第8話 裏切りと怪現象

春臣side

 最近、二人の距離感が近い。二人というのは、茅花先輩と氷鞠のこと。何故こうなったかも、この二か月程で俺の生活は変わっていった。


 溜息をつきながら出社し、デスクに腰を下ろして突っ伏していると、部長に声を掛けられる。




「随分とデカい溜息だな……。全く、この部署は問題を抱えているのが多いな」


「あ、部長。おはようございます」




 俺が項垂れていると、腕を組みながら俺を見下ろしてくる。


 部長自身も何か思う事があるのか、小さく溜息をついていた。俺も迷惑をかけているという自覚はある為、ほんの少しでも、部長の重い荷を下ろせればと声を掛ける。




「部長、俺でよければ相談に乗りますけど……」


「先ずは自分の問題を何とかしろ。それに上の立場として、部下に相談を乞うのは気が引ける。それと、相談するとしても私の問題も根深いものがある……。君に相談しても、気が重くなるだけだ。気にするな」


「そうですか……。何かあれば、いつでも言ってくださいね?」



「何か言いました?」


「いや……。兎に角、自分の問題にしっかり向き合え」




 部長はそのまま向き直り、自分のデスクに座り、もう作業を始めている。始業の鐘も鳴っていないのにと思いながら眺め、管理職というのは多忙なのだと思い、俺も準備だけする。


 そして数十分が経過し、次々と出社してくる同僚や先輩と挨拶を交わす。いつも通りの風景に、同じように元気な人が出社してきた。




「おっはー♪春~、元気~?」


「おはようございます、先輩……。あの、俺の頭に顎乗せるの止めてもらっていいですか……?」


「いいじゃん、同じ朝を迎えた仲じゃん♪」


「語弊があるんで、やめてもらっていいですか?」




 結局あの日、一週間先輩の部屋に泊り、出社した。あの時と比べ、今は可笑しな言動をする事は無くなった。


 その代わり、今まで以上に体を密着させる率が上がる。ただでさえいい匂いがするのに、変な気を起こす訳にもいかない為、それを抑止させるのに精一杯。


 そしてもう一人、氷鞠は静かに入室すると、いつものように喧嘩を始める。




「朝からサカってるんですか~?これだからメス猿は~」


「あぁ、なんか言った?男なら誰でもいい尻軽媚媚女……」


「こびこび女って……」


「アンタ達、朝から煩いっ!!」




 二人が言い合いを始めた事で部長の目に留まり、お叱りを受ける羽目に。そして部署を追い出され、外でも再び喧嘩を始めたせいで、反省文を書かされる事になった。


 そのお陰か、今日はすんなり仕事が終わり、終業時間になり帰宅。何事も無く家に帰る事は出来た、帰る事『は』。










 というのも最近、何故か我が家では『怪現象』が多発している。今までそんな事は無かったのだが、突然電気が消えたり、本棚から本が落ちたり、排水溝に長い髪の毛が詰まっている事が多々ある。


 原因は分からないが、この現象が起き始めたのが先輩を部屋に招き入れる回数が増えていく毎に比例して増えている。だが、原因が先輩だとしても何一つ理由が分からない。


 そんな嫌な事を思い返しながら玄関を開け、電気をつける。何気ない行動なのに、躊躇ってしまう。少しでも恐怖心を抱いてしまうと、何でも恐くなる現象があるが、正直大家さんからは事故物件だという話は聞いていない。


 兎に角、怖くなってしまったものは仕方ない為、風呂にまず入ろうと服を脱ぎ始める。だが、その際も誰かに見られているような感覚がある。気のせいだと思い、さっさとシャワーを浴びて上がろう。


 頭をシャンプーで洗い、瞼を瞑っていると背中に冷たい風が吹いたような気がした為、目を開け鏡を見た。


 そこには長い髪をぶら下げた、生気の無い女性が後ろに立っていた。彼女の目は髪で隠れている為、分からないのだが確実にこちらを見ているのは分かる。


 目が合ったような気がした俺は、ただ悲鳴を上げる。




「ぎゃあああぁぁぁぁああぁぁぁああぁっ!?」




 結局その日は、電気を付けっぱなしにして眠りに就き、明日は休日の為、大家さんに確認しに行く事にした。

























 そして次の日、大家さん宅を訪ね、事故物件の有無を確認する。大家さんは男性で長髪を後ろで結ってサングラスを付けている為、ガラは悪いが面倒見のいい人。




「大家さん、お久しぶりです」


「おう、百目鬼。鍵でも無くしたか?」


「いえ、ちょっと……俺の部屋の事で聞きたい事があって。あの部屋、誰か亡くなってます?」


「あぁ、死んでるよ」




 真顔でタバコを吹かしながら答える大家さんに、俺は言葉を失った。やっぱりと思いつつ、何故あの時教えてくれなかったのか問いかける。




「すまん、忘れてた。随分前だからな、霊障も消えてると思ったんだが」


「その亡くなった霊って、女の人ですか?」


「よくわかったな。私情のもつれ、よくある話だ。交際相手の男が、浮気性でな。ふぅ……当時の彼女は二十歳、社会の穢れなんかまったく分からない年頃だ」


「でも、浮気されたら割り切って別れればよかったんじゃ……」




 続けて俺は話そうとしたが大家さんに遮られ、ゆっくり喋り始めた。


 その男は四股を平気でしていた人物だったらしく、彼女は健気にも男性を疑おうとはしなかった。そんな時、彼女が帰宅して帰ると男は他の女と情事に耽っていた。彼女は真相こそ分からないが、裏切られた気持ちでいっぱいだったと俺は思う。


