第11話 フェチズム

春臣side


 部長の豹変から数か月。11月の中旬、冷たい風が吹く会社帰りの夜。珍しく一人で帰る事が新鮮に感じながら、家路に向かっていた。


 何故一人で帰る事になっているかと言うと、先輩は週終わりの飲み会に仲間と出向くと言って、先に帰ってしまった。氷鞠は自分磨きの為にジムに行くと言って、これまた先に帰る。どこか寂しさを感じるが、会社内での二人のやり取りを宥めるのも一つの仕事のようになっている為、あまり関わりたくないのも事実ではある。


 俺は少しみんなより会社を出る時間が遅かった為、駅周辺の飲み屋は大いに賑わっていた。居酒屋の料理は好きなのだが、如何せん酔いやすい為、お酒はあまり飲めない。以前氷鞠と飲んだ時も、あまり飲まずにやり過ごしていた。


 大通りを歩きながら店を眺めていると、肩に体重が乗り、酒臭い臭いが漂ってくる。これは明らかに、酔っ払いに絡まれたと思った。俺は離すように促そうと振り向いた時、明らかに知り合いの顔だった。

 茅花先輩だ。




「先輩……相当酔ってますね?」


「あれ~?春じゃあ~ん♪。何でここに居んの~?」


「いや、今帰ろうとしたら先輩に絡まれたので……」


「そんな冷たい事言って~、ホントは一緒に飲みたいんでしょ~?」


「いや……帰ってカレーを作ろうと―――」


「つれないなぁ~、明日休みなんだからいいじゃあ~ん♪」




 そんな話も虚しく、強制的に飲み屋に連行されて仲間と飲む事になってしまった。


 先輩に肩を掴まれながら、千鳥足で店へと入り、何処の席も満席で人で溢れていた。


 この店は二階もある為、先輩に案内されながら上へと上がって行くと、数十人の先輩社員がお酒を被るように飲んでいる。楽しいのは分かるが、忘年会レベルで騒いでいる為、正直うるさい。


 俺は先輩に促されるまま隣に座り、凄い勢いでお酒を飲み始める。この人が飲んでいるのは水なのではと、錯覚を起こす程だった。


 先輩の飲みっぷりに圧倒されて絡まれている最中、とある人の視線を感じ、向かい側の人と目が合う。


 その人は先輩と同い年で、彼女の名前は阿霄月 彩冷あよいづき あやひ。茶髪でサイドテールが良く似合う女性で、いつも明るく元気な印象がある。俺が一人で食べたり、他の同僚と食べる際は、この先輩たちが一緒に食事をする姿をよく目にする。

 そして彼女は俺に、ニコニコしながら会話を始めた。




「いつも仲いいよね」


「一方的に絡まれてますけどね……。いつも週末は飲むんですか?」


「偶にかな~。一人で飲むより、みんなで飲んだ方が楽しいしね」


「彩冷さんは普段から飲むんですか?」


「偶にね~」


「春〜……彩と楽しく何話してるの……?」




 そんな他愛もない話をしていると、先輩に首をロックされて絞められる。俺は息が苦しくなり、タップしながら彩冷先輩に助けを求めるが、彼女は両肘を置きながら微笑むだけで助けてはくれなかった。


 長い時間拘束され、やっと落ち着けると思ったが、今度は無礼講と言ってビールを勧めてくる。俺が飲めないのを分かっていてやるものだからたちが悪い。


 その度に体を近づけてくる為、スーツを着崩した格好で迫ってくる。いい匂いもするし、こんなだらしない顔で迫られると、固まるしかない。ホントこの人の距離感どうなってんだ……。




「飲んでる〜春〜♪。って、全然減ってないじゃ〜ん。先輩の奢りなんだから飲みな〜」


「以前飲めないって言いましたよね!?忘れたんですか?」


「あれ?そうだっけ?」


「助けてくださいよ、彩冷先輩〜……」


「いつ見ても面白いよね、二人って。付き合えばいいじゃん」


「いいぞ〜彩〜、もっと言え〜♪」




 やっぱりこの先輩、面白がってるよな。いつも笑顔で明るいけど、もしかして性格超悪い……?。


 そして時間は過ぎ、宴会はお開きとなり、やっと開放されると思い、立ち上がろうとすると先輩が俺のスーツを掴んできた。




「春〜……うっぷ……。気持ち悪い……」


「えぇ……飲み過ぎですよ。タクシー呼びますから、待っててください」


「ヤダ〜……春が送って〜……」


「そんなこと言ったって……」


「送ってあげた方がいいと思うよ、ここでグズられるより。ほら、飲んでないの春臣君だけだし」


「はぁ……分かりました」




 結局誰も安全に遅れる人が居ない為、俺が先輩の家まで送ることになった。先輩はまともに歩けない為、オンブをして運ぶ事となり気持ち悪いのか、俺の肩に頭を載せて呼吸が荒かった。


