第2話 炒飯の味

春臣side 

 

 駅前周辺で一際デカい声を上げていたのは、弓納持 氷鞠ゆみなもち ひまり。会社の同僚で、明るく元気で素直な性格。見た目はボブヘアで茶髪、身長は低めで肉感的で性的魅力に溢れ、巷で言うグラマー体形。


 だが何故こいつが居るのか分からず、先輩に抱き着かれながら呆然と立ち尽くしていると、よく分からない言葉が飛び込んできた。




「春臣、そいつ嘘ついてるっ!」


「チッ……」




 嘘とは何だと思い首を傾げながら考え、思い当たる節が見つからない。先輩は兎に角優しいし、人を傷つけるような人物ではない。ていうか先輩、今舌打ちしなかったか?まぁ、俺の勘違いだと思うし疑念を抱きつつ氷鞠の詳細を聞いてみる事にした。


 氷鞠の言い分は偽装デートは先輩の思惑だと言ってきた。どういう事かと問い詰めると先輩が割って入り、口を抑え始めた。先輩は薄ら笑みを浮かべながら、何かを誤魔化しているようにも見え、必死になっていた。


 氷鞠は抑えられている手の隙間から、また不思議な事を話し始めた。




「ストーカーも茅花先輩の、むぐっ!?」


「あは、あははは……。ごめんね、春。用事思い出したから、氷鞠と帰るね~……」




 言いながら先輩は家路とは反対方向へ氷鞠と一緒に帰って行った。何が何だか分からなかったが、嘘をついているとか、ストーカーがとか色々言ってたけど俺はよっぽどあの場に居た氷鞠の方がストーカーに見えた。


駅前で立ち尽くしても仕様が無いと思い、電子マネーで改札口を抜けて電車に乗る事にした。デートなんて本格的にした事なかったから、少し俺は浮ついた気持ちで電車に揺られながら、先輩の最後の言葉を思い出していた。


 『付き合って……』


 あんな艶のある声で言われたら勘違いするし、少し期待していた。

 確かに先輩とは付き合ってみたいと思った事はあったが、高嶺の花だし迷惑だと思ってたし、いずれにしても普段の距離感が丁度いいんだろうなあと考えながら自分のアパートに着き、今日の事を思い返しながら夕飯の支度をした。
























茅花side


 最悪……本当に最悪。ここまで順調だったのに、何でよりにもよって、氷鞠に邪魔されなきゃいけない訳。楽しいデートまで漕ぎ着けて、それに乗じて名前まで呼んでもらって……興奮したけど……。


 あの時だって、アタシの恋愛事情を聞かれた時はよっしゃーキター!って思って流れで付き合った元カレの話して、春ったらあからさまに機嫌悪くなって可愛かった……。付き合ったのは本当だけど、色んな所連れてってくれたなんて全部嘘。形だけ付き合って、手も繫いだ事も無いし、キスもした事も無いし、勿論エロい事なんか一切ない。


 『全部、春にあげるって決めてるから……♡』


 それに今回のストーカーの件も嘘。あれもアタシが仕組んで、問題が解決した所でめでたく結ばれる計画。だったのに、今横に居る氷鞠に邪魔されて春と一緒に帰って同じ朝焼けに照らされながら起きる計画だったのに……。


 取り敢えずサッサと家に帰って、春にお詫びの電話を入れて謝ろうと考えるアタシに、執拗なまでの眼差しを氷鞠は注いでくる。




「なに……?今すっごく機嫌悪いんだけど……」


「よく言いますよ、阿婆擦れ捻じ曲がり猫被り女」




 言うに事欠いてよくそんな事が言えると思う。会社では愛想ばかり振り撒いて、八方美人ぶりやがって。他の男共がお前のせいで、仕事に専念しない状況に頭を悩ましてるアタシの身にもなりなさいよ。


 アタシ達は口論を続けながら、氷鞠が何故あの場所に居たか問い詰めた。




「氷鞠が何であんな所にいたんよ?」


「ここ一か月、春臣の元気が無かったから尾行し続けてたらストーカーしてる人がいて、追い回してたら先輩達がデートしてるのを目撃して、今に至ります」


「普通にストーカーじゃん、キモ……」


「性悪女には言われたくありません」




 そのままアタシ達は言い争いを続け、遠回りをして氷鞠と別れその後は電車で帰り、アパートに着いた。


 靴を脱ぎベッドにそのまま直行し、アタシは倒れるように身を倒した。アタシは今日の事を振り返りながら、にやけ顔を晒していた。自分でも分かるくらい口角が吊り上がり、他人には見せられない程、表情筋が緩み切っていた。


