、古い轍の軋む妙な音が聞こえてきて目が覚めた。
ベッド脇の机に無造作に置いていた腕時計を手繰り寄せて薄明かりのなか時間を確かめると、二時過ぎくらいだったと思う。
窓の向こう側で、カポ……ギィ、カポ……ギィと耳障りな軋音がゆっくり移動している様子だ。
ちゃんと油差せよ……と言いたくなるくらい聴覚を逆撫でするイヤな音。
そっと起き上がって窓の外を確認すると、例のフットパースを行く荷馬車らしき影があった。
ほとんど灯りもない夜道、危なっかしいこと、この上ない。
というか、いくら何でも黒すぎるやろ。
御者も馬も荷台も何もかもが異様に黒い。
そして、霧でも湧き立っているのか、非常に見通しの悪い中を遠ざかって行く後ろ姿は一種異様な光景だった。
とりあえず見えなくなるまで見送って、気が済んだので再びベッドに戻って目が覚めた翌朝。
昨夜の異様な光景を同じ留学生同士で朝食の話のネタに振ると、全員キョトンとするではないか。
え、あれだけイヤな音立ててたのに、誰も気が付かなかったのか。そのことに逆に私の方が驚いた。
「It seems like Death Coach(死の馬車っぽいな)」
何ちゅーこと言うてくれんねん。
Death Coach ——死の馬車とか幽霊馬車とか、多分目撃すること自体がよろしくない……そんな意味合いなのは薄々理解した。
「Oh, you may die soon(もうすぐ死ぬんちゃう)」
せやし、何ちゅーこと言うてくれんねん。
一応、補足しておくと、西ヨーロッパやアメリカにはそのような伝承の悪魔的なナニカがあるらしい。日本では、むしろデュラハンとか言われる方がピンとくるが、ああいう系のやつだ。
ひとしきり揶揄われて朝からゲンナリしたものだが、おかげさまで、私は今日も元気である。
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