5-7 葉色真倫の回想(続)
「では二宮くんはどうやって部屋に戻ったの?」
「だから二宮さんの代わりに、僕が洗剤を撒いたり、箱をほかしに行ったりしたんです」
五条が言った。つまり二宮はずっと部屋にいたということになる。その二宮は「縄梯子は、昨日の夜に屋上に投げ上げたまま、ほったらかしです」。
「それに、予想外のことがあって、中止しないといけなくなったんです。私がトイレに行く前に、志尊さんが起きて……」
六車は自分の出番のずっと前、廊下で五条が洗剤を撒いている時から、部屋のドアを開けて様子を(五条が作業に使う懐中電灯の光の動きを)見守っていた。五条が四方の部屋に入り、出てきて階段を下りていったのを確認。いったんドアを閉め、1分ほど時間を置き、いざ行こうと思ってドアを開けた時に、別の誰かが廊下に出てきたのに気付く。それが華斗くん。
「彼には夕食の時に、三井さんが……すいません、私も協力したんですけど、ビールに睡眠導入剤を混ぜて、起きないようにしたつもりなんです。なのに、最悪のタイミングで……」
「彼が来るのは、予定になかったから? でも睡眠導入剤はどうして用意していたのかしら」
「四方が飲む予定やったんです。その余りです」と二宮。
「血糊を付けるだけじゃなくて?」
「ご存じのとおり、あいつめっちゃ演技熱心でしょ。だから頭殴られて、意識朦朧のふりだけなんか嫌やって言うんで、薬飲むことにしたんです。ちょっと早めに起きて」
「粉撒いた後に僕が部屋に入って『やりますよ』って声をかけた時、返事がなかったんですけど、もう演技に入ったのかと思って、気にしてなかったんです」
「とにかく予定が狂ってしまって、志尊くんに続いて私はこっそり一階に下りて、外にいる五条くんと相談しました。志尊くんが部屋に戻ってから続きをやろうかとも考えたんですけど、足跡が残ってしまっているから、そのままだと困るっていうことになって」
「とりあえず部屋に戻って、みんなとメッセージで相談しました。時間をもう少し遅らせるかとか考えてるうちに、あなたが起きてきて私を……」
パニックで皆が口々にしゃべる。しかし、三井と五条がすぐに起きた理由はわかった。そしていったんは、知らないふりをすることにしたのに違いない。もちろんアドリブで。私が華斗くんのところへ行っている間に、4人で顔を突き合わせて相談したのだろうが、どこまでが本当なのか。
「それから四方くんを起こそうとして、様子が変なので、二宮くんが私のところへ言いに来たのね」
「そうです」
「あなたは救命士が四方くんを診断するのを見ていたの?」
「はい。他の3人も……」
3人に確認すると、五条は二宮共々部屋の中、三井と六車は廊下からドア越しに、とのこと。
「救命士は、部屋の様子を確認していた?」
「何のことです?」
「四方くんが睡眠薬を飲み過ぎたと、判断した理由があるはず。部屋で形跡を探したと思うの」
「さあ……そういえばゴミ箱を覗いてたような」
五条にも確認したが「気付きませんでした」とのこと。後で見に行かなければならない。
「一色くんは誰がいつ起こしたの?」
「二宮さんが、あなたのところへ四方さんのことを言いに行ってる間に、僕が」と五条。
「ぐっすり寝てたのに、ドアをガンガン叩いて起こされましたわ。救急車が来てたのにも、全然気付いてへんかった」
まだ眠そうに一色が言った。あくびもしている。
「それから四方くんの部屋へ?」
「ええ、すぐに……」
「いや、一色さん、ちょっと遅れて来ましたよ。スウェットを履くって言うて」
「え? ああ、そうそう。実は寝る時は下を脱いでるんで、さすがにそのまま行くのはまずいから」
一色は自分のスウェットパンツを見て、苦笑いしながら言った。
「廊下の粉にはすぐ気付いた?」
「そらもちろん。五条に言われましたよ、11号室の側を踏めって」
「一人で先に下へ降りてきたのは、どうして?」
「そらあ……何やったかな。そや、あなたや志尊くんがおらんから、下で何かあったんかと。階段下りて、ひょいとトイレの方を見たら、お二人が歩いてくるところで」
私と華斗くんがトイレを出た時に、一色が階段のところへ現れたのは、私も見た。何があったかと尋ねに来なかったのは、玄関前の救急車に気を取られていたからだろう。
「さっき私が皆さんに、ここで待っているように言った後、誰かここを出た?」
「いや、誰も出てません」
二宮が即答した。他の4人も首肯する。それは私にとって好都合だった。
「屋上にはどうやって上がるの?」
私の質問に、すぐには答える人がいなかった。皆が顔を見合わせている。
「上がるつもりなんですか?」としばらくして二宮が訊いてきた。
「あなた方の仕掛けたゲームを私が解こうとすると、屋上にある縄梯子が証拠の一つになるはず。それを見つけることができないといけないわ」
「まあ、それはそうですが……」
少し考えてから、二宮は続けた。
「たぶん、建物の裏に……階段の窓の横辺りに梯子があって、登れるんやないかと思いますが、確認してません」
まさか。それはちょっと不思議なことだ。
「五条くんが犯人として疑われる予定だったのよね? そのつもりで洗剤を廊下に撒いた。足跡がないから、二宮くんや一色くんは通らなかったという証拠のために」
「そうです」
「犯行前に撒かれたという証明は、誰がする予定だったの?」
