第12話 どうでもいい

春臣side


 不祥事が起きてから数週間が過ぎ、12月に突入していた。不祥事とは、先輩と夜を共にしていた事。自分の記憶が曖昧で、お互いベッドで服を着崩している状態で俺が先に目が覚める。


 その状況を見て俺は、ヤッてしまったと思った。明らかに情事に耽ってているような有り様だった為、土下座をして謝った。そしてその場の勢いで、責任を取ると言ってしまったが、自分で犯したミスだし、先輩も言葉数は少ない。


 察するに、先輩なりの優しさだと思う。言いたい事もあったと思うが、多くは語らず、悲しみを押し殺して涙を流したんだと思う。


 そんなあやふやな関係となった今現在、会社での俺は、戦々恐々としている。何故かと言えば、いつ先輩にバラされるか心配だからだ。その為、会社での作業が手に付かない日が何日か続いた。


 だが、そんな気持ちとは裏腹に、先輩は何もしてこない。それに加えて、以前のように絡んでくるような動作もしてこない。


 そして何故か、何処か自信に満ち溢れているような面持ちで作業をしている。言葉遣いも落ち着いていて、元気な先輩が、ただ優しく出来る女性になっていた。




「春、明日の企画書できてる?」


「は、はい、チェックお願いします」


「…………。うん、完璧だね。これでお願いね」


「はい……」




 この会話の中で、通告しなくていいんですかと述べようとしたが、自分で言うのも可笑しいと思い、踏み止まりながら溜息をついた。


 暫く作業を進めていると、部長が声を掛けてきた。




「どうや、ダーリン。何か困ってない?」


「部長。そのダーリンってやめてくださいよ……」


「ダーリン、何べん言ったら分かんねん。百合って呼んでや、百合って」


「そんな事言われても……。見た目、部長だったら呼びにくいですよ……」


「そうですよ、部長。あまり春を困らせないで下さい」




 そう言いながら先輩がお茶を差し出しながら、俺のデスクに置いてくれた。俺は御礼をしながら頭を下げていると、先輩の言い方が気に入らなかったのか、部長が反論する。




「何や、茅花。随分偉そうに言うやんか、ダーリンくらいええやろ」


「無理矢理呼ばせる事に、意味なんてあるんですか?。上司の立場でモノを言うのは、非常識であり、大人のやり方ではないですよ?」


「何やねん、いちいち癇に障るなっ。さっきからその態度、腹立つねんっ!」


「はぁ……。部長、ここ最近疲れてるんじゃないですか?。関西出身でもないのに、ずっとその喋り方ですし。更年期系の薬を処方された方がいいんじゃないですか?」


「あ、あの、喧嘩はよした方が……」




 喧嘩を仲裁しようとしたが、一向にやめる気配が無い。時間が経つにつれて声は大きくなり、徐々に喧嘩はエスカレートしていった。お互いが相手に掴み掛り、先輩は部長の耳を掴み、部長は先輩の髪を鷲掴みにして周りに人が集まり始め、男性陣が止めに入らなければ止められない程だった。


 昼休憩の時間になり、俺は社内食を選択して鴨蕎麦を頼んで席に着こうとした時、廊下で先輩が部長に引き摺られていくのが見えた。また喧嘩かと思い、止めに入っても止められる気がしない為、見なかった事にした。
























百合side


 あぁ、腹立つ。今日のアイツは一段と腹が立つ。一歩下がって達観した見方をするのが、正直目に余る。ウチはどうにか、この怒りをぶつけたくて茅花を呼んだ。




「茅花……。アンタ、ダーリンの彼女面すんのやめろや。正直気持ち悪いねん」


「はぁ……気持ち悪いのはどっちですか?。部長の方が独り善がりで一方的に話してるだけじゃないですか?。そっちこそ、いつまで彼女面のつもりですか?」


「まるで自分は違うみたいな言い方やな、アンタの被害妄想もそこまで来ると感心するわ」


「いくらでも罵倒して頂いて結構です。どうせ部長は、あの人からの寵愛は受けられないですから」


「何やねんそれ。おいっ、ちょっと待てや!」




 意味深な事を言い終えてからその場を去り、社内食堂へと入っていった。ウチも同じ場の空気を吸いたくは無いが、食堂に入り、食券を取り出して席に着く。


 呼ばれるまで待って暫く周りを見ていると、ダーリンの後ろ姿が見えた為、席を移して隣に座ろうとした。だが、横にもう既に先程まで話していた茅花が座っている。図々しい女だと思い、ウチは取り敢えず離れるように茅花に促す。




