第13話 想い出の中で

春臣side


 昨日の今日、部長に強姦紛いの事をされて俺は会社に足を運んでいた。会社に通いながら再度、あれは部長かどうか頭の中で確認する。フードが大きく動いた瞬間、目元がいつも目にするクールな部長のものだった。


 疑いたかったが、あれは紛れもなく彼女。項垂れながら出社して、鞄を自分のデスクに置く。相変わらずの癖で早く出社する為、誰も居ない。取り敢えずトイレに行って、用を足そうと部署を出た。


 廊下を歩くと、よく自分の足音が響く。誰ともすれ違う事も無く、トイレへと入り、用を足した。そのまま手を洗い、出ようとした時に昨日と同じように背中を掴まれ、後ろに引っ張られる。




「うわっ!?」




 驚きで声を上げながら、体はどんどんトイレの方向へと引きずり込まれ、洋式便所に閉じ込められた。俺は凄い力で無理矢理便座に座らされ、口に同じように布を放り込まる。


 だが、前回と違うのは手首を縛らずに腕を押さえつけるような形で、覆い被さってきた。照光に照らされ、シルエットでしか分からなかったが、明らかに髪型がロングであった為、部長だと気付いた。しかも顔を隠しているものだとばかり思っていたが、今回は何も身に着けていない。



 何故今回もこんな事をしたのか、しかも顔まで晒して隠す気が一切ないように思える。これも何か、幽霊による弊害か何かなのかと思ってしまう。


 そして同じように、また俺のスーツを無理矢理抉じ開け、ボタンが弾け飛ぶ。俺も必死に抵抗し、部長の腕を掴んで離そうとした。その最中、部長は小さい声で何度も呟いていた。




「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う……」




 尋常じゃない羅列に、俺はただただ驚愕するしかなかった。この行為をすること自体に謝罪しているのか、自分に対して何か想う事があるのか、そんな事を考えながら部長の顔を見届けるしかなかった。


 部長は涙を流しながら焦点が合っておらず、公園でやったように俺の胸に飛びついてきた。未だに詳細は分からなかったが、俺はただ悲しいという感情が湧いてくる。今、抱き着いているこの状況も何かにしがみ付いているように見える。


 そんな状況に、俺は昨日と同じように彼女を抱き締め返した。一瞬体が跳ねたが、部長は俺の背中を同じように強く抱き締め返してくる。そこから彼女は、小さく声を殺すように泣いた。そこから数十分が経ち、部長は少しずつ落ち着いてきた。




「落ち着きました?」


「ごめん……。どうかしてた」


「何かあったんですか?」


「…………」




 聞き出そうとするが、部長は口を噤んで俯いてしまった。それ以上言えないのか、『ごめんなさい』の一言だけ。俯き続ける彼女を見て、俺は安心させようと優しく声を掛けて抱き締めると、静かに部長は泣いた。


 そろそろ他の社員が出社する時間が迫ってきた為、俺達は周囲を確認しながら男子トイレから出て、自分達の部署へと戻る。


 幸いにも、部署にはまだ誰も来ていなかった為、解れたスーツを咎められる事は無かった。スーツの替えをどうしようか悩んでいると、後ろに居た部長から弱々しい声で呼び止められる。




「あ、あの……。今回の事、本当にごめんなさい。どうか、他の人には言わないで欲しい……お願い、します……」




 部長が震える声で何度も頭を下げてきた。俺は兎に角、相手を安心させるように努め、優しく声を掛ける。




「部長にも色々事情がありますから、全然気にしなくていいですよ。誰にでも精神的に弱くなる時がありますから、俺だったら何でも相談に乗りますよ」




 俺自身この選択は、間違っていないと思っていた。彼女には何の非が無い事をただ伝えたかった。相手を安心させる事が、最善の選択だと信じて疑わなかった。

 
























百合side


 ダーリンから許してもらって、一日が経った。ウチは許して貰えた事から、罪への意識が軽くなり、歯止めが利かなくなり始めていた。ダーリンなら何があっても許してくれる、そんな彼の優しさに付け込んでウチは、要求を過激化させていく。


 理由も付けずに彼を呼び出し、ただ不安だからという事だけを話し、ハグを強要する。彼も何も言わず、優しく抱き締めてくれる。勿論、誰も居ない場所を見計らって殆ど出入りが無い倉庫部屋で。


 