 最後の駅のホームであんな大胆な事、今後できるか分からない、喫茶店でも……。でも春、覚えてなかったな『アノ時』の事。無理もないか、大分イメージ変わったから。


 取り敢えず、春に電話入れなきゃ。あんな中途半端に帰ったら、嫌われるだろうし、バレてなきゃいいけど……。
























春臣side


 家に帰り、夕飯の準備をしていると先輩から電話が掛かってきた。誰からだろうと携帯を探しながら、炊飯器の蓋を閉めた。


 連絡先なんて家族か、会社の知り合いくらいしか教えていない。携帯を手に取り、覗いて見ると何と先輩からだった。今までは仕事の内容や概要、緊急の連絡でのみ掛かってくる事しかない。


 待たせても悪いので画面をタッチし、早く出る事にしたが先程の事もあり少し緊張する。




「も、もしもし、先輩……?どうしたんですか」


『もしもし、春ー?ごめんね、何か雰囲気ぶち壊しちゃって……』


「全然いいですよ。それより用事は済んだんですか?」


『え、あぁ……うん。大丈夫、問題なかったよ!』




 先輩は何故か常に焦り、何か歯切れが悪く隠しているように感じたが、プライベートまで足を突っ込むのは失礼だと感じた。


 そこからは会話が途切れ途切れな状況が続き、気まずい空気が漂い何か話さなければと思い考えていると、先輩から話を切り出した。




『今何やってんの?』


「今、炊き込みご飯を作っていたところです。夕飯はこれで済まそうかなと思いまして」


『マジで!?めっちゃ美味しそうじゃん♪』




 その後はご飯の話題で盛り上がり、明るい雰囲気になり内心ホッとした。先輩もいつもの調子を取り戻したのか、マシンガントークが止まらず、会話が盛り上がっていた。


 会話の最中、ふと氷鞠の事思い出し、詳細を聞いてみる事にした。先輩曰く、本当に偶々その場に鉢合わせただけとの事。そのついでに会社での氷鞠の仕事ぶりについて、先輩にアドバイスを貰おうと享受してもらおうとした。


 しかし何故か氷鞠の話をする度に、先輩の声色が怒っているように感じた俺は、どうしたか聞いてみた。




「何か先輩、怒ってます……?」


『別に……』


「またなんか変な事言いました?」


『気付けし……』




 最後何を言ったか聞こえなかったが、ひたすらに俺は謝り続けた。何とか機嫌が直った先輩だが、まだ誠意が足りないと無茶な事を言い始め、明日もう一度デートをしたいと申し出てきた。俺はデートと聞いた瞬間、心臓が跳ね上がった。


 だがすぐに訂正が入り、偽装デートだという事を念頭に言われ、俺の心はジェットコースターのように急降下していった。


 そして先輩は付け加えるように、もしかしたらストーカーが俺の部屋に監視カメラを仕込んでいる可能性が高いと脅され、明日は俺の部屋に先輩を招き入れる事になった。偽装だとしても、恋愛経験が浅い俺としてはテンションが上がる。


 炊飯器の終了のタイマーが鳴り、1時間は話していたんだと、俺はそこで気付いた。早速約束の時間を決める事となり、朝の8時くらいには来たいと言われ、そんなに早くて大丈夫か確認を取ったが何の問題も無いとの事であった。


 逆に先輩から、失礼ではないかの旨を伝えられたが問題ないと伝え、別れを告げようと電話を切ろうとしたが一方的に通話を切るのはお互い気が引けたのか、無言の時間が流れた。




「…………」


『…………』


「『また明日」』」




 長い無言の末、俺が言おうとしてた言葉と先輩の言葉が一言一句同じであった為、お互い笑いながら通話切った。俺は電話を切った後も、携帯電話を見つめて暗い画面に自分の緩んだ顔が映った。


