5-6 葉色真倫の回想
暗闇の中、華斗くんが眠りに就いてから、私は部屋を出て、廊下でブラウスとパンツに着替えた。これから、頭を働かせなければならない。私は葉色真倫になる。
廊下の灯りは点いている。一つ異変が発生していた。階段よりも向こう、男性5人の宿泊室がある廊下の真ん中辺りに、白い粉が撒かれている。それは1階のシャワー室にあった、洗濯機用の洗剤……粉石鹸であることがわかっている。そこに幾つかの足跡が残っているが、それが重要。保全しておかなければならない。
1階へ下りる。私が指示したとおり、会議室に5人が集まっているはず。窓から灯りが漏れている。しかし私はそこへ入る前に、確認することがある。
玄関横の鍵ボックスを見る。使われていない部屋の鍵だけが残っている。玄関の鍵も、そこに掛かっている。救急車が来た時、私は玄関ドアのサムターン錠を捻って外へ出た。その時まで外からは入れなかったはず。しかし、他の誰かが内側から開けた可能性は? 後で5人に確認しなければならない。
大広間のドアを確認。鍵が掛かっていた。会議室2も同様。キッチンはドアがないが、窓のクレセント錠は掛かっていた。シャワー室――これが困るところ。窓が開けっぱなし。網戸は閉まっているが、窓格子が付いていないので、大きさから考えて人の出入りが可能。いくら大学構内の建物とは言え、侵入対策なしというのは不用心すぎる。
窓は二つ。四つあるストールのうちの、一番奥に一つ。頭の高さより上の位置。それからドアに近い、洗濯機の脇にも一つ。こちらは顔の高さくらい。どちらも網戸になっている。もちろん、ストールを乾燥させるため。
女子トイレの窓にも、やはり窓格子が付いていないはず。念のために中を確認。窓の位置は、シャワー室とちょうど対称形。入って手前の右側に一つ、それに奥に一つ。奥の方は窓が開いて、網戸になっていた。寝る前に私が入った時には、閉まっていたはずなのに。クレセント錠は確認しなかったけれど……
華斗くんを発見した時には、既に網戸になっていたように思う。ドアを開けた瞬間、風が通り抜けたのを感じたのだった。
誰かが窓から出入りした跡は? 位置は高いけれど、個室のドアの取っ手などに足を掛ければ、出て行くことは可能だろう。残念ながら、私にはそれができない。後で何とかして確かめるしかない。それに外から入ることができるかどうかも。
それからようやく会議室へ。テーブルと椅子は、昨夜の夕食の時の配置。5人はテーブルの周りにばらばらに座っていた。椅子を移動してもらい、テーブルを挟まず車座になって私の方を見てもらう。右から、一色、二宮、三井、五条、六車。
「四方は……大丈夫やったんですか」
二宮が心配そうに訊いてきた。私が救命士から状況を訊いていると思ったのだろう。
「わかりません。彼は睡眠薬を大量に飲んでいたようね。病院へ行けば拮抗薬――睡眠薬の作用を打ち消す薬を処方してもらえるそうだけれど、いつ覚醒するかは現時点では不明だと」
「睡眠薬? 睡眠導入剤じゃなくて?」
「睡眠薬。作用時間が長くて、効き目が強いものを、規定の量より多めに」
「そんなはずは……助かるんですか?」
「わかりません」
「病院に付いて行かんでよかったんですか」
「行っても何もすることがないわ。目処が立てば私に連絡があるはず。今は他のことを整理しましょう」
「他のことって?」
「誰が四方くんに睡眠薬を飲ませたのか……それに、誰が華斗くんを気絶させたか」
えっ、という小さな声が聞こえた。おそらく三井が思わず口にしたのだろう。前者について驚いたのか、それとも後者か。
「華斗……志尊くんは大丈夫なんですか、病院に行かんでも」
「救命士の診断では、不要だと。私の見立ても同じ」
「何やったんです?」
「それは後で説明するわ。それより、四方くんの容態がおかしいのを発見した詳しい経緯について、教えてもらえるかしら」
「ああ、いや、あの」
五条くんを見ながら私が言うと、彼は言い淀んだ。何か話しにくいことがあるのは、うすうす気付いていた。
「ではその前に、私の行動を説明しておくわ。消灯後、私は与えられた部屋のベッドに入ったけれど、ずっと起きていたの。考えごとをしていて」
それが何か言うべきだろうか? いいえ、ここではとても言えない。華斗くんのことを考えていて眠れなかったなんて!
「2時頃から、廊下に幾つかの足音が聞こえたわ。その中の一つに、華斗くんの足音があった。姿は見ていないけれど、私にはわかるの。彼の歩き方には、ちょっとした特徴があって」
それは不自然なことだろうか? しかし、なぜか私にはわかる。何度か、彼と並んで歩いたというだけで。私が彼のことをよく知ろうとしたのは間違いないけれど、知りすぎているだろうか?