「さあ……」
「ちょっとニノ、しっかりしてよ。そのために私がいるんでしょ。洗剤の箱を捨てに行った人がいるっていう目撃者」
「ああ、そうか」
三井のフォローで、二宮はようやく思い出したようだ。もちろん、私もその前後関係には気付いていた。ただし、偽装も可能と思うけれど。
「つまり、洗剤が撒かれたのは箱が捨てられた前のはずだから、撒いたのは二宮くんや一色くんではない、ということになるのね」
「そうです」
しかし箱から紙袋やビニール袋に移し替えれば、袋から撒きながら二宮の部屋に戻ることができる。その後で袋をうまく処分してしまえば……とは考えなかったのだろうか。
もちろん彼らはミステリのルールに疎いはずだから、決定的な証拠が必要とは思っていないのだろう。五条を怪しく見せておくけれど、その他の証拠が二宮の犯行を指していれば……という程度だったのに違いない。何しろ、動機すら設定していない。
あるいは昨夜の夕食の時に、動機に関係する何らかの寸劇を私に見せるつもりだったのだろうか? それは私が華斗くんを連れて来たことで、キャンセルされたのかもしれない。四方だけは、熱心に演劇論を語っていたが……
その四方には、まだ話を聞くことができない。聞けばおそらく、睡眠導入剤ではなく睡眠薬を多めに飲んだ理由もわかるだろう。しかしそれがわかっても、華斗くんを気絶させた人と、その理由はわからない。この5人の中にいて、誰かが嘘をついているはずなのだ。
私はそれを、一人で解かなければならない。華斗くんの助けなしに。
「わかりました。続きは夜が明けてからにするわ。朝食は7時? ではその後で。皆さんご自分の部屋に戻って休んで。私はこの後、少し捜査をするわ。朝まで1階には下りてこないで」
「捜査って、一人で?」と三井が訊いてきた。
「もちろん。あなた方が手伝うふりをして、証拠を隠されると困るから」
「私たち、疑われてるんですか?」
「ゲームではそうなるはずだったのよね?」
私が言うと、三井は不満そうな表情を見せたが、黙り込んだ。そしてもう一度私が促すと、5人は席を立って、部屋を出て行った。私はその後に付いて2階へ上がり、皆が自分の部屋に戻ったのを確認してから、8号室――四方の部屋へ入った。灯りは点いたままだった。
造りは私にあてがわれた部屋と全く同じ。方角が違うだけ。調度は二段ベッド、書き物机と椅子、ゴミ箱。壁には窓とカーテン。全室がほぼ同じはず。両端の1、2、12、13号室だけ、窓が2ヶ所ある。平側と妻側。
机の上にグラス。水が少しだけ入っている。それに空になった薬のパッケージ。ハルシオンと書いてある。超短時間作用型睡眠薬。いわゆる睡眠導入剤。
しかし救命士は、救急車で四方を運ぶ前に、私に言った。「薬と症状が合わない」と。どうやって診断したのかはわからないが、ハルシオンでない薬を飲んだ(あるいはハルシオン以外の薬も飲んだ)と判断したのだろう。
ゴミ箱を覗く。空だった。ベッドの下、机の下には何もない。机の脇に小型のスーツケース。四方の物に違いない。彼のイニシャルが入っている。鍵は掛かっていなかったので、開けて中を調べる。睡眠薬のパッケージはなかった。
でも四方はここで飲んだだろう。水が残されたグラスもある。それは偽装ではないと私は考える。
偽装なのは、ハルシオンのパッケージだと思う。では、睡眠薬のパッケージは? 彼に飲ませた誰かが捨てたのか。それはどこか?
1階へ探しに行くことにする。念のため、この部屋は保存しておきたい。幸い鍵は机の上にあったので、部屋を出てドアを閉め、施錠した。
階段を下り、会議室1へ。灯りを消し、施錠して、鍵を鍵ボックスに戻す。外部犯がこの窓から出入りした可能性は、今は保留しておく方がいい。もし外部犯なら、華斗くんを気絶させる理由がない。まず内部犯の可能性を探る。
キッチンへ。灯りを点け、ゴミ箱を調べる。カレールーの箱とトレイが捨てられているだけ。シンクの三角コーナーは空。片付けの時に、生ゴミは捨てたのだろう。抽斗、戸棚の中は料理の材料だけ。
シャワー室へ。ゴミ箱、洗濯機、シャワーストール、掃除用具入れを調べる。それらしいものはない。新品の洗濯用洗剤の箱があるが、予備を買っておいたのだろう。
男子トイレ、女子トイレも調べる。水タンクの中、サニタリーボックス、予備のトイレットペーパーの芯の中。やはり何もない。
どういうことだろう?
部屋に持って帰ったはずはない。調べれば、すぐに見つかる。それは犯人もわかっているだろう。私は敢えて調べなかっただけ。
外に捨てることはできなかった。五条がいたから。
トイレに流そうとしたのかもしれない。ところが、予想外にも華斗くんが来たので、できなかった。音を聞かれてしまう。彼が去るまで待つこともできなかった。彼が部屋に戻ると、廊下の異変に気付いてしまうかもしれない。そうなると犯人は自分の部屋に戻ることができなくなる。だから彼を気絶させ、その後パッケージを処分し、部屋に戻った。その方法は?
もう一つ。華斗くんは犯人を見なかったのだろうか? そしてなぜ女子トイレに倒れていたのか? それは彼に確認しなければならない。
やはり私は、一人では謎を解けなかった。華斗くんの助けが必要なのね……
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