「話は終わってへんぞ、何しれっと隣に座ってんねん!」


「何か不都合でもあるんですか、部長?」


「ダーリンも嫌やったら嫌って言いや。こんな女に付き纏われて、気分悪いやろ?」


「普通に食べてるだけなので、嫌という事は―――」


「何言ってんの、肩までくっつけて食べづらいに決まってる!」




 ウチは兎に角、茅花に離れて欲しくてヒステリックに成りつつあった。常識に考えて、肩まで付ける意味などない。


 ウチが激昂している間、彼女は無表情でこちらを見つめるだけ。ひたすらウチの顔を凝視するばかりで、ピクリとも動かない。


 そして何故か無言の時間が流れ、お互い睨み合いが続いた。ダーリンはその間、アタフタして可愛かったけど、茅花は何を考えているか全く分からず、椅子から立ち上がるとウチの目の前に迫る。




「な、何や……。喧嘩でもするんか……?」


「部長に一つ、言わなきゃいけない事があります」


「何やねん……」


《b》「アタシ達、付き合う事になったので。結婚を前提に」《/b》


「は?」




 こいつは何を言ってる、付き合ってる?。勘違いも休み休み言ってくれと感じ、いつもの自分の妄想だとあしらおうとした。だが、ダーリンはこういう時、真っ先に否定する。それをしてこない事に疑問を抱いた。




「何でダーリンは否定せんの?。いつもなら直ぐに訂正するのに」


「いや、その……紆余曲折ありまして、付き合うのは本当です……」


「待って待って……。え、ホンマに?」


「本当です。ですので、部長には過剰なスキンシップは今後不要ですので。もしアタシの彼氏に色目でも使ったら、セクハラで訴えますので、悪しからず」


「嘘なんやろ……なぁ。ただ、言わされてるだけやろ?」




 その返答は返ってこず、ダーリンは俯きながらそれ以上話さなくなった。ウチも放心状態で、一気に気力が削がれたような気持ちになった。


 ウチがその場で立ち尽くしていると、煙たがるように『邪魔です』の彼女の一言で人蹴り。茅花達は、先程と同じように食事を始め、ウチは元居た席に着く。


 座りながら彼の事を考えていた。彼との楽しい日々を送れるのはウチじゃない、今まで想い描いてきた想像が、あの女で埋め尽くされるのが許せなかった。


 ウチは暫く呆然と眺め、ご飯に全く手を付けらずにいた。ご飯が冷めて、おばちゃんに肩を叩かれてやっと意識が戻る。お昼休みが終わって、食べる時間が無くなり食事を残してしまった事へ、おばちゃんに謝罪した。



 謝った後、何もかも無くなったような脱力感に苛まれ、仕事をする気力が湧いてこない。大人であるが故に、切り替えていかなければいけないと言うのは分かるが、今は何も考えたくない。ましてや考えようとすると、あの女を殺したくなる衝動に駆られる。


 そんな殺人衝動に駆られては、ウチを殺したあの男と同じになってしまう。それだけはしたく無いと、自分でブレーキを踏みつつ、何とか踏みとどまっている。


 でも、彼の想いは簡単に止められるものではない。その溢れる想いから、ウチは短絡的な行動を取ってしまう。
























春臣side


 結局時間は過ぎて、今日のノルマを終えようとしていた。食堂でもそうだったが、部長は終始、元気が無くてこちらが心配する程の落ち込みよう。声を掛けようにも、火に油を注ぐ様な気がして何も出来ずにいる。