 その後は、大家さんの事情聴取の際に警察の人から聞いた話だが、挑発のつもりで女が男を試すように『私の方が好きだったらその娘、殺してみてよ』と。男も冗談のつもりで包丁を取り出し、彼女の方に突き付けた。


 そして落胆した彼女が膝から崩れ落ちるような動作をした事で、包丁の先が顔に当たり切れてしまう。切るつもりなど毛頭なかった男性は何を焦ったのか、突然慌て始め、彼女を押し倒し馬乗りになると、包丁でメッタ刺しにしてしまう。


 彼女は悲鳴を上げる事も無く、ただ『淡々』と甘んじて刺されている事を選んでいるようだったと言っていた。


 恐らく刺傷事件になれば、自分は刑務所行きになると早とちりした男性は、証拠隠滅の為に死傷させ、隠そうとしたと言っていた。この事件は、虚勢と虚偽による最悪の事件である。




「って言うのを浮気女の事情聴取をサツから聞いた。あの女も自分だけ助かりたかったのか、言い逃ればかりしていたらしいぞ」


「何か、可哀そうですね……」


「だろ?帰ったら、線香でもあげてやんな」


「だったら事故物件の事は、教えてくれてもよかったんじゃないですかね?」




 事故物件の事を話してくれれば、こんなに怯える事も無かったと心の中で思った。事情は分かったが、可哀そうだとは思っても、まだ見えない恐怖からは立ち直れない。


 でも、家には帰りたい。かと言って、あの二人に頼んで泊まってもらったり、泊めてもらうのもあまり考えたくない。後が面倒だし、何されるか分からない。


 他の人に頼むにしても、俺の家から離れてる人の方が大半の為、頼みづらい。そして少し考え、思い当たる人物が一人いる。『部長』である。俺は早速部長に連絡し、一日泊めてもらえるように携帯で交渉する。




「あの部長……大変恐縮なのですが、今晩泊めてもらえないでしょうか?」


『え、無理』




 ですよねぇ……。こんなに丁寧に頼んだはずが、思ったより早く断られてしまった。涙目になりながら、今晩はネカフェで寝るかと思いながら模索していると、部長が俺の家であればいいと了承してくれた。

























 夕方になり、家のインターホンが鳴る。覗き穴を覗くと、私服姿の部長だった。玄関を開け、普段は下ろしている髪を後ろで結い、ポニーテールにしている事で印象がだいぶ違う。


 服装はハイネックニットに緩いジーパン。普段の印象からくるものだと思うが、何でも出来るキャリアウーマンにしか見えない。


 彼女は靴を脱ぐと向きを揃え、加えて食用油の詰め合わせまでくれる。この所作だけで、育ちの良さが浮き出る。


 部長は俺の部屋をキョロキョロ見渡しながら、何処で多く怪現象が発生するのかと聞いてきた。




「何処が一番酷いの?」


「居間でラップ音が聞こえる事が多いですね。後はお風呂です」


「具体的に調べるんだったら、写真に収めればよく分かると思うけど」


「なるほど、やってみましょう」


「……。何で私にやらせる?」


「呪われたら、普通に怖いじゃないですか」




 情けないと思うが、あんな幽霊を見た後では自分のフォルダーに入れる事さえ躊躇う。本当に撮れてしまった場合、何が起こるか分からない。そんな不安のまま、居間から順番に撮影していった。


 居間には変化は見られず、次はトイレを回り、変化は見れず台所もお風呂場も同じで何も撮れない。ホッと一安心ではあるが、何処が問題の場所なのか分からないのが怖い。


 結局分からず仕舞いで数時間が経過し、俺達は夕飯がまだだった為、取り敢えず外食にしようという事になり、近くのファミレスに向かう事に。


 俺は親子丼が食べたかった為、それを選び、部長は特大ステーキを頼んでいた。やっぱり綺麗な人は、食事から意識してるのだなと感心する。俺はご飯をかき込んでいると、ふと部長が何故長年付き合っていた彼氏と別れたのか聞いてみた。




「あの部長、何で付き合ってた彼氏と別れたんですか?」


「何だ、気になるのか?」


「そりゃあまぁ、理由は気になりますね」


「単純に浮気だよ。最初こそ、相手も本気で結婚を考えていたそうだが。まぁ、所詮は顔だったという事だ」
























優雨side


 私は幼少期の頃から、男性に嫌悪感を抱いていた。自分で言うのもあれだが、顔立ちが大人びていた事で幼少期から少女時代に至る期間、男性から舐め回すような視線が纏わり付いてくる事が多い。