 明日の偽装デートを楽しみに待ちながら、俺は炊飯器を開けて炊き込みご飯の香りを嗅ぎながらかき回した。ご飯をひっくり返していると、窯の下にお焦げが出来ている事にちょっぴり贅沢を感じながらお椀に山盛りのご飯を盛りつけ、明日に備えた。



























 日曜日となり、いつもの惰眠を貪る休日とは違い、俺は朝早くからシャワーを浴びて部屋の掃除に取り組んでいた。日曜日の朝なんて、殆ど9時にしか起きない俺にとって健康的な一日を迎えられそうに感じた。


 約束の時間が近づき、高揚と緊張が俺を襲い始め興奮が止まらなかった。俺はそう言えばと思い、先輩に住所を教えるのをすっかり忘れていたと思った。


 直ぐに電話をしようとした時、インターホンが鳴り響き、ドアの向こうから見知った声が聞こえてきた。


 先輩だと気付いた俺は、直ぐに玄関を開け招き入れた。それと同時に先輩の元気な声響き渡る。




「おっはー、春ー!元気だった?」


「昨日ぶりですよね……?」


「あっははー、それもそうだね。はい、駅前の高級プリン。一緒に食べよ?」


「ありがとうございます」




 先輩から手渡されたプリンが入った紙袋を貰い、改めて彼女の全体像を見た。ナチュラルなメイクに上半身は肩が出ているショルダーカットニットの黒で、下はホットパンツといういかにもギャルが着そうな見た目でドキッとした。


 昨日の服装はオシャレで可愛かったが、今日のは露出が高く、普段はこういう格好が多いのかと思い聞いてみた。




「先輩は普段から、こんな服が多いんですか?その、結構露出が多いというか……」


「ん?そんな訳ないじゃん。春の家だから、この格好で来たの。普段から着てたら、ただの痴女でしょ?」




 俺の家だからという問いに少し脳内がバグる。どういう意図で言ったのか分からないが、取り敢えず玄関で話しても埒が明かないので、居間へと案内した。


 生活の殆どは、ここで過ごす事が多くテレビや布団、テーブルやノートパソコンが置いてある。俺は夏の為、冷蔵庫から麦茶を取り出し先輩に手渡した。やっぱり、恋愛経験豊富そうな先輩だし男の部屋なんて慣れてるだろうな。


 なんか変に期待して、部屋掃除したりシャワー浴びたり、余計な事ばかり考えるからモテないんだろうな……。
























茅花side


 今春の家にいるけど、チョー良い匂い♡。何でこんなにエッチな匂いしてんの?マジで意味わかんない。


 はぁ……こんなん耐えらないし顔大丈夫かな、ニヤけてないかな。せめて、お姉さん風な雰囲気だけは崩さないようにしないと。あぁ……気遣ってくれる春マジで天使、てか可愛すぎ。

そう言えばさっき、服装の事聞かれたけどこんな格好、好きな人にしか見せないでしょ。


 街歩いてる時、他の男にジロジロ見られてほんっと最悪、お前らの為に着てんじゃねえっての。フリル付けて隠せばいいけど、夏だし暑いから却下。


 兎に角、今は春の家に来れて万々歳だし、嘘ストーカーを口実に春の部屋にアタシの監視カメラを置いて、いつでも監視できるようにする。あぁ、春のあんな姿やこんな姿、一人布団で悶える春の姿を見ながらアタシも……。


 いやいや、兎に角今はカメラ設置に専念して全力で臨まねば。そう意気込んでいると、春から何気なく聞かれた。




「そう言えば先輩、よく俺のアパートが分かりましたね。住所教えましたっけ?」


「あ、あぁ……えぇと……何となく、かな?」


「凄いですね、何となくで分かるなんて」


「ホッ……」




 あっぶ、バレる所だった……。何とか誤魔化せて一安心。すると春がトイレに行ってくると言い、アタシは部屋に一人取り残された。


 ここはカメラを設置するには絶好のチャンスなのだが、アタシは春の布団にダイブしていた。身体を布団で包み、春の匂いを堪能した。ただでさえ部屋中に匂いが充満してるのに、一番匂いがヤバい枕や布団を鼻を押し付けた。


