第12話
僕は彼女に明日が急遽休みになったことを告げた。
「別に行かなくたってどうにもならないと思うんだけどね」
と僕は言った。「そういえばそっちも明日休みじゃなかったっけ」
「うん、私も明日は休み」
と彼女は答えた。彼女の仕事はシフト制で平日のほうが休みになるのが多かった。
「じゃあ向うに行くついでにどこか寄ってみる?」
「私も一緒に亡くなった親友の家に行くの?」
「いや行くってことでもないよ、確認に近いと思う。たぶん家はもう売られているか別の人が住んでいるだろうからそれを見るだけさ。表札だけ見てとか」
「さすがにそれは良くない」
「そうかな」
「そうよ、売られてなかったり親戚の人が管理していたりしたら線香とかもあげないといけないでしょう。そのときに恋人を連れてったら相手も気分が悪くなる」
「そうなのかな」
「きっとそう。私だったら嫌。この人たちはこれから遊びに出かけたりするんだろうなって思う。そしてここに来たのはそのついでなんだって」
「そんな繊細に考える人のほうが少ないとは思うけど」
「でも相手が繊細だと思ってするべきじゃない? 失礼にならないように。親友だったんでしょ」
僕は、昔はね、と胸中で付け加えた。僕はもうKとの友情がほど遠くなった気しかしていない。実際、彼が亡くなったから僕らの関係はもう終わったものなのだけど。相手が繊細とするのなら、僕が親友面で家に来るもの失礼じゃないだろうか。
僕は晩酌のビールを一口含んだ。学生のころ苦手だったビールはいまでは好物で、逆に以前好きだったケーキが腹にもたれるだけのただ甘ったるいものに感じる。これは大人になることのひとつの証なのかもしれない。ケーキがずっと好きになれるほうが稀有なのだ。
そしてその夜、僕はまた夢を見た。もちろん悪夢だ。しかしこんどはその内容もおぼろげながら覚えていた。僕は夢でKと会った。
僕とKはある廃墟にいた。僕はその場を一目で廃墟とわかったけれど、その全貌を眺めたわけではない。ただ僕らは荒廃した室内、コンクリートが剝き出しで塵や埃が舞っているところにいて、互いに向かい合ったソファーに座っていた。そして僕はこんなところに来たことがなかった。
夢とは奇妙で、起きている時間のことを前世のように覚えていない。しかし僕はKをKとして明確に認識して、そして生きていることに何ら違和感を持っていない。まるで起きている時間を勝手に組み替えられて埋め込まれたみたいだ。僕は以前Kと会っていた当時の感覚でKと対峙していた。それはつまり、まったく良い感情というわけではない。
僕らは抽象的な話をしていた。いや抽象的になった話というべきか、元々Kがある映画を批判したのがはじまりだった。Kはそういうことを言うとき、いつも嫌な、意地の悪い笑みを浮かべていた。
「○○は(僕はこの名前を憶えていない、しかしこの会話の前におなじ映画を観たという合意のもとでの話らしかった)、人類の絶望を超えるのは愛だと結論づけたけど、それはありふれていたな。こういう手合いの結論はその観念を捉えなおして、つまりここでいう愛という言葉のもつ多面性と全体と色と重みを表現したうえで向かわないといけないんだけど、それがおろそかなものだから愛というものが使い勝手良く消費されている。たとえば母性愛と隣人愛がおなじ類のものだろうか。おなじものというのなら、愛があれば絶望を乗り越えられる、の愛はずいぶんとハードルが高く超人じみたものになる。隣人も愛し、恋人も愛し、子も愛する、そんな人間はめったにいないんじゃないかな。それとも愛というのが観念上のものでなくてもっと実際的な、普遍的な感情、些細なものに表せていたらよかったかもしれない。それこそ捉えなおしだね。えれども○○はそうしなかった。作中ずっと愛についての議論をした割に愛という言葉を深堀りしきれなかった。いやそれとももしかすると俺が見過ごしたところがあるのかもしれない。細かい描写というか、そういうところに愛のもっとも原始的なものを見せていたのかもしれない。にしても……」
Kはおおよそこんなことを言った。
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