 私はこの分かりやすい視線が、凄く嫌いだった。その嫌悪感という感情から、恐怖心へと変わっていったのは、拉致事件が発端だった。


 私が高校三年の頃、塾帰りの遅い時間に一人で街を歩いていた時、白い車に無理やり引きずり込まれた。口を塞がれた私は、何が起きてるか分からないまま服を破かれて、身動きが全くできない状況だった。恐らく中には三人くらい男が乗っていたと思う。ただそんな事考えてる余裕なんかなくて、ひたすら目を瞑って涙を流してやり過ごすしかなかった。




 だって、力を入れたって動けない。そんな恐怖心に駆られていた私は半分諦めてた。どうせ助からない、死ぬって。でもそんな時、車のドアが突然開いて、私と同じぐらいの男の子が立ってた。


 それが今まで付き合ってた彼だった。


 彼は予め警察を呼んでいた為、乱闘にはならず男達は連行されていった。そこから私から彼に告白して、めでたく私達は恋人同士。彼は私の二つ年下で、高校一年生。不思議と彼には嫌悪感を抱かず、毎日が楽しい日々だった。


 でも、そんな毎日は続かない。彼が冷め始めていたのは数年から、私も薄々気づいていた。それでも私は別れるという意識は無い。唯一男性の中で触れられた存在、結婚できるとしたら、この人しかいないと思っていた。


 また数年経つと彼との連絡もなく、浮気してるのも隠さなくなっていった。それでも私は、この関係を保ち続ける。だって、このままじゃあ私、『嘘つきになる』。彼に対する愛を、貫き通すと決めていたあの日から、私は決めている。私からは絶対に、振らない。



 そして別れる数日前、彼から珍しく連絡が入る。メールで、『お前の家に行くから、鍵を開けておいてくれ』。文からでも分かる、冷たい文章。だがその時の私は、彼からの久しぶりの連絡に胸を高鳴らせていた。


 私はご馳走を振る舞おうと買い物を早く済ませ、家へと戻る。玄関を勢いよく開けリビングに行くが、彼の姿は見えない。トイレでも寝室でもない。何処に居るのかと、名前を呼ぶが反応が全くない。


 バスルームを通り過ぎた時、彼の声がした。お風呂に入っているのだと、声を掛けようとするが、明らかに声が『二つ』聞こえる。お風呂場のモザイク越しで見えるものは、二つの肌色が前後に動きながら女の『嬌声』が聞こえてくる。


 数秒固まっていたが、体が拒絶したのか、私は自分の部屋を飛び出した。無我夢中で走り出した為、裸足のまま外に飛び出していた。結局縋っていた彼への愛も嘘に変わり、私も『嘘つき』になってしまった。


 そして私は公園に辿り着き、誰もいないブランコに座り、泣き続けた。
























春臣side


「何かすいません……」


「いいわよ、気付かない私が悪いんだから」


「でも、部長なら直ぐにいい人が見つかりますよ」


「無理よ……。信頼できる人にも裏切られたんだもの、もう立ち直れない……」


「それでも―――」


「無理だって言ってるでしょっ……。最初にトラウマで植え付けられて、最後には大事だと思った人から裏切られるなんて……。じゃあ君が私の婚約相手になるか?それも無理だ、春臣君が近くに居るだけで鳥肌が止まらない……もう、無理なんだ。私は……男という生き物が、怖いんだよ……」





 俺はそれ以上言葉にする事が出来なかった。自分には体験した事の無い程、悲しいエピソードで聞いていて辛い気持ちになる。


 ファミレスで聞くような内容では無かった為、終始暗い時間を過ごし、そのまま二人で帰宅した。帰る途中も、部長と俺の歩く距離感は開いたまま。自分も襲われるような経験があれば、親しい仲でなければ不用意に近寄りたくはない。
















 我が家に戻り、俺達は何も言葉を発さず、電気を消そうとした。だが、突然部長は部屋に入るなり、カメラを居間に向け始めた。




「どうしたんですか、部長?」


「いや……なんか通り過ぎたから、構えたんだけど……」




 部長は何かに怯えるように、カメラを構えたまま周りを見渡していた。俺も何が起こっているのか訳が分からず、靴を脱いで部屋に上がる。同じように部屋に入るように促すが、部長は頑なに部屋に入るのを拒む。何かしら感じ取っているのか、首を横に振り、動かなくなってしまった。


 しびれを切らして、俺は無理に部長の手を引き、部屋に入れようと手を掴んだ瞬間、彼女は突然叫んだ。




「やめてっ!?私に入らないでッ!!?」


「えっ、どうしたんですか部長?!」




 部長が突然叫び始め、涙を流し始めた。もう訳が分からず、俺は取り敢えず近所に迷惑にならないように彼女を部屋にあげた。彼女は髪を振り乱し、項垂れるように下を向きながら小さい声で何かを呟いていた。




「部長、大丈夫ですか?」


「重なった……重なった……重なった……重なった……」
























???side


 重なった……♡







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