 俺は少し罪悪感を抱きながら仕事を終え、先に帰宅する事にした。同僚に別れを告げながら、帰り支度をしていると、先輩が一緒に帰らないかと誘いを受ける。




「春、アタシも終わったから一緒に帰らない?」


「あ、あぁ……。今日、寄りたい所があるので」


「そっか。気を付けて帰ってね♪」




 正直寄りたい所などない。今は少し、人と話したくないから先輩の誘いを断っただけだ。取り敢えず他の人にも挨拶しながら帰り、ふと部長の席に目線を移した。


 結構遅くまで残る部長が、その席に居ない。もう帰ったのかと思い、俺も外へと出て駅に向かう。いつもの帰り道を進み、溜息を吐きながら部長の事を考えていた。


 知られては不味い事だとしても、突き放し過ぎたなと感じていた。こんな形で責任取って、初めて彼女が出来たのに、何でこんなに『嬉しくない』んだろう。


 付き合うって、もっと楽しいはずなのに、何でこんなに後ろめたい気持ちになるのか分からない。

 時刻は6時過ぎ、冬の太陽は沈むのが早い。帰り道、いつも通る公園に差し掛かり、ふと紫色の空を眺めていた。いつもと同じ空模様のはずなのに、今日は一段と悲しく見え、感傷に耽る。



 暫くの間、見つめ続けていると、後ろから俺のスーツを誰かが無理矢理引っ張ってきた。突然の事に、俺の頭はパニックを起こし、兎に角ジタバタするしかなかった。相手の力が強いのか、中々離すことが出来ず、公園のトイレに引き摺られる。


 個室トイレに押し込まれ、洋式に俺が座る形になる。そこでやっと相手の姿を確認できたのだが、大きめのパーカーで下はジーパン。男か女かも分からない程、フードを目深に被っていた為、顔の詳細は分からない。




「ちょっと、何なんですか?!。警察呼びますよっ!?」


「―――ッ」




 俺も何とか抵抗したが、相手も力が強い為、抑えられない。その行為が数分続き、俺は徐々に疲れ始めて腕が緩んだ所を、相手は布で手首を縛り付けてきた。


 縛られた俺は何も抵抗できず、口に同じような布を詰め込まれ、声を出す事が出来なくなってしまった。身動きできなくなった俺は、必死に足を動かして抵抗したが、相手はお構いなしに俺の衣服を抉じ開ける。


 その瞬間、相手の顔がハッキリ見えた。『部長』だ。何故こんな事をしたかは分からないが、俺はそこから抵抗するのをやめる。


 今の部長は正気では無い為、極力刺激しないように努めた。部長は頻りに、俺の露わになった胸に体を預けたり、掌を当てて恍惚とした表情で眺めていた。


 そして、部長は俺の体に抱き着いてきた。さっきより落ち着いたのか、今度は優しく抱き抱えられる。背中に彼女の体温が伝わり、何故か微かに震えていた。


 あんな手荒な真似をしたはずなのに、何故怯えているのか、俺には疑問でしかない。手首を縛られている為、抱き締め返す事は出来なかったが、俺は頬を部長の顔に摺り寄せて応えた。




「大丈夫ですよ……」


「―――ッ」


「あ、ちょっと!?」




 安心させようと声を掛けて優しく擦り寄っていたら、部長は何も言わずに走り出して行った。フードで分からなかったが、何か思い詰めた表情をしていた。


 それ以上分からなかった為、俺は取り敢えずその場から動こうとしたが、便器に括りつけられている為、動けない。身体をくねらせ、少しでも隙間を作ってその場から脱出に成功。そのまま鍵を開けて、公園の木の枝に引っかけて何とか拘束を解いた。


 成功はしたものの、スーツとワイシャツのボタンが取れた為、だらしない格好で電車に乗る羽目になり、恥ずかしい。
























百合side


 もう自分でも、何がしたいのか分からない。あんな取り返しのつかない事までして、ただ自分の欲求を満たしたいだけの行為。いくら太刀打ち出来ないからって、あんなのレイプと一緒。


 あんな事やっておいて、ダーリンは最初こそ暴れてたけど、途中からウチに寄り添ってくれてた。優しすぎる……。あんなの可笑しい、普通なら振り解いて逃げたいはずなのに。自分の事しか考えてない自分自身なんて、ウチを殺した奴と何も変わらない。


 何か自分を取り繕うのも疲れてきた……。仮にこんな事がダーリンとか会社にバレたら、ウチどうなるんだろう。これでトラウマとかになったら、一生口聞いてもらえないのだろうか。


 

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