 至近距離で呼吸音が聞こえてくる為、耳が擽ったい。少しの邪な気持ちを抑えつつ、俺は先輩と電車に乗り込み、彼女の体制が楽なように座席に座らせる。




「先輩、本当に大丈夫ですか?」


「無理かも……。膝枕してくれない……?」


「いいですよ。……少しは楽になりました?」


「うん……さっきより、いいかも……」
























 茅花side


 普段から優しいけど、こういう時は一段と優しい。正直に言うと良心が痛む。だって、酔ってなんかないし、ずっと酔ったふりをしてるから。そんなアタシを何も疑いもせず、こんな看病してくれて……。

 太もも柔らけぇ……♡。




「あの、先輩……。擽ったいんですけど……」


「はっ!?ごめん……」




 彼の呼ぶ声で我に返り、アタシは彼の太ももを悟られないように撫でた。暫く電車に揺られながら数十分、アタシが下りる駅に止まり、春はアタシの体を持ち上げてお姫様抱っこをしてくれる。

 正直……濡れた。


 そしてそのまま担ぎ上げられたアタシは、彼に抱かれる腕の中で、存分に顔を眺めながらデヘデへしていた。春の必死に介護するその姿にキュンとしながら、頻りに大丈夫かどうか聞いてくる。

 正直……幸せ。

 彼の腕で数十分、ようやく我が家に到着して家の鍵を渡し、中へと入った。何気に春を家にあげること自体初めてで、少し興奮してくる。部屋は綺麗にしているつもりだが、他人から見れば多少散らかってるレベル……だと思う。


 春はアタシをベッドに置いてから、コップに水を注いで手渡し、何も言わずに軽い掃除をしてくれた。




「あ、あの……掃除はしなくていいから……」


「掃除した方が、気分もよくなりますよ。それに埃が溜まってると、皮膚炎と鼻炎になったりしますから。先輩は水でも飲んで、アルコール抜いて下さい」


「ご、ごめん……」




 邪な気持ちでこんな嘘を付いていた事に、アタシは後悔した。自分の気持ちしか考えていない事に、酷く恥ずかしく思い、春を睡眠薬で眠らせて既成事実を作ろうという発想は消えていった。


 その代わり、アタシも彼に何かをしてあげたいという衝動にかられる。




「春はさ、何か欲しいものとかある?」


「何ですか急に。う~ん……特に欲しいものとかは無いですね」


「じゃあ、して欲しい事は?。一応先輩だし、何でも言ってっ」


「そんな直ぐには思い浮かばないですけど……。あっ」


「何かあるの?」


「いや、正直気持ち悪いんでいいです」


「いいよ、何でも。ため込んでちゃ良くないし」


「じゃあ……先輩の、髪を触りたいです……」




 恥じらいながら聞いてくる辺り、何を要求されるのかと思ったが、髪だと言うのに驚いた。好きな人に触られる分に全然抵抗は無い、むしろウェルカム。


 何故触りたいのか理由を聞くと、女性の艶々して綺麗な髪を見ると衝動が抑えられないらしい。特にアタシの髪質は、光沢がある為か凄く触りたくなるみたい。




「それじゃあ、いいよ」


「本当にいいんですか?」


「春のフェチズムだからしょうがないでしょ?。それに減るもんじゃないし、それに我慢できなくなったら会社でも触っていいよ♪」


「いや、それはちょっと抵抗が……」


「あははっ、ほら早く触りな」




 アタシがそう言うと春は隣のベッドに座り、恐る恐る近付いて優しく髪を触る。少し擽ったいけど、触られている身としては好きな人に撫でられるのはすごく気持ちいい。アタシの髪は長い為、春は背中辺りにある部分を指で絡めてくる。


 長い時間触られ続け、アタシはそろそろいいかなと思い、春に一声かけた。




「どう、満足した?」


「…………」


「あれ?春?」


「…………」


「春~?……って、ちょっと!?」




 呼びながら振り向くと、春がアタシの髪を嗅いでいた。普段しない行動に驚き、アタシは体勢を崩し、ベッドに仰向けで倒れる。それでも春は嗅ぐのをやめず、目が怖いまま。その姿に怖気づいたアタシは、目を瞑ってやり過ごそうとしたが、今度は首筋辺りを嗅いできた。