 今だけ、彼の抱擁を受けるだけで心が満たされる。今だけ、彼に心配されるだけでウチの物なったような気分に浸れる。




「怖い……」


「大丈夫ですよ」




 あぁ、気持ちいい……。抱き締められながら背中を擦られるだけで、気持ちがどんどん溶かされる。全身性感帯にでもなったような気分、自分でもこれ以上ない幸せ。


 ウチも本当は、誰かに尽くすんじゃなくて『誰かに尽くされたい』と思っていた。ただ友達と普通に遊んで、親友って言う子に恵まれて、普通に恋愛して……結婚して。


 あの時恵まれなかったのは、この瞬間の為。彼と巡り合う為に、ウチはあの部屋で出会った。つまんない地縛霊生活に、新しい風が吹き込んだみたいに。




「落ち着きました?」


「……うん」




 暫くこの生活が続き、ウチと彼はこれが当たり前の行為に成りつつあった。人の目を盗んで、二人で部署を抜け出して逢瀬に耽る。彼と一緒に居る時間が一番の安らぎ、ついつい気が緩んでしまう。


 あぁ、これからの事を考えるだけで脚に力が入らなくなる。もうこんな体、要らないし、もういいかな。


 だが、体の中に抑え込んでいた『あの女』が、必死に何かを喚いていた。優雨が必死にウチに呼び掛け、今やろうとしている事を止めようとしてくる。でも、もう遅い。ウチは、この人を殺して永遠に二人だけの空間で一緒に暮らす。



 霊体になれば、誰も邪魔する者なんかいない。彼が死んだ後に、この女から抜け出して罪を全部擦り付ければいい。


 そのままウチは、鋏を取り出して彼目掛けて振り下ろそうとした。でも、彼の心配している表情が視界に入った瞬間、何故か動きを止めてしまった。


 彼に背中を擦られながら気付いた、ウチの小さな嘘にも本気で心配してくれている。さっきまで殺そうと決意していた心が揺らぎ、本当に正しいのかどうか葛藤し始めた。

 そして再び、優雨の声が頭の中に響いてくる。
























優雨side


 私が彼女に体を乗っ取られていたこの数か月、ずっと檜百合の見る光景をスクリーンで眺めているような錯覚に陥っていた。乗っ取られた時、記憶が共有できるのか、彼女の様々な気持ちや過去に何があったのか探る事が出来た。


 私と彼女の境遇は、よく似ている。どちらも、大切だと思っていた人物に裏切られているから。最初こそ同情したが、自分の体の為、好き勝手されるのは不本意である。兎に角ここから脱出しようと模索したが出られない、身動きも出来ないとなれば足掻いて仕方ないと、彼女の瞳に映る映像を見る事しか出来なかった。


 だが、映る度に春臣くんが私の至近距離で会話したり、スキンシップを取る光景が殆ど。その度に私は、憎悪と吐き気が全身を駆け巡る。



 男の人が視界に入るだけでも抵抗があるのに、腕組んだりキスしようとしたりする度に耐えられなくなる。


 でも、春臣くんはいくら接近されても、節度を持った行動で間違いが起きないように優しく介抱する姿が殆どだった。最初は下心を隠して、女の子が気を許した瞬間に性交に持ち込むタイプだと、最初は思っていた。


 だが、彼が取る行動は紳士的で、この百合に一方的に迫られても下心を出さない。だから私が、彼を信用していない時に心配された時があった。どうせこの男も、口だけなのだろうと。


 そんな事は一切なく、彼女達の問題を解決しようと必死になろうとしている姿に私は、何かが芽生えるのを感じた。


 そしてあの時、私を心配してくれた言葉を思い出していた。





『部長、俺でよければ相談に乗りますけど……』

『そうですか……。何かあれば、いつでも言ってくださいね?』




 あの温かい言葉を、私は突き放して男は意地汚くて気持ちの悪い生き物だと思っていた。だが、あの言葉には情愛の気持ちが入っていると、今なら確信が持てる。


 感慨に耽っていたが、また二人が人目を避けて倉庫部屋に訪れていた。




『落ち着きました?』


『……うん』




 そして今、そそのかされている彼を止めようと、必死に叫び続けた。アイツが春臣くんと抱き着いて、気が緩んでいる瞬間を見計らって彼の名前を呼び続けた。


 今この女は、良くない事を考えている。恐らくだが、彼女は彼を殺そうとしている。それだけでも阻止しようと躍起になるが、いい方法が思い浮かばない。


 そして百合が、背中に忍ばせていた鋏を彼に振りかざそうとしていた。そんな光景をただ見ている事しか出来なかった私は、叫ぶ事しか出来ない。瞳を閉じて、その凄惨な瞬間だけでも目を背けたかった。



 恐る恐る目を開けると、百合は鋏を空中で止めていた。そして何故か、百合は苦しそうな表情を浮かべて今にも泣きそうな顔をしている。


 そして私の視界は、次第に白く光り始めた。
























百合side


 ダメだ。一度決めた決意が、彼の手が背中に触れる度にポロポロと崩れていく。温かい彼に触れたのが嬉しくて、瞳から無数の涙が零れた。


 彼の服をグシャグシャになる程しがみ付きながら、咽び泣いた。これ以上、甘えるのをやめ、彼から離れて後ろを向く。




「ごめんな。もう、終わりにするわ……」


「終わりにするって……。どういう事ですか?」


「正直、ウチも何がしたかったか分からへん……。ダーリンと茅花が付き合ってるって聞いて、何にも見えなくなって……何もかもどうでもよくなって。だからあの時、トイレに引き摺り込んで体だけでも自分の物にしたかった……」


「百合さん……」


「初めてやね、ちゃんと呼んでくれるの……。これでもう、思い残す事も無いと思う……」




 ウチは目を瞑り、走馬灯のように彼との想い出を暗い瞳の中で思い返す。このまま居なくなっても、ダーリンの『想い出の中』でウチは生き続ける事が出来る。


 
























春臣side


 思い残す事は何も無いと告げた百合さんは、何かが抜けるように膝から崩れ落ちていった。慌てて俺は彼女の体を抱きかかえ、眠りに就いたような素顔を暫く眺め続けた。


 数十秒が経過し、彼女の瞼が震えると同時に目を覚ます。そんな彼女に、俺は思わず上擦った声が出てしまう。




「あ、あの、大丈夫ですか……?」


「うぅ……。春臣、君……?」


「えっ……部長?!。戻ったんですか!?」


「そう、みたいね……。何でかは、分からないけど……」


「よかった……!」


「きゃっ、春臣君!?。そんなに強く、抱き締めないでくれ……///」




 何故人格が入れ替わったかは分からないが、部長の意識が戻って心底嬉しかった。百合さんはどうしたかと部長に聞いてみるが、自分も意識が無くなった為、分からないと答える。


 その後は部長が体を乗っ取られている間の話を詳しく聞き出し、倉庫の中で暫く事情を聞いていた。

 すると、廊下から足音が聞こえ、倉庫部屋の扉が開く音がする。



























茅花side


 アタシが出社して暫く、同僚や先輩後輩に軽い挨拶をしながら自分のデスクに向かう。アタシが来る頃には大半は出席している。


 当然、春も居る筈なのだが、彼のデスクには鞄が置かれている為、トイレか何処かに呼ばれているのだろうと思い、気には留めなかった。


 だが、数時間が経ち、仕事が始まる時刻になろうとしている。アタシは『違和感』を覚え、彼を探しに行く事にした。




「春、何処に行ったんだろう……。トイレにも居なかったし、屋上にも居ないし。資料室とか倉庫部屋かな?」




 先ずは資料室へと向かうが、鍵が締まっている為、誰も居ない事が確認できた。最後に倉庫部屋を確認しようとドア手を掛け、ノブを回す。

 すんなり開いた事で、鍵が開いている事を確認して彼の名前を呼んだ。




「春~、仕事始まっちゃうよ~。急いで行かない……と……。何してるんですか、《vib:1》部長?《/vib》」

























春臣side


 最悪のタイミングで茅花が部屋に入ってきた。弁明の余地なんてない、ある訳が無い。ここで部長のこれまでの事情を説明しても、キチガイ認定されてしまう。

 どう説明すればいいか、俺は必死に考え、兎に角喋ろうと口を動かした。




「あ、あの、先輩……。部長は何も悪くないんです、悪いのは悪い霊が憑りついていたと言うか何と言うか……」


「へぇ……。部長が悪くないんだったら、春が悪いって事でいいのかなぁ……?」


「いや、あの……」




 にじり寄る彼女の気迫に押され、俺はこれ以上何も言う事が出来なかった。すると、部長が透かさず立ち上がり、何を血迷ったのか、とんでもない事を言い放つ。




「私が春臣君を呼んだのよ。仕事場で話すのも憚られるから、倉庫部屋に私が呼んだの」


「部長。それがどういう意味か、分かって言ってます?。アタシが見た限りでは、部長と春は抱き合ってましたよね?。部下への強制わいせつ、アタシにはそう見えましたが」


「えぇ、そう受け取ってもらって構わない」


「上の方々には、そう伝えておきます。数か月の謹慎処分、或いはクビになる可能性さえあります」




 話が勝手に進んで行き、俺は何も出来ないまま、二人の会話を聞いていた。何故、部長はここまで俺を庇うのか分からない。事情がどうであれ、最後まで説明すれば丸く収まると思ったが、先輩は有無を言わさず部長を連れて行き、倉庫部屋を出る。

 





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