「彼は1階へ下りていったけれど、戻ってくる足音は聞こえなかった。私は気になって、1階へ見に行くことにした。2階の廊下も、階段も、1階の廊下も灯りが消えていた。トイレだけ、灯りが点いていた。それはなぜか女子トイレで……ドアを開けると、中で彼が倒れていた」
私はその時、どれほど驚いただろうか。息が詰まり、心臓が止まるかと思ったのだった。
「私は彼に息があるのを確かめて、万一のことを考えて動かさず、すぐに部屋へ戻って119番に電話した。それから廊下の灯りを点け、1号室へ行って三井さんを起こした」
三井を見る。彼女は黙って頷いた。
「彼女はすぐに起きたので、私は彼女に六車さんを起こすようにお願いして、五条くんを起こしに行った。8号室へ――その時、廊下に異常を発見した。10号室と11号室のドアの前に、一面に白い粉が撒かれていた。そしてスリッパの足跡が一組だけあった。華斗くんのいた10号室から出てきた跡。入った跡はなかった。私は五条くんを起こして、彼にも廊下の状況を見てもらった。それから廊下の写真を撮って、五条くんに他の男性3人を起こすようにお願いして、1階に下りた。そこから、二宮くんが私に、四方くんのことを知らせに来るまでのことが、わかっていないの」
「いや、あの、えーと」
私は話を終えてから五条を見たが、彼はまだ言い淀んでいた。何があったかくらい、すぐに言えそうなのに。
「すいません、悪戯のつもりやったんです」
五条の代わりに、二宮が口を開いた。隣で三井が小さなため息をついた。
「悪戯とは?」
「正確にはあなたに……探偵に挑戦するつもりで。夜中にちょっとした事件を起こして、あなたが犯人を推理できるかどうかを。リアル探偵ゲームというか」
「それにしては、やり過ぎちゃうかなあ。四方のこともやけど、志尊くんにまであんなひどいことして」
一色が、眠そうな様子を隠さず、不機嫌そうに言った。彼は一番最後に起きてきたと思われる。
「いや、志尊くんには何もするつもりなかったって!」
「とにかく、全て話して。ゲームの計画者は誰?」
けんか腰で言う二宮を諫めるつもりで訊くと、彼と三井が手を挙げた。3回生二人。
「他に協力者は」
「四方と五条と六っちゃん」
「一色くんは参加しなかったの?」
「知らせてないです」
私から一色に「間違いない?」と訊く。彼は顎の辺りを掻きながら頷いた。そして「ハブられるとは思わんかったな」と呟いた。
「一色は酔って寝てしもうて、参加でけへんと思ったんですよ。彼が晩飯の時にビールを我慢したら、不自然でしょ。何かあるって、あなたにすぐバレる」
「そういう意味では自然に参加してたとも言えるけど」
二宮の釈明に対し、一色はまだ何か不満を言いたそうだったが、しばらく黙っていてもらうことにした。彼が起こされるところまで。
「まず仕掛けを……どうする計画やったか、説明させてください」
「どうぞ」
「2時から始めるつもりで、その少し前に各自で起きました。俺からグループメッセージを出して、みんなの応答を確認しました。それから……実際の行動とはちょっと違ってるんですが、まず計画を説明します」
二宮が部屋(12号室)を出る。あらかじめシャワー室から取ってきた、洗濯洗剤の箱を持って。粉を10号室と11号室の前の廊下にまんべんなく撒く。廊下の奥から階段側へ向かいつつ。灯りは点けず、懐中電灯の光を頼りに。
そして四方の部屋(9号室)に入る。そこで〝疑似犯行〟を行う。四方の頭を殴ったことにするのだ。血糊も使うことになっていた。頭やシーツに付けるのは、四方の担当。
〝犯行〟を終えると二宮は部屋を出て、階段を下り、玄関の鍵を開けて外へ。出て右側、1号室の前辺りにゴミの集積所があるので、そこへ洗剤の箱を捨てる。
「それを
「何となく寝苦しくて、起きて窓の外を見ていたら、偶然……っていう設定です。ちゃんと時間も憶えることになってて……」
三井が二宮の話を補足する。あまりにも偶然が過ぎる設定だが、咎めないことにしよう。
「で、俺が外へ出ている間に、六っちゃんが起きて、トイレに行くことになってて……」
私は六車に目を移す。彼女は無言で頷く。
「俺は中へ戻ろうとして、トイレに灯りが点いているのに気付くんです。でもそっちの方へ行かなあかんので、玄関の外に隠れてて」
彼がトイレの方へ行くのは、そこから自室に戻るため。説明が前後するが(と二宮は言い訳した)部屋を出る前に、窓から縄梯子を垂らしておく。それはちょうど、女子トイレの奥の窓の、すぐ横に垂れ下がるらしい。だから窓から出て、縄梯子を登って、自室に戻ることができるのだ。
「私はトイレを出てから……」と六車。
「部屋へ戻る時に、玄関前で人の気配を感じて立ち止まるんです。でも怖くて外を見ることもできなくて、急いで2階に上がって、三井さんを起こすんです。もちろん彼女は起きてて、一緒に外を見に行くんですけど、誰もいない……」
「でも私からは中に入ったように見えたから、男子の誰かかと思って二人で2階へ戻るんですけど、その時に廊下の異変を発見したり、四方くんが怪我してるのを発見したりするっていう段取りでした」
六車に続いて三井が説明する。三井は視線を床に落とし、私の方を見ようとしない。
「ただその……実際にやったのは、二宮さんが言いかけたとおり、計画とはちょっと違ってて」
五条がようやく口を開いた。ここまで彼の出番は一切なかったが、廊下の粉の意味を考えれば、彼の犯行と思わせようとしたことがわかる。
「何が違ったの?」
「昨日の夜にゲネプロをしたんですけど……二宮さんが縄梯子で部屋に戻るのは、できるけどかなり難しいことがわかったんです。要するに、失敗する可能性が高くて、危険やって」
「それに、登った後で縄梯子は屋上に投げ上げて証拠を隠滅する予定やったんですが、こっちはもっと成功の見込みが低いことがわかって」
困惑する五条に続いて、不機嫌そうに三井が言った。失敗することを嫌う、役者らしい言葉で、私は好ましいと思う。しかしミステリの世界では、成功確率が万に一つもあれば、それは必ず成功するということにしてしまっていいのに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます