第3話 喉仏ってエロくね?
春臣side
月曜日の出社の朝、いつもの通勤時間。俺はいつものように、到着時間まで本を読みながら時間を潰していた。だが、昨日の事が頭から離れない為、本を読んでも何も入ってこない。今から会社に行くのが気まずくて、唯々足取りが重い。先輩の顔を見る度に、あの顔を思い出すからだ。
何だかんだ考える内に会社に到着し、自分のネームプレートを部署の電子版に押し当て扉を開いた。そこには何人かの後輩、同僚や先輩がデスクに座っている。
俺はいつものように、全員に挨拶を済ませる。
「おはようございます」
朝の当り前の日常、長い部署を歩きながら自分のデスクを目指す。自分の仕事場に着いた時、そこには一人の同僚、氷鞠が出勤していた。いつもの時間より早い為、少し驚きながら挨拶を済ませ、席に着く。
今日の準備をしながら、先輩に逢うのが憂鬱に感じ溜息を吐いた。それに気付いた氷鞠は椅子ごと移動し、どうしたか尋ねてきた。
「春臣、どうした?溜息ついて」
「別に、どうもしない」
「そんな訳ないだろう。あ、もしかして……茅花先輩と何かあった?!」
「ち、違う!」
「へぇ~、怪しい~」
あからさまな態度を取った為、氷鞠に怪しまれ一昨日から何があったか根掘り葉掘り聞いてきた。俺は何でも無いの一点張りで貫き通したが、それでも粘る氷鞠は何度も怪しいと連呼し始める。
言い争いを始めていると、扉が開き先輩が出社。それに比例するように俺はパソコンに向かい、気付いていない振りをした。
そして俺はある事に気付く。
「おはよー……」
明らかに先輩のいつもの元気が無い。いつもなら『おっはー!』の明るい挨拶から始まる為、部署仲間達も先輩の天真爛漫な笑顔を見れない事に困惑している。先輩は俺のデスクから離れた場所にある為、詳細は分からないが深刻な顔をしながら席に着いていた。
少なくとも昨日の出来事で元気が無いのは明白で、助けてあげたい。かと言って昨日の事もあり、自分から行くのは気が引けるし罪悪感もある。
どうしたいいのかひたすら考え、頭を悩ませていると氷鞠がまた話しかける。
「お前ら、やっぱり何かあっただろ?」
「だから、何も無いって」
「仕様がないな。僕が何とかしてやるよ」
「聞けよ……」
言われるがまま勝手に決められ、氷鞠は俺の耳に囁き始める。その度にコイツの胸に付いた脂肪がぶつかり、鬱陶しかった。
言い忘れていたが、コイツは女みたいな見た目だが『男』だ。正直理由は分からないが、自分が女ではないかと錯覚し、女になったそう。俺が入社したタイミングが同じな為、いつなったか詳細は不明。
しかも年齢も近い事から、何かとウザ絡みをして胸を押し当ててくる事がある為、やめて欲しい。いくら元男だと言っても、際どい行為は慎んでほしい所。我慢するこっちの身にもなって欲しいが、幾ら言っても直そうとしない。
頻りに当ててくる為、やめて欲しいともう一度懇願する。
「俺の腕に当たってる脂肪、退けてくれる?」
「お前は女の子のおっぱいを脂肪って言うのか?!」
「お前が男だから言ってんだよッ、氷鞠のは偽乳だろッ!」
「はぁ!?喜べよッ!!」
不毛な争いをしながら先程の提案を、氷鞠は話し始めた。作戦としては、女の子はプレゼントすれば大抵は許してくれるとの事。ていうか、お前元男なのに分かる訳ないだろうと内心思いつつ、取り敢えず従う事にした。
それより先輩大丈夫かな、やっぱり昨日の事だよな……。
茅花side
はぁ……最悪、何で最後の最後で自分を抑えられないかな……。カメラ設置するチャンスだったのに棒に振るし、今日通勤中にチャラい連中にナンパされるし……。
こんな朝早くからナンパすんじゃねえよ、お陰でテンション駄々下がりで気分も上がんないっつうの。
まぁ、怒っても仕様が無い。そんな事より昨日のキス……よかった……。恥ずかしくなって逃げたけど、初めてのキスが一番の思い出になりそう。
大体の人は初キスは、失敗して最悪の想いでになりやすいって聞くけどアタシの場合は、気持ちよかった……///。あのあと何回も妄想して、自分でヤッて指止まんなかった……。
アタシがまた妄想の世界に入っていると、横から声を掛けられた。
「いつもの元気が無かったが、どうかしたのか?」
「うへへ……」
「おい」
「ぐへへ……。はっ……何ですか部長」
このクールで目つきが鋭い人は