 これはこれで好都合だけど、こんなに積極的だと困惑する。春の顔が近い為、首筋に息が当たる度に吐息が漏れる。




「…………」


「いや……///」


「…………」


「ちょ、ちょっと……///」




 押し退けようとするが、春の息がかかる度に力が入らない。その時アタシは、この場で初めてを迎えるのだと思い、意を決して彼の頭を思いっきり抱擁する。

 覚悟を決めたアタシは、春への想いを再び吐露した。




「春になら、いいよ。アタシの全部あげる……♡」


「んーっ!?んーッ?!」


「そんなにガッツかなくても、アタシは逃げたりしないよ?」


「…………」


「ほら脚、広げるから…………あれ?」




 アタシが脚を広げて受け入れようとした時、春は動かなくなっていた。恐らくアタシが抱き締め過ぎた為、気絶してしまっている。高まったアタシの興奮状態だったが、返答が無い彼に気付いた事で我に返り、焦りながらベッドの横に倒した。


 肺が上下に動いていた為、呼吸は正常に機能している。ひとまず安心をして、アタシは寝る準備に取り掛かる。こんなチャンスは滅多に無い、これも合法的に傍で一緒に寝れる。


 そしてそのままスーツを脱いで、春の隣で夜を過ごした。暫く顔を見ながら横になっていたが、それだけでは我慢できなくなり、覆い被さるように春の上に乗る形で体を預けた。


 彼の胸を擦りながら、嗅ぐ事だけに集中する。正直、直で嗅ぎたい。熱が抑えられないアタシは、彼のスーツを脱がせてもう一度深呼吸をした。匂い自体はそんなに強く香る事は無いが、どう表現すればいいのか分からない。強いて言うなら、ミルクとシトラス系の香りが混ざったような匂い。


 今度は匂いだけでは止められなくなったアタシは、夢中で彼の唇を奪った。以前キスをした事で、何回やっても同じだろうと思い、寝ている春に優しく口づけをする。アタシの中で、何かが満たされていくのが分かる。


 アタシは満足するまで、啄むようにキスをし続けた。それが深夜まで続き、アタシも疲れて寝てしまい、気付くと朝を迎えていた。


 グッと背伸びをして起き上がると、ベッドに春が居ない。と思っていると、目の前で土下座をしている彼が居る。




「あれ春、どうかした?」


「すいませんでしたッ!!」


「え、何で謝ってんの?」


「いや、その……途中から自分の意識が無くなって、目が覚めたら先輩と俺の服がはだけていたので……。もしかしたら、間違いが起きてしまったのでは、と思いまして」


「いやそれは―――」


「本気で謝るので、どうか社内では内密にお願いしたいのですが……」




 アタシがやった事だと教えようとしたが、これは良い弱みを握れたのではないかと、それ以上言うのをやめた。これを口実に、春を強制的に呼び出したり、その罪悪感から何でも言う事を聞いてくれるのではと思った。


 アタシは顔に出さないように、被害者ヅラして、どんな要求をしてやろうかと考える。




「じゃ、じゃあ、耳元で謝って……///」


「い、いきますよ。すいませんでした……」


「…!?……♡…!?」


「あの、先輩……。大丈夫ですか?」




 やば……めっちゃ視界がチカチカする。お腹の辺りもジンジンするし、頭バカになってくる。

 あぁ……監禁したい、一生保管したい。


 そんな思考がグルグルと回り、今は正常に頭が働かない。兎に角彼を抱き締めたくて、アタシは春に飛び込んだ。


 突然抱き締めても、彼は優しく受け止めてくれ、何も言わずに背中を擦ってくれた。そして、春は申し訳なさそうに言葉を発した。




「あの、先輩。責任は必ず取りますので」


「それは、アタシの事を深く愛してくれるって事?」


「先輩が嫌でなければ……」




 これを言われた瞬間、アタシは言葉が出てこなかった。その代わり涙だけが零れ落ち、報われたような気がする。


 どんな形でも好きな人と一緒に過ごせるのであれば、後は何もいらない。これで氷鞠との差が開く、あんな男か女かも分からない奴に絶対渡すつもりも無いし、想像もしたくない。好きな人に自分を好きでいて欲しい、自分は勿論、好きな人を裏切らない為に包み隠さず全てを捧げる。

























 







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