 深呼吸する度に視界がチカチカ光が飛び、眩暈がするほどの気持ちよさ。こんなの嗅いでたらやめられなくなる程、これには快楽物質が流れているのではないかと錯覚する。


 パンツでも持ち帰ろうかと考えながら上体を起こした時、ふと布団の中に本のような物が置いてあった。何かと手に取り確かめると、それはアダルト本だった。


 それもアタシとは正反対の巨乳の女。それを見た瞬間、無意識にそのページだけ握り締めていた。ページがクシャクシャになってから我に返り、皴を伸ばそうと慌てて直した。


 直している最中に春がトイレのドアを開ける音が聞こえ、慌てて本を布団にしまった。春が戻り、何事も無かったように振る舞ったが崩れた布団を目にして嫌疑の眼差しを向けてきた春は、問い詰めてきた。




「何かしてました……?」


「べ、別に、何も……」




 怪しまれはしたが、その後は何事も無く春とプリンを食べながら世間話をして過ごした。時計がお昼を回り、お腹が空いてきた。そこで春が昼食を作ると言い出した為、アタシも手伝う事にした。献立は炒飯、冷蔵庫の中身が殆ど無かった為、余った具材で作る事になった。


 春はフライパンを手に取り、ゴマ油を注ぎ白飯と卵を入れ、手際よく振った。普段から炊事をする為か、それが何気なくカッコよく見えてフライパンを振る春の姿に見惚れていた。


 その視線に気づいた春はどうしたかと尋ね、何でもないと返答しアタシはお皿を用意して出来上がる準備を進めた。ふとアタシは思った、これは夫婦がする光景なのではないかと。


 それを考えた瞬間、頭の中でお互いあだ名で呼び合い、愛し合う想像をしていた。上の空のアタシが気になったのか、春が声を掛けてきた。




「先輩、上見ながら何ニヤニヤしてんですか……?」


「でへへ……♡」




 そんな事もありつつ、チャーハンは出来上がりお皿に盛りつけ完成。ゴマ油の香りが食欲をそそり、涎が止まらずスプーンを手に取り早速かぶりついた。


 感想は普通に美味しかった。ご飯はパラパラしつつ、卵と絡み合って油がしみ込み塩胡椒も絶妙。そう素直な感想を春に言うと、照れながら頭を掻いた。その姿がとても愛らしく感じ、アタシの母性に直接語り掛けてきた。


 お腹を満たしたアタシは洗い物だけでやってあげたくなり、春を座らせ台所に立った。ほんっと夫婦みたいで顔のニヤけが止まらなかった。


 洗い物は全て終わり、食器を拭き棚に戻した。全て終わり、春の下に行こうとした時、足元が濡れていた為体勢を崩してしまった。




「きゃっ!?」


「先輩ッ!」




 倒れると同時に春が駆け寄り、アタシは何とか彼が下敷きになってくれたお陰で怪我をせずに済んだ。


 アタシは目を開けた瞬間、目の前に至近距離の春の顔があった。アタシが惚けてるとは裏腹に、春は怪我の有無を尋ねてきた。


 アタシはそんな事より春に目が離せなくなり、ドンドン顔を近づけていった。彼の顔を見つめ続けていた時、さっきのアダルト本に掲載されていた巨乳の女の事を思い出し、急にムカついてきた。




「あ、あの先輩……。そろそろ退けて欲しいんですが……」


「……///」




 春の呼び声には答えず、アタシは彼の頬に両手を当て、『キス』していた。数秒程時間が止まったように、音が全く聞こえなかった。そしてアタシは唇を離すと息を漏らしながら我に返った。




「はぁ……///。はっ!?」


「あの、先輩……これはどういう……///」


「ご、ごめんッ!!」




 アタシは急に恥ずかしくなり、そのまま春の家を飛び出した。自分でもとんでもない事をしたと思った。


 望んでいた事とはいえ、パニックを起こしていたアタシは何も考えられなくなり猛ダッシュで自分の家へと逃げ帰った。


 悶々としながらベッドの中でキスの感触を確かめ、指でなぞった。あれが初めてのキスだった為、よく雑誌でキスはレモンの味だとか言われるが、アタシの場合は『炒飯の味だった』。


 アタシもキスはレモンの味がいいなどと口にしていたが、シチュエーションさえよければ何でもいい。そう考えながら困惑と興奮が自分を襲い、明日会社でどんな顔で逢えばいいかと考えた。そしてもう一つ、アタシは本来やるべき事を思い出していた。
















「あっ、監視カメラ?!はぁ……何やってんの、アタシ……」





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