黒髪ロングでスレンダー体形で容姿もよく、周りの男性からも受けはいい。だが恋愛観が固い故に、男性と付き合うまではスムーズに進むけど、その後が大変という風の噂だが、当てには出来ない。
そして最近、長い期間交際していた男性に振られたらしく、消沈中らしい。顔には出さないが、内心は落ち込んでいる。29歳の為、焦る気持ちも分かる。
再度部長が心配の声を掛けてくれる為、返答した。
「落ち込んで出社したり、かと思えば突然笑い始めるし……。もう更年期か?」
「違いますっ。少し反省してるというか、喜んだりしてるというか……」
「ようわからんが、元気ならそれでいい」
アタシは苦笑いしながら指で頬を搔きながら誤魔化すような素振りを見せ、春を目で追っていた。
やっぱり今日もカッコいい……。そう思いながら眺めていると、春と氷鞠が席を立って部屋を出て行った。何処へ行くのかと思い、後をつける。もしかして二人で、とも思ったが普通に自販機で飲み物を買っているだけ。
胸を撫で下ろしていると、話しているのが聞こえる。距離がある為、何をしゃべっているのか聞こえづらかったが、断片的に聞き取れた。
「はぁ!?今日……のか?」
「いつでも……けど、今日……いいだろう?」
「全然聞き取れないんだけど……。もうちょっと近くで―――」
「何をしている……?」
後ろにいる部長に気付かず、アタシは引きずられながら部署に戻って行った。あの二人が何の会話をしてたかは分からなかったけど、何か仲良さそうなのが腹立つ……。
終業時間が差し迫り、日が傾き始める。アタシはいつものように春を誘い、一緒に帰ることにしたのだが……。
「春〜、一緒に帰ろ〜」
「すいません、少し用事があるのでまた今度誘ってください。それじゃ、お疲れ様でした」
「あ……お疲れ〜……」
断られたことが無い為、呆気にとられた。そのお陰でアタシの頭は暫く動かないまま、春の後ろ姿を眺める。意味が分からなかった、いつもと変わらず帰れると思っていた分、悲しみが襲う。
アタシは取り敢えず用事が何なのか探る為、春の後をつける事にした。もしかしたら家の用事でやむを得ず断られた可能性もあると踏み、良い方に捉える。そう考えながら会社の出入り口で、衝撃的な光景を目にした。氷鞠だ。
「遅いっ、何してんの?」
「すまんすまん、家に持っていく資料探してた」
「時間なくなるから、早く行くぞ」
「まだ夕方だろ……」
は……?用事は?用事がその愛想撒き散らしミュータントと遊ぶ約束?アタシと一緒に帰る事より、春はそっちを優先するんだ……。一緒に炒飯食べた仲だよね、それなのに女でもない偽物と一緒がいいんだ……。
いやでも、そんな対した事ないかもしれないし、同僚だし、友達みたいな付き合いかもしれないし。それにしてもあの二人近いな、肩くっ付けながら歩く必要ある?あっ、腕組み始めた。春が嫌がってんだから離れろしっ!
アタシは心の中で離れろと念を送りながら、二人の後を追う。そして辿り着いたのは、ここで一番大きいデパートだった。デパートなんかに何の用があるのかと考えていると、二人はそそくさと中へと入っていった。
アタシ自身も最近遊びに来ていない為、久しぶりに店内を見て回るとワクワクする。
複数の専門店を眺めていると、買ってしまいそうな錯覚に陥る為、体が自然と吸い寄せられそうになる。そうこうしていると、二人はお酒専門のコーナーに入っていく。
お酒を眺めながら楽しそうに話している姿を見る度に、アタシの心は何かに掴まれたようにキュッという効果音を立てているように感じた。
あんな無邪気な顔を他の人に見せるのが辛くて、少し顔を逸らして見ないようにした。
『アタシだけに向けて欲しい、アタシだけを見て欲しい、アタシだけが許される彼の姿』。でも、こんな考えは春は望んでない、絶対に嫌われる。
そんな自分に自己嫌悪しながら、二人がお酒と何かをレジに持っていき、会計を済ませていた。少し離れた場所に居たアタシは追い付く為に、二人の下に走って向かった。
人気の少ない階段に向かった時、信じられない光景を目にした。春が氷鞠に壁ドンをしている姿が視界に広がる。アタシは、そこで思考が停止した。
氷鞠side
「ちょ、ちょっと……離れてよ///」
「す、すまん……///」
春臣が躓いて壁ドンする形になったけど、何でこんな人気の無い所でするの、可笑しいでしょ!?
取り敢えず、買い物済ませて早く帰ろう。変な気分になってくる……。春臣も春臣だろ、何今更恥ずかしがってんだよ。男だから動じるなよ、こっちが恥ずかしくなるだろっ!
そんな僕の心の叫びを訴えながら帰路に向かおうとすると、春臣から何故かは分からないが今から飲みに誘われた。
「あ、あのさ……今から飲みに行かないか?」
「はぁ、何で?!」
「いや……変な空気にしたから、詫びの気持ちで……」
「別に……まぁ、家に帰っても暇だし、いいか……」
断ろうとしたが、頭で考えるより先に口が動き、承諾していた。
自分でも何故快諾したか分からないが、歩きながら考えればもっと春臣と一緒に居られるからだと思った。男だからと抑制していたが、やはり頭で考えていても心は嘘をつけない。だからさっきも、口が勝手に動いたんだ。
さっきの事もあって、春臣とは離れながら歩いている。プレゼントを買っている最中は、揶揄う気持ちで腕を組んだりしたが、今は恥ずかしくて何も出来ない。
そうこうしている内に、普段から足を運ぶ居酒屋に着き、入店する。カウンター席に座り取り敢えず、二人共ビールを注文して気を紛らわそうとする。
僕は少しでもお酒の力を借りて、この空気を打開しようと考え、再び春臣を揶揄い始める。
「ねぇ~春臣~。さっきの事、まだ引き摺ってんのか~?」
「お前も気まずい雰囲気、漂わしてただろ。てか、普段から酒飲まないんだから一気飲みとか自重しろよ」
「春臣が誘ったんだろ~?無礼講だ~♪」
春臣の言う通り、一気飲みはするものでは無いと思った。いつもより酔いが回るのが早く、既に顔が熱い。
僕はこういう飲む場が無ければ、お酒を飲む事は無い。だから会社での飲み会は、オレンジジュースか炭酸飲料で済ませている事が多い。
意識がドンドンと無くなり自分でも分かる程、出鱈目な事をしゃべり始めている事が分かる。そんな僕の姿を見て、春臣は必死に水を飲むように勧めてくる。だが、僕は断り続けて遂にはテーブルに顔を突っ伏した。
意識が朦朧としている中、僕は酔った勢いで春臣にゼロ距離で顔を近づけ、変な事を言い始めた。
「春臣の喉仏って~……エロいよね♪」
「何言ってんだお前……。飲み過ぎだぞ」
「食べていい~?」
「はぁ?何言ってんだ……」
春臣の喉、エロいなぁ……。食べたいなぁ……。浮き出てるだけなのに、何でこんな気持ちになるんだろう……。首筋もそうだし、首回りも太いし、見てるだけで飽きないし……吸いたい……。あぁ、もう無理……。
「あむ……♡んふふ~……♪」
あぁ……何でこんなに満たされるんだろう。喉仏噛んでるだけなのに、気持ちいい。離したくないなぁ、やっぱりあの女にも渡したくない。プレゼントって言う口実で春臣とデートしたけど、やっぱり諦められない。もっと、もっと……欲しい……♡
「お、おい、氷鞠。いつまで唇で嚙んでんだ……///」
その声と共に僕の意識は戻り、羞恥心を誤魔化すようにワザとらしく笑いながら離れた。その後の時間は、赤くなっている春臣を揶揄い、居酒屋を出てその場で解散となった。送っていくと言われたが、無理矢理その場から逃げ帰り、自分の家に向かう。
帰りながら自分のした事を振り返った。酔っていたとはいえ、あまりに恥ずかしすぎる。仲はいいとしても、同僚の喉仏を普通は噛んだりしないと、自分の頭を叩きながら歩いた。
一方その頃、壁ドンを目撃した茅花はデパートの閉店時間まで立ち尽くしたままフリーズしていた。
「…………」
「あのぉ、お客様。閉館と致しますので、そろそろ出口の方に……」
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